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昭和58年。中学3年生のわたしは最初の定期試験、苦手な数学でクラス一番の成績を獲った。
同級生の母親が一人で教えている補習塾に通ったことで、証明問題を解くのが楽しくなったのだ。
運動神経ゼロで成績もパッとしないわたしは、クラスカーストの底辺だった。
その頂点にいたヒデオはスポーツ万能で成績も不動の一番、明朗快活で眉目秀麗。当然女子によくモテた。
そんなヒデオがダークホースのわたしにトップを譲った椿事は、皆に驚きを持って迎えられた。たった1点差だったけど。
でもそれは、おそらく彼の闘志に火を点けた。
わたしが数学のテストで得た83点を、その後上回ることは残念ながら二度となかった。
当然、その後ずっとほぼ満点だったヒデオと競うこともなかった。
そして彼は県トップ校を経て、現役で東大に入った。その後は知らない。
中学の卒業式の日。片思いだったあの子は涙を浮かべて、ヒデオに何かを伝えていたっけ。
遠くからそれを見て、切なかったこと。ずっと忘れていたのだけど。
ああ、数学…わたしの人生における頂点は、ヒデオにとっては底辺だった。
彼がトップ校に行けたのは、わたしに敗けた屈辱があればこそ。
いまもそう思うわたしの凡庸は、この駄文が証明している。
昭和58年、ユッコこと岡田有希子さんは高校1年生。彼女の人生でもっとも輝いていたであろう時期、中学3年生のわたしは二度と戻りたくない凡庸な日々を過ごしたのでした。
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