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わたしが小学2年生だった年の秋、教室で。

 

郷ひろみのような太い眉毛と大きな瞳のシンイチくん。つまんだ定規をぷらんぷらんと上下に揺らしながら、神妙な顔でおもむろに言い放った。

「ゆれる、ものさし」

 

あのとき「ぷっ」と吹き出していれば、もっとシンイチくんと仲良くなれたかもしれない…なんて。

1976年の資生堂CM「ゆれる、まなざし」。それをパロっていたことに気が付いたのは、ずっと後のことだった。

真行寺君枝の瞳と小椋佳の歌声。大人びたCMのワンシーンを想起するには、当時のわたしは幼なすぎたのだ。

 

「ものさし」に対して、気付けなかったことがもうひとつ。

それは一人ひとりの「ものさし(=価値観、基準)」の違いが、人間関係の諍いに繋がっていること。

みんなが同じようなものさしを持っているようにみえても、実は一人ひとり目盛りの幅が違う。

友達、恋人、夫婦…価値観が似ているこそ得られた関係、でも似ているから目盛りの幅の違いに気付けない。そして、気付けないゆえに傷付け合う。

 

「似ているけど違う」。それを理解できていれば、人間関係を無駄に拗らせずに済んだのだろうと思う。大切な人の価値観や基準を受け入れ、同じように大切にする…そんなしなやかな「揺れるものさし」を持っていれば、もっと生きやすかったかもしれない…なんて。

 


ユッコこと岡田有希子さんの「ものさし」は、ひょっとしたらメートル原器のごとく厳密だったのかもしれない。

ちょっとした幅の違いで、自分を責め、追い込んでしまうほどの。

…なんて、つい考えてしまいました。

photo by yukikostarlight