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先日↓この記事を書いた際、念頭にあったのは村上龍さんの小説「69 sixty nine」のあとがきでした。

 

 

 

(前略)この小説に登場するのはほとんど実在の人物ばかりだが、当時楽しんで生きていた人のことは良く、楽しんで生きていなかった人(教師や刑事やその他の大人達、そして従順でダメな生徒達)のことは徹底的に悪く書いた。

中略)彼らは人間を家畜へと変える仕事を飽きずに続ける「退屈」の象徴だった。

(中略)楽しく生きるためにはエネルギーがいる。戦いである。

(後略)

 

この小説が出版されたのは1987年のこと。当時は意識していなかったのですが、ユッコこと岡田有希子さんが空の下からいなくなって一年余りが過ぎた頃でした。

久しぶりに読み返したら、あの頃と変わらず楽しい小説だった「69 sixty nine」。

奥付をみるとこの小説が雑誌に連載されていたのは、ユッコさんの短い芸能生活に重なる1984年夏〜85年秋。彼女はおそらくこの楽しい本を、読んでいなかったことでしょう。

 

ユッコさんのぶんまで楽しく生きる。

こう決めたわたしが、戦わなければいけない相手のひとつが「退屈」なのだろうと思う今日この頃。

 

社交的で明るかった、ことしで七十七歳のわたしの母親。数年前に夫を見送った後、長年過ごした市営住宅の建て替えで転居を余儀なくされ、友人との往来がなくなったとたんに認知症が進みました。

いまではなにを話しかけても、あいまいな笑みを浮かべるだけ…退屈はたいせつな母を恍惚の世界に連れ去ってしまった、そう思っています。

 

「退屈退治」をキャッチフレーズに、チェッカーズがデビューしたのは1983年の秋。

生放送の「おはスタ」、東京タワーの足元で「ギザギザハートの子守唄」を演奏していたのがとても印象深いです。

その半年後には同じ番組にユッコさんが出演していたのに。視ていなかった自分を殴りに行きたい。

 

「退屈退治」 。40年近くも経ってから、このフレーズをにわかに新鮮に感じるわたし。

思い付いた人、すごいなあ。当時はなにそれ?って思ってましたが、やっと共感できる歳になったということなのでしょうか。

 

 

photo by yukikostarlight