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きょう1月9日は成人の日でした。といっても、18歳で成人とみなされる一方で「お酒はハタチになってから」とややこしくなった今年は、「成人式」の名称を「はたちの集い」などに改める自治体が多かったのだとか。
18歳から20歳。オトナでもコドモでもない時期、大切に過ごして欲しいです。
ずっと18歳のままの、ユッコこと岡田有希子さん。
成人式とは残念ながら無縁だった彼女にも、季節は違えど、大勢のファンと一緒に新しい門出を祝った一日がありました。
1984年7月29日、日曜日、晴れ。この日ユッコさんは、
京王新宿駅で一日駅長〜臨時列車「リトルプリンセス号」でファン一人ひとりと握手しながら、京王よみうりランド駅へ〜よみうりランドでファンクラブ結成式・ミニコンサート
をこなす、長く多忙な一日を過ごしました。
この日で途絶えてしまった彼女の日記帳には、「本当に 今日はうれしかった 一生忘れないだろうナ」と書かれています。
その日だけ走った特別列車「リトルプリンセス号」。学生時代を京王沿線で過ごしたわたしは、自分の見知った沿線風景と重ねて、つい当日の様子を夢想してしまいます。あの日、ユッコさんと大勢のファンを乗せた列車が渡る多摩川の水面も、きっとキラキラと輝いていたことでしょう。
「リトルプリンセス号」で使用された、ウインクしているような独特な面構えの京王6000系電車。
ユッコさんが乗ったのは、先頭車両から1974年3月製造のクハ6761・デハ6261・デハ6211・サハ6561・デハ6111・デハ6061・デハ6011・クハ6711(うち6261・6211は当初の6両から8両編成化に伴い1975年2月増備)の8両※による列車でした。
※ク=運転台を備えた「駆動車」 デ=「電動車」 サ=「付随車」(差し込むのサ?) ハ=「普通車」(イ=一等車、ロ=ニ等車、ハ=三等車に由来)
この「リトルプリンセス号」編成はその後もずっと京王線で走り続け、2001年1月に廃車されています。
かつて当たり前に走っていた、まさに京王線の「顔」だった6000系。すべて姿を消したのは2011年3月のことでした。
ユッコさんがアイドル歌手への切符を手に入れたのは、「スター誕生!」というオーディション番組でした。この番組を制作し、彼女のデビューに大きく関与した日テレの意向が、〝一生忘れない〟舞台をグループ企業のよみうりランドに決めたのでしょうか。
そういえば名古屋で育ったユッコさんが、中日ではなく巨人ファンと言っていたのはもしかして…。
いや、これは穿ち過ぎですよね。彼女にそういう忖度ができたなら、尊敬する歌手を聞かれたらまず事務所の先輩の名前を挙げたでしょうし。
そして、当時からこうしたイベントに非常に協力的だった京王電鉄が、特別列車「リトルプリンセス号」を仕立ててくれました。新宿からよみうりランドを目指すなら小田急という選択肢もあるのですが、わたしは華やかなロマンスカーの小田急より、地味だけど堅実な京王のほうがユッコさんに相応しくてよかった、と勝手に思っています。
このときに掲げられた、ユッコさん自画像イラスト入りの「WAKUWAKU SUNDAY リトルプリンセス号」ヘッドマーク。いまも京王が非公開で大切に保管しているそうです。
1972年の登場からずっと、このウインク顔の前面デザインのまま造られ続けた京王6000系。
こちらは1991年3月製造、6000系最終増備車のクハ6772です。慢性化していたラッシュ時遅延緩和のために、京王初の片側5扉車として登場するもうまく運用できず、本線から追い出された悲劇の車両。4両編成でわずか2Kmしかない高幡不動〜多摩動物公園間をひたすら往復する晩年を過ごし、2011年3月に廃車となりました。
photo by yukikostarlight
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