そっぴーの中に内在していた5人の人格の
「他者性」を重視して過ごした結果、
今年の始め頃から人格が「統合」された
状態を保っています。
解離性同一性障害の状態から
「統合」された状態への変化は
どの様なものなのでしょうか。
あくまで、我が家のそっぴーの場合は、
ですが…
まず、人格交代が起こらないので、
①記憶が連続している。
そして
②自分に起きた出来事が、まさに、
自分ごとに感じる。
①は分かりやすいと思うのですが、
②は少し説明が必要かもしれません。
例えばAの人格が受け持っていた時間に
起きた出来事は、Bの人格も知ってはいるけれど、
Bにとっては、自分に起きたことではなく、
あくまで、他者であるAの身に起きたことを
話に聞いて知っている、
という実感らしいのです。
5人もの人格があったそっぴーにとって、
あらゆる出来事は知ってはいるけれど、
自分ごとではなかったのです。
それが、「統合」されて以降は、
全て自分ごとだと認識できるそうです。
記憶が連続していて、全て自分ごと
だと思えることは、そっぴー自身にとって
やはり安心なことであるそうで、
再び解離したいとは思わないそうです。
では、そっぴーの中の5人は
どうなったのでしょうか。
はっきりとしたことは、まだ判りませんが、
恐らく誰もいなくなってはいない、というのが
そっぴーの実感です。
みんなは今でもそっぴーの中にいて、
それぞれの個性でそっぴーを助けて
くれているようです。
ここまでの話だと、「統合」して、
めでたし、めでたし、という感じが
しますが、実はそうではありません。
今までは、辛いことや苦しいこと、
苦手なことは、それぞれ別の人格に
代わってもらっていたので、
大変なことは人格同士で分け合って
きたのです。
しかし「統合」して以降は、
全てそっぴー1人で引き受けて
いかなくてはなりません。
そもそも、1人で抱えきれない苦痛を
解離という飛び道具で処理してきたのに、
もうその手は使えない、となると、
やはり本人にとってはとても辛く、
焦燥感や希死念慮が度々襲ってきます。
気分の良い日もあるけれど、
辛い日の方が多いし、
毎日、辛さを無視しようと努力している
状態のようです。
この件について、主治医に相談すると、
「解離性同一性障害の統合に対する
難しさはまさに、そこにある」
とのことでした。
そういう理由で昨今は、
治療において、「統合」を目指さずに、
それぞれの人格と折り合いをつけて、
解離状態のまま、社会生活を円滑に送る
過ごし方を身につけていく、ということが
治療のゴールに据えられます。
でも、「統合」してしまったからには、
仕方がありません。
主治医の先生も、
「解離しない普通の人はみんな
全てを自分1人で引き受けてる、
言わば普通の状態、ではあるんだよねぇ。」
と仰っておられました。
但し、ストレスによって解離したのだから
また解離することがあるかもしれない。
その時は、その時で、また治療をしていく
しかない、というのが現在の解離性同一性障害
に対しての対処法ということでした。
一難去ってまた一難。
そっぴーが逞しく自分自身を乗りこなして
いけるように、
そっぴーと私の日々の工夫はまだまだ
続いていきます。