「私たちが光と想うすべて」
を観ました。Fan’s Voice独占最速オンライン試写会が当たり観せていただきました。(@fansvoicejp)
ストーリーは、
ムンバイで働く看護師プラバとアヌはルームメイト。プラバは親が決めた相手と結婚したものの、ドイツで働く夫からはずっと連絡がない。一方、アヌにはイスラム教徒の恋人がいるが、親に知られたら大反対される。そんな中、病院の食堂に勤めるパルヴァディが自宅から立ち退きを迫られ、故郷である海辺の村へ帰ることになる。彼女を村まで送るプラバとアヌは村でそれぞれの人生を変えようと決意するきっかけとなる、ある出来事に遭遇する。
というお話です。
プラバとアヌはムンバイで一緒に暮らす看護師です。プラバは真面目な性格で、親の命令で見合い結婚させられた夫はドイツで仕事をしていて、結婚後に話をしたのは親族がいる場所でだけで、直ぐにドイツへ行ってしまった。その後、電話で話はしたのだが既に1年以上連絡が無く、気になっている。
アヌはより社交的な性格で、シアーズというイスラム教徒の男性と付き合っている。しかしイスラム教徒との結婚は難しく、彼女の親もイスラム教徒を良く思っていない。アヌは解っているが、秘密にして付き合っている。
ある日、プラバとアヌのところに見知らぬ送り主から炊飯器が送られてくる。炊飯器がドイツ製だったため、もしかしてという思いを抱きますが考えないようにします。そんな時にプラバに医師のマノージが告白をしてきます。プラバは結婚しているからと断り、マノージは病院を辞めていきます。
同時期に病院の食堂で働くパールパティが家を追い出されそうになっていると聞き援助しますが、夫は権利書などを彼女に渡しておらず、居住権を主張しますが書類が無いのでは戦いになりません。仕方なく彼女の故郷であるラトナギリの村に帰ると言い、プラバとアヌは彼女の引っ越しを手伝い、一緒にラトナギリまで行くことにします。そして…。後は、映画を観てくださいね。
この映画、昨年、インド映画として初めてカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した作品です。インドで生きる女性が社会常識とされていることと向き合い、生きづらさを抱えながらも未来を見据えて動いていく作品でした。
プラバとアヌという2人の看護師が主人公です。プラバは真面目な女性で、親の命令でドイツで仕事をする男性と結婚しましたが、2人きりで会った事もなく、結婚式で会っただけで直ぐにドイツへ行ってしまったために夫婦生活は一切していません。こんなの結婚じゃないですよね。何のために結婚させたんだろう。娘が結婚していないと見栄えが悪いからだけなんじゃないかな。インドでは、まだこんな考え方が残っているんですね。
なので、プラバは結婚しているので他の男性を好きになることも無く、ただどうしているのかなぁと考えているだけ。実は映画の中で一度だけドイツの彼に電話をする場面があるのですが、電話番号は使われていなかったんじゃないかな。字幕が無かったので、何を言っているのか解りませんでしたが、あの長さは使われていないってアナウンスだったと思います。
それって飼い殺しじゃないですか。インドの結婚事情は解らないけど、結婚して離婚していない訳だから、再婚したくても出来ないし、誰か好きな人が出来ても不貞を働いたと言われちゃうんじゃないの?プラバはいつまでも一人で生きることになっちゃう。夫は生活費も何も払ってくれていないようだし、酷い話です。
一方、アヌはイスラム教の男性と付き合っているんだけど、インドのイスラム以外の人々は、イスラム教の人々とは関わりたくないみたいですね。イスラム教だとヒジャブを付けろとか女性の権利は無いに等しいから、一般家庭では良く思われていないようでした。なのでアヌは親に反対されるのが解っているので、親に話せないでいるようでした。
これは解ります。普通の生活をしていたら、人前に出る時はヒジャブを付けろとか女は男の所有物だと平然と言っているイスラム教の男性とは関わりたくないでしょう。なんであんなに曲がった考え方になっちゃったんでしょう。イスラム教の法典にはそんな事書いてないですよ。元々はキリスト教と同じ”アブラハム”さんの言葉を書物にしたので、解釈の違いだけなんです。それなのにこんなに変わってきているのは、自分に都合の良いように書き換えているからですよね。
アヌは奔放な性格なので隠れてデートをして、それなりのことをしちゃっています。でも結婚は無理だと思っていて、シアーズの事は好きだけど結婚相手としては観ていないんです。なので、親から見合いをしろという電話が何度も来ていて悩んでいるんです。親の言いつけ通りに見合い結婚をするか、親と決別しても彼との生活を選ぶか、どうするんでしょう。彼女自身もイスラム教の生活は望んでいないと思うんですよね。
そんな女性の悩みを描きながら、インドの女性の地位的なものも描いています。病院の食堂で働くパールパティは何年も同じ家に夫と住んでいて、夫は亡くなり、今は一人で住んでいたんです。そこへ開発業者が来て、出ていけと言うんです。文句を言うのですが、賃貸契約書も借地権利書も無いんです。夫から書類を受け取っていないというか、元からあったのかもわからないんです。
インドでは妻の権利は無いに等しく、夫の財産を引き継ぐ権利も薄いのかな。アフタートークでインド語の字幕担当の方がお話しくださったのですが、インドでは女性だけでは賃貸契約も難しいほど女性の権利が低いらしいんです。凄く不思議に思ったのは、夫が働いて妻と子供を養っているなら権利を主張しても少しは考えるけど、夫というだけで養ってもいないのに権利を主張するってどういうことなの?ただの怠け者じゃん。家族の意味が無い。
そんな酷い状態に対して、女性は口答えがあまり出来ないようですね。きっと喧嘩をしている家庭もあると思うけど、大体は夫に従う女性が多いのかな。もう女性(妻)も立ち上がって、権利を主張しないと。
男女平等とは言いません、何故なら性別によって得手不得手がある事は理解出来ますから。でも、得手不得手があるんだからお互いにカバーするのは当たり前ですよね。それにこの映画のように女性が看護師として働いているなら、男性は家事をすべきでしょ。そういう当たり前のことは男女関係なく理解しようよ。
日本とはちょっと感覚が違うので、女性だけが悩んで我慢しているように見えてイラッとしました。大体、親が命令して結婚って何なんだよ。ドイツで仕事してるだぁ?生活費を送るか、妻を呼び寄せるならまだしも、何もせずに電話だけって、どんだけバカにしてんの?私がプラバなら相手の家に行ってバカにすんなって啖呵を切ってると思うよ。直ぐに離婚すべきでしょ。
アヌはシアーズが好きなら、自分が妥協してイスラム教になるか、シアーズにイスラム教を辞めてもらうか、どちらかしかないでしょ。宗教問題は家族全てを巻き込むから、よく考えるべきだと思うよ。好きだからって、全てを犠牲にする覚悟があるのかどうかですよね。私なら出来ないな。
色々な出来事が起きますが、謎が残ったままでした。あの炊飯器は何だったの?ドイツってことで夫と繋げたってこと?プラバの最後のは彼女の想像だったでイイのかな?説明がないので、自分の解釈で観てしまいました。炊飯器で夫を思い出し、最後は彼女の妄想で頭の中を整理したと私は解釈しました。
そんな内容の映画でした。カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞するのは納得出来るような作品だと思いました。但し、映画祭で受賞するような作品なので、スカッとするような面白い作品ではありません。考えさせるじっくりした作品なので、単館系映画に慣れている方には良いですが、アクション映画などが好きな方にはちょっと辛いかもしれません。
私はこの映画、超!お薦めしたいと思います。女性の生き方を考える上で、この映画は観て欲しいと思えるような作品でした。スッキリはしないし、まだまだ問題は山積みだけど、きっと彼女たちは答えを見つけられるんじゃないかなと思わせるような感じでした。ぜひ、観に行ってみてください。
ぜひ、楽しんできてくださいね。
「私たちが光と想うすべて」