「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」ほどよい距離感で関係を持続していくのが一番良いのかなと感じました。 | ゆきがめのシネマ。劇場に映画を観に行こっ!!

ゆきがめのシネマ。劇場に映画を観に行こっ!!

観てきた映画、全部、語っちゃいます!ほとんど1日に1本は観ているかな。映画祭も大好きで色々な映画祭に参加してみてます。最近は、演劇も好きで、良く観に行っていますよ。お気軽にコメントしてください。
スミマセンが、ペタの受付を一時中断しています。ごめんなさい。

 

「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」

 

を観てきました。Fan’s Voiceさんの独占最速試写会が当たり観せていただきました。(@fansvoicejp)

 

ストーリーは、

癌に侵されたマーサはかつての友人イングリッドと再会し、病室で語らう日々を過ごしていた。治療を拒み安楽死を望むマーサは、“その日”が来る時にはイングリッドに隣の部屋にいてほしいと頼む。悩んだ末にマーサの最期に寄り添うことを決めたイングリッドは、マーサが借りた森の中の小さな家で暮らし始める。

というお話です。

 

 

イングリットは自書の出版記念サイン会で古い友人と再会し、同じく古い友人マーサが病気で入院していることを聞く。それはお見舞いに行かなければと病院を聞いて訪ねていくことに。

子宮頸癌に侵されたマーサは、古い友人イングリッドと再会し、会っていない時間を埋めるように病室で語らう日々を過ごしていた。最初は効いていた治療も段々と思うように進まなくなり、痛みも出てくるようになってしまいます。



 

結局、治療を拒み自らの意志で安楽死を望むマーサは、人の気配を感じながら最期を迎えたいと願い、“その日”が来る時に隣の部屋にいてほしいとイングリッドに頼む。その日、あなたが隣にいてくれたならと。悩んだ末に彼女の最期に寄り添うことを決めたイングリッドは、マーサが借りた森の中の小さな家で暮らし始める。

マーサは「ドアを開けて寝るけれど もしドアが閉まっていたら私はもうこの世にはいないと考えて欲しい。」と告げ、最期の時を迎える彼女との短い数日間が始まるのだった。後は、映画を観てくださいね。

 

 

この映画、素敵な映画でした。スペインのペドロ・アルモドバル監督による新作で、今回はアメリカで撮影しています。主演はティルダ・スウィントンとジュリアン・ムーアです。死をまじかにした女性と彼女に付き添う女性のお話でした。人は死ぬ時は一人だと思いますが、それでも誰かにそばにいて欲しいと願う気持ちって解りますよね。安楽死とそれに際しての友情とか色々な事が描かれていました。ベネチア国際映画祭の金獅子賞の作品です。ゴールデングローブ賞にもノミネートされていました。

 

ティルダ演じるマーサは子宮頸がんを患っていて、それを近年疎遠にしていたイングリットがひょんなことから知り、お見舞いに行くところから始まります。それまではイングリットがヨーロッパに行ったりしていて連絡を何年も取っていなかったんです。それが、たまたま再会した友人にマーサが入院してると聞き、直ぐにお見舞いに行くんです。

 

友達だけど一度疎遠になると何もないと連絡しづらくなるじゃないですか。そんな感じで何十年も連絡していなかったんだと思うんです。でも仲の良い友人同士なので会えば昔にすぐ戻ることが出来るんです。最初にお見舞いに行ったときは、治療は順調そうに見えていたのですが、段々と抗がん剤が効かなくなっていったのか、マーサは治療を断念します。

 

 

そして安楽死を考えるようになり、家に帰るんです。一人で死ぬのは怖いので、誰かに看取って貰おうというのではなく、隣の部屋にでもいて欲しいかなと思ったようなんです。そして親友などにそばにいて欲しいと頼むのですが、安楽死する時に近くにいるなんて出来ないからと断られるんです。そして何人かに断られた後、イングリットに連絡をするんです。

 

なのでイングリットは親友と言う部類に入るのかな。いつも一緒にいるような親友ではないですよね。少し距離のある友人という感じなのかしら。それでもイングリットは考えて、一緒にいる選択をします。彼女は作家なので、自分の仕事にこの経験が生かせると思ったのもあるんじゃないかな。それに自由になる時間があったというのもあるのでしょう。勤めていたりするのでは難しいですからね。

 

そして2人は最後の時を迎えるまで一緒に暮らすことになります。森の中に借りた素敵な戸建で、マーサは2階の寝室に、イングリットは1階に部屋を持って暮らします。そしてマーサが、いつも扉を開けておくけど、もし閉まっていたらその時が来たと思ってと告げます。

 

 

これ、解ってはいても2階に上がる時いつもドキドキしますよね。安楽死のためにこの家に暮らしているのに、永遠にその時が来て欲しくないと思う気持ちが伝わってきました。でもマーサはどんどん辛くなっていくようで、観ていて痛々しかったです。というか、ティルダさん、本当に病気で痩せていくように見えるんですよ。口の周りも乾燥してカピカピしてるようになって、この痩せ方は凄いなと思いました。凄く痩せて演じたのだと思います。ここまでするのかと驚きました。

 

自分が癌になって安楽死を考えたとしたら、こんな風に堂々と出来るかなと考えました。薬での安楽死なのですが、やっぱり怖いだろうな。でも生きているのが辛いから安楽死を考えたのだろうし、覚悟が出来るとこんな風に落ち着けるのだろうか。その気持ちはその場になってみないと解りません。マーサはイングリットが傍にいてくれてありがたかったんじゃないかな。近すぎず遠すぎずという関係性が良かったのではと思いました。

 

そしてイングリットはマーサを見つけて言われていた通りの行動をします。安楽死を見届けると、まるで殺した犯人のように取り調べを受けるんですね。驚きました。やはりキリスト教圏なので、自死は許されないようでした。なのでたとえ安楽死だとしてもそれを補助したとしたら犯罪だと受け取るようなんです。

 

 

まぁ、後から弁護士が来て、法律的には問題が無いようでしたが、マーサが生前に何度も自分が死を迎えた時のシュミレーション的なことをイングリットに語っていた意味が解りました。日本だとこれほど警察が介入して、補助をしたんだろうと犯罪者扱いすることは無いんじゃないかな。日本はどちらかというと安楽死を受け入れやすい考え方の民族だと思います。

 

それぞれの人物が自分の事を考えながらも、周りの人間を尊重していることがよく解るお話でした。そばにいて欲しいというマーサの願いを何故イングリットが受けたのか。何となく私は解るような気がしました。何人もの親友に断られ、娘との関係が悪くて娘に頼むことも出来なかったマーサ。イングリットは自分にも同

じことが起きた時の事を考えたんじゃないかな。

 

 

人は最後は一人だと最初に書いたけど、こればかりは仕方がないんです。死ぬときは一緒だなんてあり得ないんですよ。どこまでも孤独なのですが、それでも近くに友人がいてくれることで、死んでも見つけて貰えるという安心感というのかな、何となく”大丈夫”って思って死んで行ける気がするんです。感覚の違いだけですけどね。でもそれって大切なんじゃないかな。

 

マーサはきっと安心して逝ったんだろうし、イングリットも送れたという安心感があったのだと思いたいです。別れは寂しいけどいつかは来るものですからね。それは悲しいことじゃない、しあわせなことだと考えた方が良いと思いました。やっと苦しみから解放されたのですから。

 

 

そんな事を思う映画でした。最後にマーサの娘がやってくるのですが、その部分も感動でした。アルモドバル監督って、母と娘の内容をよく盛り込んでいますよね。今回もじーんとする母娘のお話も盛り込まれていました。母と娘って上手く行っているとよいけど、一度壊れると全くダメになるから難しいと思います。私は母と仲が良いけど、難しい関係の母娘って結構多いですよね。

 

とても考えさせられる映画でした。そして美しい映画でした。スペインの監督だからなのか、色の使い方が上手いですね。マーサがソファでイングリットと一緒に寛いでいる時に来ているセーターがモンドリアンの絵の色使いのようなデザインで綺麗だなと思いました。原色使いなのに邪魔にならないんです。ソファの色は緑でイングリットはブルーのスウェットなのに、マーサだけ派手な色のセーターで素敵でしたね。

 

2人が住んでいる森の中の住宅も素敵な建築物でした。住みにくそうな家だけど、リゾートとして過ごすには良いのかな。劣化が激しそうなデザインだったけどね。(笑)

 

 

私はこの映画、超!お薦めしたいと思います。安楽死を描いているけど暗い映画ではありません。人間とはと考えさせられる内容で、人の生きる距離に関しても考えさせられました。ほどよい距離がある関係が一番なんですね。良かったです。ぜひ、観に行ってみてください。

ぜひ、楽しんできてくださいね。カメ

 

 

「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」