「アフター・ヤン」一家に1台ロボットがいる世界でヤンは家族として一緒に生きていたのだと思います。 | ゆきがめのシネマ。劇場に映画を観に行こっ!!

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観てきた映画、全部、語っちゃいます!ほとんど1日に1本は観ているかな。映画祭も大好きで色々な映画祭に参加してみてます。最近は、演劇も好きで、良く観に行っていますよ。お気軽にコメントしてください。
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「アフター・ヤン」

 

を観てきました。10月21日公開です。

 

Fan's Voice独占最速試写会に参加させていただきました。(@fansvoicejp)

 

ストーリーは、

人型ロボットが一般家庭にまで普及した近未来。茶葉の販売店を営むジェイクと妻カイラ、幼い養女ミカは慎ましくも幸せな毎日を過ごしていたが、ロボットのヤンが故障で動かなくなり、ヤンを兄のように慕っていたミカは落ち込んでしまう。ジェイクは修理の方法を模索する中で、ヤンの体内に毎日数秒間の動画を撮影できる装置が組み込まれていることに気付く。そこには家族に向けられたヤンの温かいまなざしと、ヤンが巡り合った謎の若い女性の姿が記録されていた。

というお話です。

 

 

“テクノ”と呼ばれる人型ロボットが、一般家庭にまで普及した未来世界。茶葉の販売店を営むジェイク、妻のカイラ、中国系の幼い養女ミカは、慎ましくも幸せな日々を送っていた。その家でも、人型ロボットを使用しており、アジア系男性ロボットのヤンが、娘の世話や色々な手伝いをこなしていた。

ある日の朝、ロボットのヤンが突然の故障で動かなくなり、ヤンを本当の兄のように慕っていたミカはふさぎ込んでしまう。修理の手段を模索するジェイクだったが、このヤン、実は新古品として購入したものであり、保証書はついていたが、既に販売していた店は潰れていた。製造会社に持って行くと、修理ではなく、下取りされて新しいロボットを勧められるだけだと言われ、友人の知り合いの修理屋に持ち込むことにする。



 

ロボットのメモリ部分はブラックボックス扱いで、開けるには製造元の許可がいる。しかし潜りの修理屋なので、持ち主がOKすれば、中を開けてみるという。身体自体には故障が無いので、あとはメモリ関係の部分が壊れているしか考えられない。ジェイクは開けてくれと頼み、ヤンのメモリを開けることに。

すると、ヤンの体内には、一日ごとに数秒間の動画を撮影できる特殊なパーツが組み込まれていることを発見。そのメモリバンクに保存された映像には、ジェイクの家族に向けられたヤンの温かなまなざし、そしてヤンがめぐり合った素性不明の若い女性の姿が記録されていた。

 

家族が知らないヤンの記憶。沢山のモノを愛し、記憶し、彼が見ていた世界は美しかった。そして、彼の記憶を奥深くまで探っていくと、長い年月、生きてきたヤンの古い記憶も掘り起こされていく。命ある者と、永久であり無限ではないヤン。無があるからこそ、有があると伝えたヤンの気持ちは・・・。後は、映画を観てくださいね。

 

 

ファンタスティックであり、哲学的な内容で、その美しさに酔いました。素敵な映画でした。フィリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」というブレード・ランナーの原作の題名のように、このヤンも、長い年月を生きてきて、夢を見るようになったのでしょう。

 

ヤンは、長い年月生きてきて、沢山の人を見送ってきたのだと思います。でも、自分は永久であるから、見送るだけで終わりが無い。その寂しさは、新しい主人を持つ度に、本当ならメモリを消されるので、新しく世話をする人が出来て、一からになるハズだったのだと思います。でも、ヤンには、古い動画をメモリに残す特殊なパーツが組み込まれていたというので、古い記憶もずっと残っていたのだと思います。表面的な記憶は消されていても、メモリにデータが残っているので、やっぱり思い出したんじゃないかなぁ。

 

映画の中で、ヤンが、「無があるから、有があるんです。」と言う場面があるのですが、私には涙を流しているように見えました。自分はロボットだから、死んだら無になるけど、でも自分の無があるからこそ、有の大切さが解るんだと自分に言い聞かせていたんじゃないかしら。ヤンは、無を受け容れる体制を作っていたんでしょうね。

 

 

ヤンの記憶は、本当に美しかったです。彼には、世界がこんな風に見えていたのかと思ったら、ロボットなのに、やっぱり自身で思考するようになっていたのかなと思いました。AI機能が学習を経て、自分の意志や記憶を自分自身で操作出来るようになっていたのかなと思います。でなければ、あんなに美しい記憶が残ることは無いと思いました。彼には、人間との世界が、輝いて見えていたんです。ヤンにとっては、記憶こそが、彼の宝物だったんじゃないかな。機能停止すれば無になってしまうけど、唯一、自分が”有”だった証が、彼の記憶だったのかなと思います。

 

この時代、家族というのは、結婚して子供を作って家族となるという定義が無くなっていて、夫婦にはなるけど、子供は養女で、時にはクローンを作って貰って、本当に家族を作るというか、造るという感じなんです。現代でも、これだけ婚姻制度が崩壊しつつあり、子供も作らないようになってきているので、近未来には、本当にこんな風になるのかもしれない。もちろん、血の繋がりが大切とは思わないけど、それでも、どうなんでしょうね。一家に一台ロボットが居て、そのロボットが家族となり、子供が両親よりもロボットに懐くという日が来るのかもしれない。

 

 

ここでやっぱり考えるべきだと思うのは、ロボットの形態だと思うんですよ。全く人間と同じ形で作ってしまったら、美男美女しか作らないですよね。そうすると、人間のオリジナルの良さが無くなって、みんながみんな、美しいロボットと同じ容姿になっていくんじゃないかな。それって、面白くないですよね。個性が一切なくなるという事だから。それなら、いっそ、人間型じゃなくて、ネコ型ロボットとかの方が、よっぽど現実的だと思うんです。そうすれば、人間はオリジナルの良さを大切にしていけて、もちろん整形をする人はいるかもしれないけど、ロボットと同じになる事は無いんじゃないかな。やっぱりドラえもんは永遠だわと思いました。

 

観ていて、「攻殻機動隊」の世界に近いのかなと思いました。メモリの中の記憶が、自分の全てであり、この世界では、まだ人間の脳は、メモリに記憶とかは無さそうでしたが、その内、人間の記憶も、メモリに蓄積するようになっていくんだろうと予想が出来ました。身体も悪い部分はパーツを変えて治せば良くなり、その内、身体全体が機械になってしまったら、自分が人間だったのか、ロボットなのか、解らなくなっちゃうのでしょう。記憶=ゴーストだけになったら、それは人間と言えるのか。そうなると、ロボットのヤンも、人間のジェイクも同じですよ。そんな世界に近づきつつあるこの世界は、転換期を迎えているのかな。

 

 

家族とは何だろうという気持ちになりました。家族と言いながら、忙しくて一緒に過ごせておらず、娘の世話はロボットがほとんどしてくれる。家族の営みが無いと思うけど、でも、働いて稼がなければ生活が成り立たないし、この矛盾はどうしたら良いんでしょう。ヤンは、家族の為に、家族以上に家族を愛してくれて、寄り添ってくれていたけど、機能が止まってしまえば、只の無機質な機械であり、無になってしまう。だけど、そんなヤンのメモリの中に、愛した家族の記憶が鮮明に残っていて、ヤンの愛の深さが伝わってきました。ロボットだけど、家族だったんです。

 

何と伝えたら良いのか、とっても難しいですが、ヤンの記憶を辿っていく映像は、何だか、しあわせで、感動して、涙が出そうになるほど美しかったです。家族の日常なんだけど、それが本当にしあわせそうに記憶されているんです。記憶に、愛が詰まっているという映像で、伝えるのが難しいけど、感動をしました。私は好きだったな。あんなに美しい記憶を持って機能を停止したのなら、それは無ではないですよ。そこには永遠に残る感動があると思いました。

 

 

素敵な映画だったなぁ。私は、この映画、超!超!お薦めしたいと思います。最近、好きな映画が多いなぁ。この映画は、ゆっくり読書をしながらとか、食事をしながらとか、くつろいでいる時に、横に流しておきたい映画かなと思いました。もちろん、内容を知っているから、優しいヤンの記憶を、映像で流しておくと、とてもリラックス出来そうな気持ちになりました。ぜひ、観に行ってみてください。

ぜひ、楽しんできてくださいね。カメ

 

 

「アフター・ヤン」