「百花」
を観てきました。
ストーリーは、
レコード会社に勤める葛西泉と、ピアノ教室を営む母・百合子。過去に百合子が起こしたある事件により、親子の間には埋まらない溝があった。ある日、百合子が認知症を発症する。記憶が失われていくスピードは徐々に加速し、泉の妻・香織の名前さえも分からなくなってしまう。それでも泉は献身的に母を支え続ける。そんなある日、泉は百合子の部屋で1冊の日記を発見する。そこには、泉が決して忘れることのできない事件の真相がつづられていた。
というお話です。
レコード会社に勤務する葛西泉と、ピアノ教室を営む母・百合子。ふたりは、過去のある「事件」をきっかけに、互いの心の溝を埋められないまま過ごしてきた。そんな中、突然、百合子が不可解な言葉を発するようになる。「半分の花火が見たい。」それは、母が息子を忘れていく日々の始まりだった。
認知症と診断され、次第にピアノも弾けなくなっていく百合子。泉と妻・香織の間に子供が出来て、あと何か月で出産と言う時に重なってしまう。やがて母は、香織の名前さえ分からなくなってしまう。皮肉なことに、百合子が記憶を失うたびに、泉は母との思い出を蘇らせ、母子としての時間を取り戻すかのように、泉は母を支えていこうとする。
そんなある日、実家の片付けをしていた泉は、百合子の部屋で一冊の「日記」を見つけてしまう。そこに綴られていたのは、泉が知らなかった母の「秘密」。あの「事件」の真相だった。
母の記憶が消えゆく中、泉は封印された記憶に手を伸ばす。あの時、自分は何をしたのか。そして顛末はどうなったのだったか。段々と思い出して行く。一方、百合子は「半分の花火が見たい。」と繰り返しつづやくようになる。
「半分の花火」とはなにか?ふたりが「半分の花火」を目にして、その「謎」が解けたとき、息子は母の本当の愛を知ることになる。後は、映画を観てくださいね。
原作を読んでから観に行きました。原作の川村さんが、脚本・監督も務められているので、本と同じ内容かなと思って観に行ったら、少し変わっていましたね。映像にする上で、少し変えた方が良いと思われたのかしら。ご本人が原作も書いていらっしゃるので、きっと何か意図があるのだろうと思いますが、とても映像が美しい作品でした。
母親の百合子と息子の泉。仲は良いのですが、どこかぎこちなさがある母子。母子家庭で、ほとんど人の手を借りずに暮らしてきた二人。泉の父親に関しては、一切、映画では描かれませんが、原作を読んで察するに、大恋愛をして結婚まで考えたというような相手ではないのではないかと思われ、百合子は、それでもお腹の子は産むと決めて、自分の両親とは疎遠になってしまったようでした。
なので、一人で産んで、一人で育てていたんです。それは、もう、本当に大切に、心から愛していたと思います。百合子にとっては、ただ一人の家族で、最愛の息子だったんです。でも、ふと気が付くと、もう若くはなく、女としての幸せを感じずに生きて来た自分を感じます。もちろん、息子は可愛いし、愛しているけど、息子への愛と、女としての愛は違うことに気が付いちゃったのではないかと思いました。
この感覚は、きっと女性なら、ふと感じることがあるんじゃないかな。母親の自分であり続けてきて、それで十分に幸せなんだけど、女性としての自分を全く楽しめなかった、手に入れられなかったと、ふと感じてしまったら、もう、たまらなくなるんじゃないかと思うんです。自分は、一体、何をしてきたんだろう、自分の手の中には何も無いという感覚に陥ってしまったら、母親に戻れませんよね。周りが何も見えなくなってしまう。理性が吹き飛んでしまうんです。その気持ちが、凄く理解出来て、辛くなりました。
息子からしてみれば、お母さん、どうしたの?ってなりますよ。ずっとそばに居てくれて、自分を愛してくれた存在が、急に目の前から消えて、女としての道を歩き始めてしまう。はっきり言って子供から見たら、何か汚いし、どこか血生臭いし、自分が一番見たくないお母さんの姿ですよ。そんな母親を、一度でも見てしまったら、子供は一線を引いてしまうと思います。それが悪いこととは言わないけど、出来れば、思春期までは、そんな母親の姿は見せて欲しくないと思うけど。
泉は、小学生の頃に、母親の女の部分を知ってしまい、その後、また母親は戻って来たけど、それ以来、ぎこちなさが残っているんです。何があったのかは知らないけど、そこは、息子ですから、感じていたんでしょうね。本当は何があったのか、ずっと、知りたいと思っているんですけど、どうしても聞けないんです。そしたら、お母さんの認知症が発覚し、昔の事を、段々と忘れて行ってしまう。あの時は、何があったの?と聞きたくても、もう忘れてしまっているかもしれない。そんな泉の葛藤が、よく描かれていました。
でもさ、お母さんだって女なんだから、突然に母親を捨てて女になってしまいたくなる時だってあるんじゃないかな。だって、ずーっとお母さんをやってくれていたんだよ。一瞬でも、女を感じたいと思ったとしても、許してあげてよって思いました。だって、百合子は、本当に”泉”一筋で、息子の事だけを思って生きてきたんです。それ以外は何も無かった。だからこそ、ふと立ち止まって、違う道を少しだけ歩いてみたという感じじゃないかな。泉を愛している事に違いはないんです。
誰だって、道に迷う事はあるし、それは仕方がないことだと思うけど、この百合子は、結構、完璧を重んじる女性に見えたので、泉を一瞬でも裏切った自分が許せなかったのだと思うんです。だから、ずっと泉に謝り続けていて、泉の方は、それが嫌だったんじゃないかな。
泉も大人になり、結婚して、これから自分の子供も産まれるという時に、お母さんの認知症が解り、母親の面倒を見ながら、それまでの母子のわだかまりについて、考え始めるんです。あの時、何があったのか。自分を捨てた母親は、自分を愛していたのか。愛していたなら、何故捨てたのか。記憶を失くして行く母親に訪ねても、その答えは戻ってこず、記憶の断片を拾っていくと、実際は、自分が凄く愛されていたことに気が付くんです。
親子の関係って、思っているよりも難しくて、親子でも、やっぱり言葉に出して伝えないと伝わらない事って、沢山あるんですよね。親子だから解かってくれるとか、そんな事は無いんです。ちゃんと伝える事は伝えないと、後で後悔することになる。誰もが年を取り、記憶を失くして行くのは仕方がないことで、それに抗う事は出来ないのだから、出来れば、理解出来る内に、伝える事は伝えた方が良いですねって思いました。愛しているのに、理解して貰えなかったら辛いですよ。それは伝えておかなくちゃね。
百合子は認知症を発症するのですが、その認知症の描き方は、ちょっとアンソニー・ホプキンスの「ファーザー」を思い出しました。あのSFのような感覚が、認知症の感覚なのだとして描いており、ちょっとホラーみたいですが、これが本当なのだと思います。恐いけど、予防出来ることじゃないから、なるようになると思わなくちゃね。
やっぱり、原田さん、綺麗だったなぁ。40代の百合子もご自分で演じていられたのですが、美しかったです。ただ、あの時代、化粧が濃かったのかな。少し、違和感がありました。時代ですかね。菅田さんと長澤さんのご夫婦役も良かったですよ。
私は、この映画、超!お薦めしたいと思います。とても細かい心の振れを描いているので、その部分を理解するのは、結構、難しいかもしれませんが、もし、母と息子の気持ちに共感出来れば、大きな感動を受けると思います。ぜひ、観に行ってみてください。
ぜひ、楽しんできてくださいね。
「百花」