「写真の女」不思議な感覚の愛の映画でした。どうなって行くのか想像がつかなくてドキドキしました。 | ゆきがめのシネマ。劇場に映画を観に行こっ!!

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観てきた映画、全部、語っちゃいます!ほとんど1日に1本は観ているかな。映画祭も大好きで色々な映画祭に参加してみてます。最近は、演劇も好きで、良く観に行っていますよ。お気軽にコメントしてください。
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「写真の女」をオンライン試写会で観ました。cocoさん(@coco_official)の独占試写会でした。単館系の映画です。

 

ストーリーは、

父が残した写真館で写真のレタッチを行う男・械は、胸元に大きな傷を負った今日子と出会う。械はなれなれしい今日子に戸惑うが、彼女に頼まれ、画像処理で傷のない美しい姿を生み出す。傷の無い自分に満足する今日子だが、SNS上では美しいだけでは注目されず、傷ついた姿をさらすことで多くの人が興味を抱いてくれた。理想の自分と現実の自分の狭間で精神的混乱に陥ったキョウコは、自らの存在意義を見失ってしまう。自分だけがキョウコを救えると感じた械は、彼女の全てを写真に収め続けることを決意する。

というお話です。

 

 

時が止まったような父の残した写真館で、レタッチ(写真の加工修正)を行う女性恐怖症の男・械(50)。主に、遺影写真か、お見合い写真を頼まれて撮影し、レタッチしていた。昆虫写真を撮るのが趣味で、時間

があれば、山に昆虫を撮影しに行っていた。

ある日、山で昆虫を撮影していると、同じように山で自撮りをしている女性に出会う。彼女は今日子と名乗り、鎖骨の辺りに酷い傷を負っていた。彼女に街まで送って欲しいと言われ、車で送ると、何故かそのまま械の写真館まで一緒に付いてきてしまう。

写真館に着くと、今日子は械に胸の傷を画像修正して欲しいと頼む。械によって傷のない美しい姿となった写真の今日子。その姿に魅了される今日子であったが、心の奥底で、自分の存在が揺らぎ始める。行くところも無くふらふらとしていた今日子は、その日から械の写真館で暮らし始め、自分の写真を撮っては、械にレタッチをして貰っていた。



 

SNSで写真を公開し、以前は人気だった今日子だが、今はほとんど観てくれる人々も減り、スポンサーもいなくなっていた。そんな時、真実の自分は何なのかと考えた今日子は、傷を消さない写真をSNSにアップすると、閲覧件数も増えて、人気が上がっていく。現実の自分が何故喜ばれるのか。

美しい理想の自分と現実の自分、二つの自分の姿に迷い、どちらが本当の自分なのか、精神的混乱に陥ってゆく。やがて、完全に自分を喪失する今日子。

械と今日子は、男女の関係になっており、もはや、自分だけが今日子を救うことができると感じた械は、死を覚悟して、今日子を愛する決意をする。それは、カマキリの雌がが産卵の為に雄を喰べる行為のように、械は今日子に喰われても、それが彼女の為になるのならという献身なのかもしれない。そして・・・。(公式HPより)後は、映画を観て下さいね。

 

 

この映画、凄く不思議な雰囲気のある映画でした。寂れた町の写真館から始まるのですが、車で食事に行くと凄い都会なんですよ。だけど、車で山林に入って昆虫撮影も出来ちゃうという、凄い立地条件でしょ。その立地の不思議さと同じように、凄い古い写真館で家の中も古い和風木造住宅なんだけど、そこでやっているのは、PCを使った画像処理なんです。このアンバランスさが、とても目新しくて、不思議だけど斬新だなと思いました。

 

そんな所で写真館をやっている械は、全く喋らないんです。お客は喋るんですが、ハイもイイエも言わず、目で合図をしている感じで、仕事を淡々と進めて行く姿は、まるで仙人みたいでした。械の手により、女性のお見合い写真が、どんどん修整を加えられて、美しく変異して行くんです。

 

 

今時、SNSなどに氾濫する自撮り写真などは、画像処理していない写真なんて無いですよね。みんな、目を大きくして、アゴを細くして、身体も細くしてと、実物と全く変わってしまっている。そんな自分じゃない写真で嬉しいのかしらといつも思うのですが、この映画を観ていたら、ちょっと納得が出来ました。写真の自分に恋をしてくれれば、実物なんて、どうでも良いんですね。見合い写真を撮りに来た女が、それでイイんだって言い切っていたので、そういうもんなのかなって思いました。そういう人もいるんですね。

 

でも、この映画の中の今日子は、その実物の自分と、写真の中の自分と、どちらが本当の自分なのか判らなくなって、おかしくなっていくのですが、きっと、私もこの今日子と同じだろうな。自分の写真を修整しまくって、全く別人になってしまっていたら、混乱して、自分の価値を見出せなくなってしまいそうな気がします。写真の自分って、何なんだろう。SNSに載せた写真と実物が違っているのに、平然と人前に出れるもんなのかしら。いきなり出てきたら、超太っているとか、ブサイクだとか言われて、詐欺だと思われたら恥ずかしいと思わないのかな。陰口で、”あれじゃ、修整しないと出せないよねぇ”とかって言われていると思わないのかな。私は、恥ずかしいなぁ。

 

 

この今日子は、人気だった過去があるらしく、その完璧だった自分と、今、怪我をして醜くなった自分とを比較して、今は傷があるから人気が無いんだと思っているんです。械は、本当はそうじゃないんだよって言ってあげたいけど、女性恐怖症だし、上手く話しが出来ないから、そばにいることしか出来ないんです。でも、械がいる事で、彼女は救われると思いました。彼だけは、きっと現実の今日子をずっと撮り続けるでしょうから。

 

カマキリが二人の比喩として出てくるんです。械がペットとしてカマキリを飼っていて、毎日、肉の餌を与えて可愛がっています。そんなカマキリは、雌が子孫を残すため、産卵する為の栄養として雄を食べるという性質があり、械も、全てを今日子に捧げても良いという考えに至っていくんです。究極の愛ですよ。それほどに愛されたら、その愛に答えなくちゃね。

 

 

何とも説明するのが難しいですが、深い愛が描かれていました。こんな愛し方は究極だと思います。ここまでは出来ないですよ。愛していても、カマキリのように自分の全てを捧げるなんてことは出来ません。それに、それって、本当にお互いに幸せなのかなぁ。何とも私には、理解しがたい愛でした。

 

そうそう、葬儀屋の男性が出てきて、二人を応援するのですが、その葬儀屋さんも究極の愛でしたよ。脇の人にも愛を描かせることによって、誰もが愛を持っているという事を表しているように見えました。

 

 

私は、この映画、お薦めしたいと思います。凄い考えさせられる、深い愛の姿が描かれていました。独特な雰囲気があって、最初は、素人映画っぽく見えてしまうのですが、あれ?と思っていると引き込まれていき、どうなるのかな、どうなるのかなって釘付けになって行くんです。面白かったです。ぜひ、観に行ってみてください。

ぜひ、楽しんできてくださいね。カメ

 

 

「写真の女」