「もち」を観てきました。
ストーリーは、
一関市の住民の人びとが出演し、言葉や伝統、感情をありのままの形で残すという手法で、ドラマでありながら限りなくドキュメンタリーに近い作品として製作された。
岩手県一関市骨寺に暮らす14歳のユナ。おばあちゃんの葬式で、一人、寒い中、祭壇の前に座り、動かないおじいちゃんに、家族が部屋で温まってと言うのに、言うことを聞かない。ユナはそんなおじいちゃんを横目で見ながら、スマホで遊んでいると、おじいちゃんがもちをつくから手伝えと言う。
おじいちゃんは、臼と杵でつく昔ながらの方法で餅をつきたいと言い張り、家族は用意をしてくれた。家族は手間をかけなくても餅つき機でも同じようにおいしい餅が作れると説得したのだが、おじいちゃんは頑なに昔ながらの方法で餅をつくと言って聞かなかったのだ。そんなおじいちゃんの心の機微を敏感に感じたユナは、おじいちゃんにそっと寄り添う。
ユナの中学は今年で廃校となることが決まっており、1年間、色々な行事を精一杯行ってきた。皆が最後だと思って努力したのだ。ユナの友達は、卒業を機に引っ越しをするといい、同じ県内だが、簡単には行けない場所に引っ越してしまう。友達のお兄さんが気になっていたユナは、最後になるかもしれないと思い、気持ちを伝えようとするのだが・・・。
後は、映画を観てくださいね。
この映画、ドキュメンタリーの中でドラマを進めていくような感じの作品で、観ていて、ちょっと変な感じでした。ドキュメンタリーだから普通の生活の中を映しているけど、やっぱり映している事で人々の動きはわざとらしくなっているんです。その中にドラマを入れていて、女優さんらしき人が演じているのですが、申し訳ないけど演技が学芸会レベルなので、ぎこちないドキュメンタリーと、学芸会レベルの演技のドラマが混在している状態で進んで行くので、観ていると眠くなっちゃって・・・。
「もち」というものが彼らの生活の一部になっていて、長い間語り継がれてきた伝統を受け継ぎながら、生活も受け継いでいって欲しいという思いがあるけれど、でも時代は変わり、スマホを持ち、便利な機械が出来てきて、受け継ぎたくても受け継げずに消えて行ってしまうというモノを哀しく思っているように見えました。
伝統芸能や伝統工芸などなど、色々なモノは残すべきだし、残っていて欲しいと思うけど、生活は便利になって行きますよね。そのおかげで、病気になっても生きられる可能性は広がったし、人の行動範囲は広がってきたんです。確かに、こんなで良いのかなという思いもあるし、
自然を破壊して開発して便利にするのは良いとは思いません。
でも、日本の人口は減っているし、コロナの影響で観光事業は縮小の一途をたどるでしょう。自然を開発したって誰も来なくなるから、段々と開発なんて仕事は無くなり、リモートが進んで、過疎地という言葉が都会に使われるようになるかもしれません。みんな、地方の自然の中に広い土地を手に入れて仕事をするようになり、都会のオフィスなんてガラガラになってしまうんじゃないかな。だって、オフィスを借りる意味が無いでしょ。そうなると家賃収入で食べている不動産管理会社は潰れるんだろうなぁ。
映画と関係ない事を書いているように見えるかもしれませんが、コロナ禍で、色々な事が変わっていき、この映画で描かれているような、過疎地の活性化が進むかもという事なんです。都会で狭いマンションに住んでいたのでは、リモートでの仕事は不向きでしょ。子供もいるなら、過疎地に大きな家を買って住んで、子供は自然の中で成長し、大人は空気の良い静かな場所で仕事をするとなったら、仕事の効率が上がるんじゃないの?
そうしたら、この映画で描かれているような、人間らしい生き方が、また人々に戻ってくるかもしれません。出来れば、そんな未来が開けると良いなと思った映画でした。ちょっと、感想が遠回りしちゃったけど、こんな感じです。
あのね、ちょっと観難いし、眠くなっちゃう映画でしたが、あとから整理してみると、人間らしく生きるってことを描いているようで、良い映画だなぁとしみじみ感じました。私は、この映画、お薦めしたいと思います。始まってすぐは、ちょっと何なんだろうって思ったけど、後から辿ってみると、頷けるような映画でした。ぜひ、観に行ってみてください。
ぜひ、楽しんできてくださいね。![]()




