「検察側の罪人」の試写会に行ってきました。”映画ランド”というサイトのご招待です。便利なアプリですよ。
ストーリーは、
都内で発生した犯人不明の殺人事件を担当することになった、東京地検刑事部のエリート検事・最上と、駆け出しの検事・沖野。やがて、過去に時効を迎えてしまった未解決殺人事件の容疑者だった松倉という男の存在が浮上し、最上は松倉を執拗に追い詰めていく。最上を師と仰ぐ沖野も取り調べに力を入れるが、松倉は否認を続け、手ごたえがない。沖野は次第に、最上が松倉を犯人に仕立て上げようとしているのではないかと、最上の方針に疑問を抱き始める。
というお話です。
司法制度改革により、法科大学院を経て司法試験に合格した司法修習生の1期となる生徒たちが並ぶ教室に、最上毅の声が響く。「導入研修も終り、各地に散らばっての実務修習に入る。君たちが持っているのは抜群に切れる真剣だ。最初から上手く振れる訳は無いが、その内自分が取るべき太刀筋も見えてくる。」と言う言葉をかける。その司法修習生の中に、沖野はいた。沖野は成績も良く、最上に気に入られていた。そんな沖野も、地方への実務修習に旅立っていく。
それから7年ほどになるだろうか、沖野は東京地検に配属され、最上の下に着くことになった。いくつかの仕事を経て、ある老夫婦殺害事件の担当を、最上が沖野に振り分ける。凶悪事件であり、沖野にとって、初めての大きな事件だった。最上は自分も付くからと言って、警察に混じって捜査の行方を見る。その内、容疑者が上がり、その中に、ある殺人事件で容疑者として上がった男の名前がある事に気が付く。警察内部は沸き立つが、何故か最上もおかしな顔をしている。沖野は、以前の事件を知っているのですかと聞くが、知らないという。
事件の捜査は進み、何故か、以前に容疑者になったと同じ松倉という男が容疑者として残ってくる。松倉を呼んで、任意で尋問を始めるのだが、どんなに問い詰めても自分はやっていないと話す。そして、あまりにも責められ、既に時効を迎えた以前の女子高生殺人事件は自分が犯人だが、今回は違うと告白したのだ。時効を迎えた事件については、どんなに犯人が判っても逮捕する事が出来ない。しかし、新しい事件の犯人となれば、逮捕する事が出来る。しかし、松倉はやっていないというのだ。
それからも捜査は続き、弓岡という有力な容疑者が上がってくる。定食屋で殺人をした事を自慢するように話していたことがきっかけとなった。そして弓岡を捕まえて尋問をしようとするのだが、ある時点から、弓岡が消えてしまう。そして時を同じくして、松倉の物である新聞にくるまれた凶器が見つかる。そして松倉が犯人だという証拠が揃ってくるのだが・・・。後は、映画を観て下さいね。
これ、スミマセン。もし、この映画を期待をしている方は、観た後に、この感想を読んでください。ネタバレはしませんが、観る前に読むと、観る気が無くなってしまうかも知れません。本当にごめんなさい。でもね、これ、ダメなんですよ。原作が訴えている事と、全く反対になってしまっているんです。何で、こんなに脚本を変えてしまったんでしょうか。それに、パッと見はこの二人の主演でも良いですが、映画を観ると、原作のイメージと全く違うことが判ってしまいます。本当に残念です。原作者の雫井先生は、これで納得してくださったんでしょうか。
老夫婦殺人事件を最上と沖野が追っているのですが、それとは別に、最上の中で、友人の衆議院議員・丹野の収賄事件が流れています。丹野は検察に追い詰められているけど、本当は国を良くする為に動いていたからで、責められるべきは彼では無いのに、丹野が矢面に立っている。片や、殺人事件を犯していても、平然と逃れている奴がいる。それが、最上の中で入り混じり、悪い方向へ行くのですが、この映画を観ているだけだと、それが良く分かりません。その辺りは、原作の表面を薄くなぞっているだけなので、原作を読んでいないと理解が出来ないと思うんです。丹野が窮地に立って行くと、最上の松倉への憎悪が大きくなって行くという意味が伝わらないんです。
そして、松倉の裁判をする為に国選弁護人が選ばれて、沖野は、そちら側に付くのですが、弁護士側には冤罪が得意な弁護士も参加して、検察側を追い詰めて行くんです。でも、映画ではそれが描かれず、突然、冤罪が晴れた祝いのパーティに、どこからか年配の弁護士が出てきて祝っている姿が出てくるだけ。その人、誰?って感じなんです。何の説明も無いので、あまりにも間引きすぎじゃないかなと思いました。山崎努さんが出演しているのに、観る人には誰だか分からないと思います。
原作には無い設定で、老夫婦の息子がヤクザなのですが、それも何の意味があったのか判らずじまい。意味あったのかな?原作では普通の娘がいただけだと思ったけどね。とにかく、脚本が酷かったなぁ。
検察事務官の橘という女性が沖野の事務官として付くのですが、何故かこの女性が検察の暴露本を出す為に、事務官として就職したという事になっているんです。バックの中にカメラを仕込んでいたり、録音をしたりしているのですが、これ犯罪ですよね。スパイ行為に当たるんじゃないの?全部、外に筒抜けじゃないですか。何だか、あり得ないなぁと思いました。
うーん、私は、最上と沖野の戦いだけを描くために、丹野の政治的な部分は削れば良かったのではないかなと思いました。既に、観る人間には、丹野の敗北が松倉に繋がっている事は全く伝わっていないんです。なので、もう、木村さんが以前やっていた「HERO」みたいに、浅い検察官のお話にしてしまえば、まだマシだったかもしれません。
木村さん、今回はいつものヒーロー的な雰囲気では無いように頑張っていらっしゃいましたが、彼は人間の弱い部分が演じられないという事に気が付きました。人間は、表で強い顔をしているほど、内面は弱いんです。原作の最上もそうですが、弱いからこそ、自分を押さえられずに行動してしまう。そこが、上手く演じられていないのだと思いました。そして思ったのですが、木村さんの周りが悪いんですね。だって、弱さを表すなら、白シャツやスーツを大きめにして、少しオッサンぽくするだけでも、随分弱さは出るんです。ピチピチしたランニングや、ピッチリの白シャツでは若作りとしか思えません。いつも周りがキムタクというブランドを貼り付けようと、同じ雰囲気に作りあげるから、何をやっても同じようになってしまう。もうオッサンなんだから、オッサンに作れば良いんです。その映画の人物とするなら、当たり前でしょ。なんでキムタクにしようとするんですか。今回ばかりは、木村さんが可哀想になりました。そろそろ周りも気が付いたらどうですか?本人が一番迷惑をしていると思いますよ。彼の努力は良く分かりましたもん。可哀想です。
二宮さんは、相変わらず、このタイプの役は上手いですね。上の者について行き、段々と対峙する。うんうん、これこれ。渡海とはちょっと違うけど、これも好きです。珍しく濡れ場がありましたね。ほんのちょこっとだけだけど。今後は、良い役者として、色々な役もやって行って欲しいな。昭和初期の文学作品を、もっとやって欲しいです。「坊ちゃん」も良かったけど、もっとドロドロした恋愛ものとか、そろそろやっても良い年齢だと思います。濡れ場も大切な文学なので、やって欲しいです。
ああー、まだまだ書き足りないけど、長くなっちゃった。だって、原作と違い過ぎるんだもん。私は、映画のラストには納得出来ません。これでは、ダメだと思います。ネタバレしないと書いたので、絶対にしませんが、これはダメです。いくら二宮さんが、原作と同じように叫んでも、その叫ぶ内容が違って来てしまっています。
最期に、この映画では、善と悪の2面が描かれていますが、それに関わる人間の立場によって、善悪は変わるんです。殺人が起こったら、殺した奴は悪いけど、殺されるほどの事をした人間かもしれない。それは、本当に判らないんです。だから、いつも思うのですが、白黒に綺麗に決めつけられる事なんて、この世の中には少ない。必ず、グレーの部分が出てきてしまう。でも、そのグレーを許容出来る事こそが、人間の在り方だと思うし、人間の器の大きさだと思うんです。右の頬を打たれたら左の頬を出すほどバカでは無いけど、でも、打たれたら打ち返すのではなく、文句を言うくらいで治められる人間で良いんじゃないの?何事もほどほどに、良い”塩梅(あんばい)”で出来たら、そんな良い事はないと思いますよ。
私は、この映画、申し訳ありませんが、お薦め出来ません。出来たら、原作を読んでみて下さい。私は、原作に描かれているストーリーの方が、より現実的だし、面白いと思います。まぁ、人にもよるので、私に流されず、ぜひ、観に行ってみて下さい。
ぜひ、楽しんできてくださいね。
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