「彌勒」これは難解な映画でした。私は、あまり理解が出来ていないと思います。 | ゆきがめのシネマ。劇場に映画を観に行こっ!!

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観てきた映画、全部、語っちゃいます!ほとんど1日に1本は観ているかな。映画祭も大好きで色々な映画祭に参加してみてます。最近は、演劇も好きで、良く観に行っていますよ。お気軽にコメントしてください。
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「彌勒」を観てきました。


ストーリーは、

「第一部 真鍮の砲弾(しんちゅうのほうだん)」
13歳の少年・江美留(えみる)と友人たちは、自分たちの将来を夢みていたのだが、江美留だけは自分の将来がはっきりと分からなかった。ある日、大きな望遠鏡を覗く天文学士に「そこから何が見えるのですか?」と尋ねてみると、天文学士のおじいさんは、「教えてくれないか、僕たちは何処からきて、何処にいくのかを?」と問い返す。そんななか、江美留は一冊の本のなかに、彌勒(みろく)の写真をみつけ、そこには「五十六億七千万年後に、人類全てを救済するもの」と書かれていた。

「第二部 墓畔の館(ぼはんのやかた)」
それから十数年後、青年・江美留の人生は小説家になるという夢とは真反対の地獄にいた。
青年・江美留は思う。少年の時の自分の夢と決断は本当に正しかったのか? 奈落の底にいる江美留の前には度々、鬼が現れこう問いかける。 「おまえの目指す人間とは何か?」と。
果たして、江美留はその答えをみつけだすことができるか? そして、少年期にみた彌勒の姿とは、いったい何であったのか?その答えは、謎の映画『彌勒 MIROKU』のなかにある!

というお話です。

ゆきがめのシネマ。試写と劇場に行こっ!!-弥勒

もう、このストーリーを聞いただけで、訳、解んないでしょ。私も、観ていて、ほとんど理解が出来ませんでした。なので、自分流の解釈で感想を書いてみますね。原作者や監督が描いたものとは違うかも知れないけど、私の脳では、これ位なもんです。

映像が、江戸川乱歩を思い出させるようなレトロな感じで、モノクロなんです。でね、子供の役を、もう成人した女性がやっているので、とても違和感があり、まるで昭和の”ぬりえ”から抜け出てきたような雰囲気でした。見た目は、南海キャンディーズのしずちゃんそっくりで、頭が大きくて、ぷっくりした容姿で、5人の少年が出てくるのですが、顔の区別がつかないくらい、同じような顔でした。そんな5人が、夢見る少年を演じていて、その舞台は、「パノラマ島奇談」のように不思議な場所でした。もう既に、これだけでもパンクしそうでしょ。(笑)

ゆきがめのシネマ。試写と劇場に行こっ!!-弥勒

この5人が、それぞれに夢を見ていて、現実とのギャップに悩むんです。一人は自殺をしてしまい、残された4人は、天文学士より与えられた問いに、どう思いを巡らせたのか。「人は何処から来て、何処へ行くのか。」という質問は、命が生まれた時から問われてきたもので、誰も答えなど見つけることが出来ないんです。でも、江美留だけは、彌勒の写真の言葉から、何かを受取ったように見えました。

そして、大人になった江美留は、その彌勒の写真と言葉が頭から離れず、自分の正しい道を見つけられずに、ただ、底辺を彷徨っている虫のようでした。作家にはなったものの、全く、原稿用紙に筆は進まず、ただ、質屋に持っていき、酒を飲む金に変えるような男に落ちていたんです。

そもそも、彌勒とは、最後の最後に人間を救済してくれる人であり、シッタールダが仏陀となり消えた後、次に仏陀となり救済するのが、この彌勒であると言われているらしいです。

ゆきがめのシネマ。試写と劇場に行こっ!!-弥勒

江美留は、そんな彌勒の影を追い続け、救済をして貰う為に、ワザと堕落した生活を送っていたように見えました。正しく生きていれば、救済は必要ありませんもんね。そして、何故、救済を求めるのかと言うと、自殺した友達を助けられなかったということが、いつまでも引っかかっていたからではないかと思いました。自分は友達を助けられなかった、だから、幸せになったのでは、自分も救済して貰えない。不幸のドン底に居てこそ、罪人の自分も、彌勒に救済して貰えるのではないかと思ったのかも知れません。マゾですね。(笑)

そして、フッと気が付くんです。シッタールダが悟りを開いて仏陀となったように、自分も悟りを開くことが出来るのではと。探して、助けて貰う事ばかり考えていた江美留は、自分が悟って、人を救済する方に回れるかも知れないと言う事に気が付いたのではないかと思いました。それが、私の答えです。助けてもらうのではなく、助けるのだと。そして、自殺した友達を助けられなかった罪から、解放されたのではないでしょうか。

ゆきがめのシネマ。試写と劇場に行こっ!!-弥勒

もっと難しい事を言っていたのかも知れませんが、私は、こんな感じしか理解出来ませんでした。また観れば解るのかなぁ。それこそ、何度か観て、悟れる日がくるのかも知れません。

そうそう、映像の最初に、蓮の花が蕾から開くのですが、蓮の蕾って、男性器に似ていませんか?それが開いて、その中に彌勒が座っているというのは、何とも、生命の神秘を感じました。そこには、女性の必要性が無いんです。この映画でも、女性は不浄のもののように描かれているところもあり、彌勒は汚されないのだということを描いているのかもって思いました。


ゆきがめのシネマ。試写と劇場に行こっ!!-弥勒

なんか、観ていて、色々な細かいところが気になったのですが、それを上手く伝えられません。頭の中に、フラッシュバックのように残っていて、まとめきれないんです。不思議な感覚です

ここで、私は、シッタールダと彌勒が出てくると、どうしても、「千億の昼と百億の夜」と結び付けてしまうんです。ゴメンナサイ。救済と言いながらも、ただ、人類を消滅へと導く為だけの指標として彌勒があったのだとしたら、その前に悟ったシッタールダと阿修羅が頑張っても、消滅を止めることは出来ない。人は、ただ、楽になる為の消滅へと導かれてしまう。そして転輪王により、新しい世界が創られることとなる。

彌勒、救済、夢、空、そういう単語が、まだまだ、繋がらずに頭の中を漂っています。でも、その感覚も、何となくステキ。流れる川で浮かんでいるような、まるで、ハムレットのオフィーリアのような、そんな感じなんです。

ゆきがめのシネマ。試写と劇場に行こっ!!-弥勒

だけど、私は、力強く生きる人間が好きだし、救済を求めるためにワザと堕落するなんて許せないし、まして、救済を待つなんてことはしたくない。どうしようもない窮地に陥った時には助けて欲しいけど、救済はいらない。救済って施すことであり、人の上に立つことでしょ。施しを受けて、気分が良い人が居ると思う?自分の無能さを突き付けられるだけ。優越感に浸りたいからチャリティーやボランティアという活動があるんでしょ。もちろん、そういう活動は必要だと思っているけど。

この映画は、難しいです。どう解釈して行ったら良いのか、良く解りません。でも、自分の好きに理解する事にしました。また、長い文章を書いてしまった。どうしても、書きながら解き解して行こうと思うから、書いていると、色々な事に気が付いていくので、長くなってしまうんです。ゴメンナサイ。

ゆきがめのシネマ。試写と劇場に行こっ!!-弥勒

私は、この映画、お勧めとは言えませんが、私のこの感想を読んで、興味を持ったら、行ってみて下さい。きっと、観た人、それぞれの感じる感覚と、理解の仕方があると思います。原作もあるのですが、私は読んだことがありません。そして、読まない方が良いような気がしています。 ハマりそうなので・・・。(笑)

ぜひ、楽しんできてくださいね。カメ





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