今日からイタリア映画祭が始まりました。楽しみにしていたので、嬉しいです。今回も、全作観れるように予定を組みました。ゲストに会えるのも楽しみです。
と言う訳で、最初の作品、「天空のからだ」です。
ストーリーは、
思春期の少女がとまどいや葛藤を抱きつつも自分なりの生き方を見つけていく歩みを、繊細な演出と瑞々しい映像でたどる女性監督ロルヴァケルのデビュー作。13歳のマルタとその家族はスイスから10年ぶりに帰国し、南イタリアのレッジョ・カラブリアに再び住み始める。カトリックの儀式を受けるために、マルタは教会の日曜学校に通うが、その世界になかなかなじめないでいた。本作は、昨年のカンヌ国際映画祭監督週間に選ばれたのをはじめ、数多の映画祭で上映されている。
というお話です。
キリスト教の教えがどんどん拡大解釈され、上に立つものの都合の良いように作り変えられ、その欲望を満たす為の宗教に変わってしまっている、現代のイタリアのキリスト教を描いています。この映画によって、末端のキリスト教教会が変わってきてしまっているのを問題視したキリスト教の上の方もいらしたようで、この映画がイタリアで公開された後、監督に公演依頼などの話がいくつも来たようです。反対に、そんな事は無いと撥ねつけたキリスト教関係者もいたようで、公開後は、色々な議論が飛び交ったようです。
そんな問題作なのですが、日本に居ると、宗教って問題視されていないので、それほど解りませんよね。日本にだと、、宗教って、カルト教団などが話題になるので、宗教に入っているとか言うと、ちょっと白い目で見られるようなところがありませんか?申し訳ないけど、私も、ちょっと宗教って恐いものだという概念が頭に定着してしまっていて、どこかの信者さんとか言われると、冷たい目で見てしまうんですよね。弱い人間で、操られているんじゃないのって思ってしまうんです。偏見バリバリでゴメンナサイ。
でもね、この映画を観て、それがもっと強くなりました。だって、選挙の票を集める為とか、地位を上げてもらう為とか、好きな人を手に入れる為とか、どの宗教家も、自分の欲望の為にのみ、その宗教を利用しているんです。全てが自分の欲望のため。そんな姿を、主人公の13歳の少女は目の当たりにします。そして、とても汚いものを見るような目で、彼らを見始めます。最初は、彼女が我儘なのかなって思ってしまいますが、段々と、それが、大人の汚い姿を見ての行動なのだということが解ってきます。
子供にとって、お金や名誉なんて何の意味もないから、司祭だろうがシスターだろうが、人間としての本当の姿が見えるんですよね。その欲望によって右往左往する姿は、あまりにも滑稽で、悪魔のように見えたのかもしれません。そして、大人になっていく自分も、そうなるのかもと、不安な気持ちで一杯なんですよ。そんな彼女の不安な気持ちが、こちらにも痛いほど伝わってきました。
途中で、廃村になってしまったところに一人居る神父さんが、少女マルタに、キリストは怒っているんだという事が聖書に書いてあるんだよと教えるんです。”エリ・エリ・サバクタニ”=”神よ。どうして、私をお見捨てになったのですか?”という言葉が何度か出てきて、現在の宗教など望んでいないという事を暗に伝えていたのかなと思いました。なんか、そう考えていくと、復活したキリストの”ノリ・メ・タンゲレ”=”私に触れるな”という言葉も、欲望にまみれた汚い手で、神になった私に触るなという風にも聞えます。本当は、もっとシンプルに聖書を解釈して、教えを守っていけばよいのに、どんどんおかしくなっていく。生命がここに息づいていることこそ、奇跡なのだから、それ以上に望むことなど無いでしょってことなんです。
そんな問題作は、色々な映画祭でも話題だったようです。私は、結構、真剣にのめり込んで観てしまいました。バチカンのある国で、これほど宗教とはっていうことを描いた作品は珍しいと思います。観てみて、宗教について考えて見ると、結構、面白いと思いますよ。そして、訳の解らない宗教や占い師に引っ掛からないように、ちゃんと気をつけましょう。貴方の為といいながらお金を要求したり、要望を出したりという、欲望を出す人間は、一番神様から遠い人間ですからね。(笑)
公開は、まだl決まっていないのかな。公開すると良いですけどねぇ。
宗教色が強いので、日本ではヒットするのは難しいジャンルかと思うけど、日本の宗教法人の状態にとても似通っているので、公開したら面白いだろうなって思います。