先日、シアターコクーンで「ガラスの動物園」を観てきました。
ストーリーは、
大恐慌の嵐が吹き荒れた1930年代のセントルイス。その路地裏のアパートにつましく暮らす3人家族がいた。
母アマンダは、過去の華やかりし思い出に生き、子供たちの将来にも現実離れした期待を抱いている。
姉ローラは極度に内気で、ガラス細工の動物たちと父がのこした擦り切れたレコードが心の拠り所だ。
父親不在の生活を支える文学青年の息子トムは、そんな母親と姉への愛憎とやりきれない現実への閉塞感のハザマで、いずれ外の世界に飛び出すことを夢見ている。
ある日、母の言いつけで、トムが会社の同僚ジムをローラに会わせる為に夕食に招待する。
この別世界からの訪問者によって、惨めだった家族にも、つかの間の華やぎがもたらされたかのようだったが…。
というお話です。

去年、テネシー・ウィリアムズの生誕100周年記念だったそうで、数多くの作品が上演されたようですが、普段でも、彼の作品は、人気なので、結構、上演されているようですね。テネシー・ウィリアムズと言えば、「欲望という名の電車」が一番有名かな。この「ガラスの動物園」は、作者の実生活を映したような内容で、彼の暗い部分が、とてもよく描かれています。

舞台美術が、とてもステキでした。雰囲気で言えば、”ルネ・マグリット”の絵のようなんです。遠近法を使い、不安定な不思議な感じを表現していて、彼等の住んでいるアパートのどんよりした暗さや、よどんだ空気、解り合えない家族の姿を映していました。ダンサーが出てくるのですが、このダンサーが、よどんだ空気のようなものを表現しているように見えて、シュールレアリズムの時代を思い出しました。
母親のアマンダは、日本でも良く見る、自分中心の女性の典型で、自分がやることはすべて正しくて、すべて素晴らしいと思っているんです。自分が世界の頂点にでも立っているがごとく思っているんです。私の友達にも居ます。間違っていても、決して間違ったことを認めないんです。呆れてしまって、周りの人間は、段々離れて行きますよね。モンスターペアレンツも、この一種でしょ。本当に、そんな親に育てられた子供はどうなっちゃうんだろうって心配になりますが、仕方ないのかしら。子供が大人になり、おかしいことに気がついて、親に自分で言わない限り、この間違った連鎖は続いていくのでしょうね。

このローラとトムは、このアマンダに育てられ、すべてを決められて、自由に身動き出来ないほどになっているんです。そして、一人は引きこもりになり、一人は逃げたいと思っているけど、母親に口答えできない。そんな自分を歯がゆく思っている弟のトムと、諦めてしまって、少しおかしくなってしまった姉のローラ。こういう家族って、日本でも結構いるよなぁって思いました。
母親の支配欲って、凄いですよね。子供ががんじがらめで息も絶え絶えなのに、気が付いていないんですもん。周りの人間は、見て直ぐにわかるような状態なのに、母親は全く気がついていないんですよね。そして、最後に子供が壊れてしまう。助けてあげたいけど、DVのように身体に痕が残るわけではないし、心を傷つけられている訳だから、たちが悪いんです。身体に傷が無くても心に凄い傷が付いているのを、助ける手立てが有れば良いのに。考えてしまいます。日本の精神医学者って、TVで偉そうに話しているけど、お金を貰わないと動かないんですもん、最低ですよね。近くに困っている人が居たら、助けるのが人情ってもんじゃないのかな。TVに出てお金貰ってるなら、その分、困っている子供を助けてあげれば良いのに。
すごく考えさせられる内容で、面白かったです。舞台の美しさも、今まで見た舞台とは違っていて、感動しました。難しい題材だけど、立石さん、瑛太さん、深津さん、鈴木さんの細かい動きや目線で、気持ちが手に取るように解り、本当に感動でした。また、長塚さんの演出の舞台、観てみたいと思いました。満足です。
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