今日は、「メランコリア」を観てきました。
ストーリーは、
巨大惑星メランコリアが地球に接近する中、ジャスティン(キルステン・ダンスト)は盛大な披露宴を催す。姉クレア(シャルロット・ゲンズブール)の夫(キーファー・サザーランド)が所有する豪勢な屋敷での宴は盛況だったが、花嫁のジャスティンはどこか空虚な表情だった。披露宴を取り仕切った姉夫婦はそんな妹を気遣うが……。
というお話です。
オープニングに、すごい韻が踏んでありましたね。最初は解らないので、ぼんやり観ていたのですが、後からの話を観ていると、水に浮かぶオフィーリア(ミレイ)や、足に絡まるグレーの毛糸のようなもの、庭に佇む3人など、オープニングでストーリーを語ってしまっていたなんて、驚きでした。音楽も、とても印象的で素晴らしいなって思いました。
それにしても、この映画、好き嫌いが極端になると思うなぁ。だって、内容としては、ノウイングと一緒でしょ。助けてくれる宇宙人が居るか居ないかだけだから。それを、とっても芸術的に、人間の心理的なものを深く描いているのがメランコリアで、はっきり言って、深く感情を入れ込んで観ない限り、感動は生まれないと思いました。
とにかく、映像と音楽のコントラストは、素晴らしく美しいと思いました。私は、こういうタイプ、好きです。大画面全体に、美しい物が現れると、何となく、気持ちが安定するんです。美しいと感じるということは、画面のバランスがとても良いということですもんね。安定していると、話が深く理解出来るので、好きなんです。
いきなり結婚式で、奇行を繰り返す花嫁って、酷いです。いやぁ、最初、キルスティンの演じるジャスティンは、精神を病んでいるのかと思いました。でも、どうしてそうだったのか、段々と解ってくるんですよ。ジャスティンは、普通の人間より、感覚が動物に近かったのだと思います。野生の本能が多く残っていた人間だからこそ、地球の異変に反応してしまって、奇行に向かってしまったのではないかと考えられるんです。動物は、死が近づくと、落ち着かなくなり、子孫を残そうとしたり、当も無く彷徨ってしまったり、果てはどこかに閉じこもってしまったりしますよね。それが、彼女に現れてきていたのだと、後から気がつきました。
メランコリアが地球に衝突することを知らないままでいるのと、衝突することを知っていて最後を迎えるのと、どちらが良いかと考えましたが、やっぱり、知らさないのが正しいと思いました。だって、知っていようといまいと、滅亡するのは一緒でしょ。一瞬で死んだ方が良いじゃないですか。地球が壊れてしまうのなら、何をしても逃れることは出来ないでしょ。だから、知ったところで、何も変わらないもん。それなら、知らない方がしあわせです。
観ていて気がついたのですが、キルスティン・ダンストの顔って、シンメトリー、ぜんぜん取れていないんですね。大画面のアップがあったので、感じたのですが、左右の顔がすごく違うので、彼女の顔は、見ているものを不安にさせるんです。この映画にはピッタリでしたね。彼女の顔のアンバランスさと、映像のシンメトリーと明暗が、生命の育みと無=滅亡というものを感じさせるのに、とても役立っていたと思います。
そうそう、メランコリアが地球に衝突するとなったら、この映画みたいにはならないでしょうね。既に、近づいただけで引力のバランスが壊れるので、温度が変わり、大陸は海に沈み、大気は不安定になり、衝突前に死んでしまっている人間がほとんどだと思いますよ。
この映画を観て考えたんだけど、地球に何か大きな星や隕石が衝突するって、すごくありえることで、それが何万年も無かったっていうのが、すごく運の良い星なのかなって思いました。地球が壊れることが無かったからこそ、進化があって、人間が生まれるまで繋がってきたんでしょ。他の星は、そうなる前に壊れちゃったりしているから、地球の近くに生命が見つからないんじゃないのかしら。いやぁ、凄いことです。宇宙って、すごい。人間が生きているってことは、凄いことなんですよね。ビックリです。
私は、この映画、じっくり観たいですね。映画館の大画面で1回観ただけでは、全てを理解することが出来ないと思いました。監督は、ハッピーエンドだって言っているそうだけど、確かに、これ以外のエンドは無いです。これが一番のハッピーエンドであり、この最後以外に考えられないかもしれない。この最後があるからこそ、人間とは、生きるとはって、考えられるのだと思いました。
ああー、長くなっちゃいましたが、私は、お薦めしたい作品です。でも、楽しめる作品ではないので、じーんとじっくり考えて感動するような作品が好きな方は、行ってくださいね。考えることが面倒な方や止めてください。
滅亡を前にしての人間の行動と心理を、じっくり楽しんでください。
・メランコリア@ぴあ映画生活
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