今日は、お友達がチケットを譲ってくれて、フランス映画特別上映会で、”突然炎のごとく”という1961年公開の作品を観ました。モノクロでしたよ。
ストーリーは、
オーストリアの青年ジュールはモンパルナスでフランス青年のジムと知り合い、無二の親友となる。2人はある時、幻燈を見て、アドリア海の島にある美術公園の彫刻の女の顔に魅了され、その彫刻に瓜二つのカトリーヌ(ジャンヌ・モロー)という女と知り合い、同時に恋に落ちてしまう。ジュールは彼女に求婚し、2人はパリの同じアパートに住んだ。やがて第一次世界大戦が始まり、ジュールとジムはそれぞれの祖国の軍人として戦線へ行ったが、ともに生きて祖国へ帰った。ライン河上流の田舎に住む山小屋にジムは招待された。その頃、ジュールとカトリーヌの間には6つになる娘もいたが、2人の間は冷えきっていた。ジュールはジムに彼女と結婚してくれと頼むのだったが、自分も側に置いてもらうという条件だった。3人の奇妙な共同生活が始まった。カトリーヌには、ほかにも男がいた。ジムは瞬間しか人を愛せない彼女に絶望し、パリへ帰って昔の愛人とヨリを戻した。数ヶ月後、カトリーヌは自分の運転する車にジムを乗せて疾走させ、壊れた橋から転落して行った。ジュールは2つの棺を火葬場に運ばせた。
というお話です。

もう、50年近く昔の映画なのに、すごいです。だって、ある女性を中心に、何人男性がいたんだろう。奔放な性格と言ってしまえば簡単ですが、現代用語で言えば、タダのヤリ○ンじゃんって感じ。セックス依存症の女の話としか思えないんですけど、おフランス映画なので、それも女性のステキな生き方と取られているようで、ま、別に、悪いとは言いませんが、あまりにも迷惑な女としか取れませんでした。
上映前に、関係者の方が解説をしてくださったのですが、この女性に好感を持つか嫌悪するか、どちらもあると思いますがとおっしゃっていたのですが、好感持つ人居るのかなぁ。日本に当てはめると、平安時代の光源氏の女版状態で、あっちに行っては・・・こっちに来ては・・・ってな感じでした。光源氏は、どの女性も傷つけないように気を使っていたけど、これは、相手を傷つけるのを楽しんでいるように見えて、人間の基本として、どうなのかなぁって思いました。

今回のイベントのテーマが”女たちの記憶”というもので、女性が生き難い世の中を考えるようなものらしく、自由に生きる女性を後押しってイメージなのかなぁとも思いましたが、だからって、女性が何をしても良いって事にはならないと思うんだけど。男であっても女であっても、自由に恋愛して、自由に生きてもいいけど、でも、他人を傷つけたり、弄んだりするのは、ルール違反なのではないかと思います。
それぞれ、性別によって、出来る事出来ない事がどうしてもあるのだから、お互い、それを理解して上手く補え合えば良いのに、同じようにやろうとするのって、おかしいと思います。だから、良くTVとかで、女性団体が対等だとか騒いでいるのを観ると、気分が悪くなります。だって、申し訳ないけど、そういう団体の人って、美しい人が居なくてイヤです。生き方が人間の顔を作るというので、批判ばかりしている人は、あまり良い顔にならないのでは。美しい顔とは、整形するようなそういう顔じゃないですよ。人間としての美しい顔です。
話がちょっと曲がりましたが、この時代に、この映像と構成、すごいと思いました。今観ても、面白いです。これ、出来たら、ちゃんとデジタル化して、画像や音声をキレイにして欲しいです。
今回、こういう古い映画を観て、改めて古い映画の素晴らしさを感じました。もっと色々観て見たいです。
