週末、下田に行ってきました。 下田といえば、ペリー来航の地。 ……なんだけれども、それ以外にも 個人的な萌えポイントが。 ペリーロードの先に了仙寺という寺があります。 ここは日米和親条約の細部を詰める交渉が 行われた場所なのだそうですが、 裏手に回ると洞穴が。
この洞穴は、古墳時代に墓として利用されていたそうです。
人骨のみならず、勾玉や水晶玉、土師器や須恵器なども
出てきたとか。
今から約1300~1400年前。
考古学を少し学ぶようになってから、
古代の遺跡にやたらコーフンしてしまいます。
さて、そこから時代は一気に現代に近づいて、
今から約70年前。
了仙寺から住宅街を抜け、高台を越えた先に
大浦八幡宮があります。
少し坂を下れば、もう太平洋が望める場所。
ひっそりと佇む八幡さまの脇に建立されているのは
陸軍が建造した潜水輸送艇(マルユ)の鎮魂碑。
建立は1994年。
戦死された将兵の名が刻まれ、
マルユ(〇にゆ、以下同)戦友会が建立したとあります。
碑文には次のように記されています。
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太平洋戦争で南海に孤立した将兵に海中を潜航して食糧や医薬品等を補給する排水量350屯の潜水輸送艇を陸軍が建造してマルユと称しその数は70隻に達した。東京派遣のマルユ2隻は硫黄島輸送の出戦準備中に玉砕の悲報を受け作戦は中止となり本土防衛に転じ下田港を前進基地にした伊豆諸島えの輸送に当り6隻に増強した 八丈島輸送から戻り鍋田に仮泊中の八号艇は終戦2日前の昭和20年8月13日早朝に米軍機の空爆を受け当直の10柱霊位が艇と倶に戦死した 50年祭に鎮魂の碑を建て平和を祈願する
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〇〇作戦や〇〇海戦など、歴史に名の残る戦闘ではなく、
名もなき輸送任務(ただし決死)に殉じた将兵たちもいた。
彼らには、この下田の海の輝きがどう映っていたのだろう。