タブーから自由になって、より健康で豊かな月経ライフを! ~バスク在住ドゥーラ 寺本裕美子~ -10ページ目

タブーから自由になって、より健康で豊かな月経ライフを! ~バスク在住ドゥーラ 寺本裕美子~

月経、妊娠・出産、育児や更年期。心とカラダの健康について、女性のエンパワメントのためのブログです。

こんにちは。バスク在住ユミコです。

(自己紹介はこちらをご覧ください。)

 

バスクは何日も雨が続き、少し日本の梅雨を思い出します。

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今日は早速本題に入ります。

 

近頃、

日本の助産師さんたちがとても熱いです!

 

新型コロナの影響でいく先を失った妊婦さんのために

オンライン産前学級を開いたり、遠隔サポートを提供したり、

 

ZOOMで様々なイベントや講座が主催されたり。

「助産師」をもっと知ってほしい!と勢いよく

世のためにとても頑張っていらっしゃいます。

 

 

 

今、世界中で「女性たちよ、今動くしかない!」という熱が広がっている。

 

「いま女性が動かなかったら、

もう世界は何も変わらない。」

 

助産師さんに限らず、いろんな場面で意識変革を起こしたい

女性が近年増えていますが、女性の絆を、今だとオンラインで国をもっと

またいで広げることができる、という可能性にエクスタシーさえ感じます。(笑)

 

テクノロジー音痴な私は、その波に乗り切れていない自分に沸々しております。

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(去年の国際女性デーのために作られた、スペイン最大の出産支援サイトのポスター。

「身体は私達のもの。出産は私達のもの。」というスローガン)

 

私は、12年前のお産で、日本の助産院でお世話になりました。

 

すでにスペインで暮らしており、

妊娠後にこちらの周産期事情を知るうちに、

 

日本より管理的な傾向が非常に強く、

助産師からも 「積極的かつ一方的に」

促進剤、無痛分娩を勧められ、バースプランもあるようで

ないようなケースが多かった当時。

(ありがたいことに今ではだいぶ変わりました)

 

これは、産む気満々だった私だから感じた事でもあります。

 

でも何よりも、いくら患者扱いでも、

日本のような「思いやり」があればまだましなのに、(笑)

 

「本当に助産がしたくてこの仕事に就いたんですか?」

「先生、私のこと聞いてくれますか?」

「言われた通りしろということですか??」 

 

というような印象を与える、一方的なスペイン医療体制に不安になり、

それまでの背景を理解しようとしたり、スタッフの都合や葛藤に配慮するより、

 

初めてのお産だし自分のことで精いっぱいだった私は、

「ここでは産みたくない」 と逃げるように、大急ぎで日本の助産院を探し、

信頼できる助産師さんたちに巡り合うことが出来ました。

 

言葉が間違いなく通じる、自分が選んだ場所で産みたかった。

 

 

 

産前産後、あらゆる情報が不足している。

継続的に頼れるような場所や人が少ない。

お母さんの感情も包容してくれる専門家とのつながりが、少ない。

 

そこで医療では受けられない地域サポート活動に励む

ドゥーラさん達、ほか専門家達に出会い、ドゥーラ育成を受けることに決めました。

 

「ここにも助産所があったら!」 とずーーーっと思っています。

 

(私が暮らすバスクでは、開業助産師は1チームしかありません。

自宅分娩をサポートする数少ない助産師は、病院勤務傍ら対応するという、

いつ誰に頼れるか分からない、とても不安定な状況です。)

 

 

助産師にはなれなかったけれど、ドゥーラとして母として、

補完的にできることでサポートしていきたいと思っています。

 

日本語で書いているため誤解が生じると困るのですが、

日本とスペインとでは文化や歴史が違うし、背景事情は違います。

 

これは、私がスペインで体験し、スペインで必要なサポートだ、と思い

育成をしました、という話しで、

 

こちらで学び広げたいと思ってきたことを、

日本でも共通すること、共感されることがあるだろう、と思って

これまでの投稿も書いています。

 

「助産」の定義や、赤ちゃんの権利、お母さんの権利。

赤ちゃんの発達や、お産の生理的な仕組み。

 

それをよくよく考えると、母・医療・行政、つまり社会全体がより繋がって

サポートし合う構造が「結果皆のために良い」ということがわかるし、

 

誰が上、誰が下、と言い争っている場合ではない、という結論に達します。

それを求める人たちが繋がり、助け合っていくことが大事なのだと思います。

 

もし気分を害することがありましたら、本当に申し訳ありません。

でも、私の意見も何らかの価値がある。

私も産んだ側の一人として、言いたいことがある。

それを尊重してほしい気持ちがあります。

 

 

 

だから、皆様。(特に政治、メディア関係の方… 笑)

ここで書くのも何ですが、謙虚に、でもマジでお願いします。

 

どうか、女性のため、よりよい社会のために日々コツコツと地道に努力する

助産師さんをもっと知ってください。

 

どうかこのチャンスを応援してください。一緒にのってください。

 

この、何世代にもわたって引き継いでいるかもしれない、

女性の身体の底から噴き出る気持ちを、どうか見守ってください。

 

何も言わなくてもいい。

話を聞いても、関心がない方ももちろんいるでしょう。

 

でも、どうか、いじめっぽい幼稚な事はやめてください。

女性に任せてみてください。

 

女性が心底望む変化は、社会全体のため。

 

命、女性の健康、赤ちゃんのため、我が子のため、

継続的な支援実現のため、正しい性教育のため。。。

 

地道な努力が必要な、長期戦なのです。

でも、まず女性が動かなければ、

きっと変わらないのです。

 

女性からも男性に伝える努力をしなければいけない。

これは、男性が女性を説得するより、もっともっと大変なのが現実です。

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話がまた少しずれますが…

 

私にとって助産所は日本の「国宝」です。

 

助産師さんは、お産に限らず性のプロセスに寄り添う「プロ」です。

 

助産師さんが増えることも願うけど、

個人的には、

地域に「助産所」がまた増える事を切に願っています。

 

遠くにいながらも、その為に何かしたいと思いつつ、

母・ドゥーラとしてのこちらでの経験しかないし、

まだこうやって書くことしかできていませんが。。。

 

 

 

私は2度のお産を助産所で夫婦、いや家族皆でお世話になりました。

(両親、弟夫婦も来た)

 

和菓子とコーヒーが好きで、

初めての産前の検診の時、勢いよくガッハッハと笑う3人チームを前に、

 

やや怖気付きましたが、帰る頃には身体が緩んで

「なんてラッキーなご縁なんだ❤️」と幸せでした。

 

最後の頃は、お家へ来てくれていた。

日本語片言の旦那さんと、一生懸命コミュニケーションしてくれた。

 

 

彼女たちの支えは、

一生忘れることのできない、恩の一つです。

 

お産はその後の人生を大きく左右する、大事なプロセスです。

そこで、ありのままの自分をまかせられる、

「見届けてくれる」「寄り添ってくれる」という安心感が、お母さんは必要。

 

助産所で私はそれを体験し、夫婦ともにとてもとても感謝しています。

 

 

助産師さん「が」、あなたのお産を助けるプロです。

そして、赤ちゃんが生まれる前から生まれた後もずっと、

「ここにいますよ」といつでも受け入れてくれる。

 

 

そして、

私たち「が」産むのです。

 

安心してお腹の子を育み産めるよう、赤ちゃんのため、

助産師さんと積極的に信頼関係を築くためにも、

 

お産の色んな体験談を聞いたり、どんな処置があるのか調べたり、

「大丈夫、あなたなら産めるよ」「あなたが産むんですよ」と

支えてくれる誰かを探したり、

 

困った時、不安で泣きたい時、夫婦喧嘩した時、恐い時にも相談できる相手。

安心感、自信を持てるよう、できることが沢山あります。

 

ガイドしてくれる助産師さんを頼りましょう。

 

医療者ではないけれど、補完的に一緒にサポートできる、

同じ思いで活動するドゥーラさんもたくさんいます。

 

 

 

産んでから分かることでもありますが。。。

 

出産はゴールではないんですよね。

そして、お産はその時の自分らしいお産になるのだなと

振り返ると感じます。

 

 

産む前から自分を知ってもらい、相手を知り、信頼関係を築く。

自分を受け入れてくれる場所と人。

 

それが一生の宝物になります。

 

出来る限りの事はした!という気持ちは、出産の結果がどうであれ、

その後の育児、自分にとてもプラスになる。

 

そして何よりも、

自分で自分を褒め称え、「産むぞ!」という気持ち。

 

そういうコンディションへガイドしてくれる、寄り添ってくれる助産師さんが

たくさんいますよ!

 

 

 

 

 

 

こんにちは! バスク在住のユミコです。

覗いてくださってありがとうございます。

 

ロックダウン解除に向け、少しづつ緩和が進むと同時に、

かなりカオスなスペインです。

 

自治州ごとにフェーズ0から1,2,3と少しづつ

行動範囲やできる活動が広がっています。

 

バスク自治州はフェーズ3に入り、やれ6月22日まで、やれ7月5日まで、

いや、選挙が7月半ばだからそれまでわからん、

 

…いつまで続くんや!!! とやや怒りのエネルギーが…。

 

自治州ごとに違いがあるのは理解できても、

皆何が出来て何が禁止されているのか…

結果、「もうどうでもいい」感がじわじわ広がっています。

 

 

田舎で暮らす我が家は、義務的な(笑)午前中の子供の

オンライン学習サポートのほか、家の修理やちょっとしたリフォーム、

畑仕事、子猫育てなどに専念しておりました。

 

そこで今日は、

「畑仕事」「子猫育て」と、「赤ちゃん」を絡めて書こうと思います。

 

(家の周りの木たち。)

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どんな植物も、動物も、命を与えられたからには、

備わった可能性を最大限にして一生懸命育とうとしますよね。

 

条件の合わない土に植えられたとしても、

たとえばオークの木は、その土地に合ったように成長し続けることを学ぶ。

 

毎年、気候条件が違ってどんな形に育つにせよ、

たとえ小ぶりでもブドウは実を付けたり、

花は遅咲きになったり、野菜も育つ環境に適応する力がある。

 

自分で育てるのであれば、それぞれに合う水やりとか、

相性の良い雑草について調べたり、

 

補い合って育つために、どんな野菜の組み合わせで植えるとよいか、

病気や虫から守るために、どの草を使えば対策ができるかとか。

 

出来るだけ適した環境に近づけるよう

 

お世話をすれば、野菜はより気持ちよく育ち、

自ら育てた野菜を食べる人の身体の喜びはより大きなものとなり、

その喜びを近所におすそ分けしたい、また育てたいと思う。

 

喜びをシェアできる環境で、お互い学び、育つ。

 

 

 

今飼っている子猫2匹は、まだ生まれたてで授乳中なのに、

「もう猫はたくさんだ」と、主が犠牲にするというので(泣)、

我が家と別の友人宅で育てることになりました。

 

名前は、皆さんもよく知っている絵本の主人公のように、

「ぐりとぐら」 (笑)

 

特に前から欲しいと言っていた次男は、お母さんになると誓い、

長男と一緒に毎日ミルクをあげながら、

 

どういう格好で飲むとよいのか、

どういう素材が一番気持ち良いと感じるのか、

 

どれくらい寝るのか、

いつ、おしっこやうんちをしたいのか、

いつ、ドライフードが食べられるようになるのか。

 

散歩にでたり、一緒に昼寝。

洗ってあげたり、うんちの処理。

近寄ってきたり泣き方によって抱えてあげる、ミルクをあげる。

 

失敗したりうまくいったりでも、

可愛くて可愛くてしょうがない様子の息子たちと、

 

お世話してくれる誰かがいる、じゃれてくれる誰かがいると

安心して大きくなっていく子猫たち。

 

生きる喜びと、育てる喜びが毎日循環している。

 

 

本当に育児中の母のようで、私は感動~。

きっと良い子育てをするだろう、と勝手に想像しています。(笑)

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近所に驚かれるほど、例年になくばっちりな野菜育てをし、

我が子と猫のやりとりの様子を観察している私ですが、

 

子供たちは自粛中ずっと家にいるわけですので、

実に純粋に、自分たちの要求や都合を押し付けることなく、

 

子猫たちを守りたい、無事に育ってほしい一心で

惜しむことなく付き添うことが出来ているんだ、と気付きました。

 

 

野菜や子猫と比べるな、と思う方もいるでしょうが…

 

本当に人間の子育てと共通すること、

人間の子育てを思わせる事がとても多いと思うのです。

 

そして、赤ちゃんの欲求と、育てる側の要求のバランスが良いことは、

とても大切だなと改めて思うのです。

 

 

 

生れてから1歳ごろになるまでの間、

最初はお腹の中の環境になるべく近くしてあげることはもちろん、

 

安全で、安心して育つ環境とは、

赤ちゃんの順調な発育のための必須条件で、

 

そのテリトリーで見守ってくれる「視線」、

抱えたり運んでくれる「身体」、

自由に身動きできる「床」。

 

とても大事な要素かと思います。

 

 

赤ちゃんって、瞬きもせず、じっと大人を見ては母性本能をくすぐり、

あの優しい匂いで周囲を虜にしますね。

 

赤ちゃんが与えるインパクトは非常に大きい。

それぐらい、生きる・学ぶことに対する欲求が強いのですね。

 

そして小さな赤ちゃんを見ると、「守ってあげたい」と感じるように

人間はできている。

 

 

出産とは、

 

「妊娠中、お母さんの身体に2つの魂が混ざり合い、

赤ちゃんが成長し、誕生後もまた、

お母さんと一つでいたい、という赤ちゃんの欲求を満たしながら

 

一人で自由に動けるまでの発育に寄り添うため、

その道の真ん中にあたるプロセスでもある」 と教わりました。

 

 

発育を続けるために、安全なテリトリーで、

守ってくれる身体(主にお母さん)で抱っこされること、

 

絆を感じるため、空腹を満たすため、消化機能のため、

生れる時に動いた頭蓋骨を元に戻す、などのために

おっぱいを飲むこと、

 

脳発達のために床で自由に転がり刺激を受け、手足を動かすこと。

そして発育を続けるために寝ること。

 

赤ちゃんは、毎日必死に独り立ちするために成長して、学んでいく。

生理的に、これら赤ちゃんの欲求は、ずーーーーっと変わっていません。

 

誕生後二つの身体になっても、しばらくはお母さんの身体と

一つであることを求めます。

 

 

でも赤ちゃんは、テリトリー確保のために必死なだけではなく、

置かれた環境に適応する、条件に従うことを学ぶ能力も

持っています。

 

「泣くこと」には色々理由がありますが、たとえば

お腹が空いているから泣いているところを、放っておかれるとします。

 

最初は何日も本能があるまま、純粋な身体の欲求として、

飲みたい、食べたいと泣き続けるけども、

 

これはしてはいけない。

これは必要ではない。

これは手には入らない。

 

「ない」「欠けている」、と言う感情への恐れも絡み、

理解し(諦め)、求め続けることをやめてしまいます。

 

そうすると、

 

「いつお腹が空いているのか分からない」となり、

「もらえる時に食べる」

 

と思考を組み立てるそうです。

 

「3時間ごとに」授乳しようというのは、

赤ちゃんの欲求には残念ながらあっていない、ということになります。

 

 

 

そして寝る時。

赤ちゃんは別室に寝かされるとします。

 

「ぼくのテリトリーでなければいやだ!!」

「ここはどこ? 寂しい!怖い!!」

と泣いても、

 

放っておかれ続けると、「だれも応えてくれない」 

ことを理解し受け入れ、結果一人で寝ることを学びます。

 

 

自由に動く時間も大切ですよね。

 

「自分自身でできないことはさせない」

これは、床に寝転がっていても何もできないから、ではなくて、

 

大人から見ると何もできてなさそうでも、実は結構な運動をしているし、

刺激を受けて喜んでいるんだから、ちゃんと親の目が届き、

危なくなくて何も訴えないならば、そのままにしてあげてもいい。

 

まだちゃんと座れないのに、ソファーの上で、

落ちないようにクッション固めにしておかれるより、

赤ちゃんは嬉しいはずです。

(土足で家に入るスペインでは、床で遊ばせることが苦手です)

 

 

これらは、身体の喜びの感情が少しづつ切断されていったり、

選ぶ・創造する、といった能力に影響が出たり、

 

「外」の要求と条件に合わせて発育を続ける、と言うことに

なる可能性もあるのです。

 

 

 

 

パートナーと一日で何回ハグする、キスするなんて、数えないですよね。

「3時間たったからチューしなきゃ!」なんて、時計見て動きませんよね?(笑)

 

赤ちゃんも、日によっては何回もおっぱいを飲みたかったり、

抱っこもしてほしい。 なんぼでもギューッとされたいかもしれない。

 

お母さんの匂いを嗅ぎたい。

お父さんの匂いを嗅ぎたい。

 

安全な環境で生きたい。学びたい。

それがまずの本能、発育のための条件なのですね。

 

身体の喜びを通して、それをシェアできる環境で、お互い育ち、学ぶ。

だから、オキシトシンやプロラクチンが出てお母さんと赤ちゃんがピタ――っと

一緒にいられるように、絶対ではないけれど、身体はデザインされている。

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「日本って子育てが上手な国なんでしょ?」

と聞かれることがあります。

 

粉ミルクの導入や無痛分娩を渋っていたから、授乳率も高い、

「ブラボー!」と、一部ではそう評判だったようです。

私は、ついでに助産院があることも伝えています。

 

 

川の字になって、家族一緒に布団で寝る。

私、これ最高な文化だと思うんですよね。

夜中、隣で親がセックスしているのも当たり前だったりして。(笑)

 

イスを使わず床で食事したり遊んだりできるから、

床に寝かせてあやしながら食べたり、大きい子をお膝に乗せるとか、

 

日本でもそうなりつつあるかもしれませんが、

家の造りが違うヨーロッパでは意識して作らないとできない環境です。

 

 

 

時代の背景を考えると、

昔は、女性である=赤ちゃんを育てるための知恵が経験上そろっていて、

 

周りの助けを得て子を育てられる安心感があり、

特別な知識を養う必要があまりなかった。

「沐浴」とか「授乳」とか、コンセプトに分けて教わることもなかった。

 

産業化してからの今は、

育てた野菜を食べるのではなく、誰かが大量に育てたものを買う。

 

学校という施設で学習し、医療という機関で健康になる。

「家庭」と「ケアすること」が地域生活の中心ではなくなってしまった。

 

忙しくて猫の手借りたい、1日40時間くらいだったらいいのにと感じるような生活で、

赤ちゃんの欲求を満たすことは、意識して行わなければ難しくなってきた。

いや、意識しても物理的に難しい時が多々ある。

 

そして、自粛中、必要最低限のことしかしないこの状況。

こんなこと言ったら気分を害する方もいるかもしれないけれど、

 

惜しみなく子猫たちを世話する息子たちを見て、

 

「これでいいんじゃない?」と思っている自分がいる。

今のシステム、もう崩していいんじゃない?と願う自分がいる。

 

 

赤ちゃんだけではなく、

お母さんを継続的に支える誰か、環境がもっと必要だし、

お母さんを支える助産師さんへの支援も必要な時代。

 

生れる、産む喜びをシェアできる場所が、それが繋げられる環境が

堂々と地域で存在するために、何ができるか。

 

大人の都合で決めるのではなく、もっと赤ちゃんの味方が増えてくれたら。

赤ちゃんを抱っこしてくれる大人が周りにもっといてくれたら。

 

管理的なシステムが、「女性の仕事」に必要以上に介入することがないよう、

もうちょっと皆で取り組めたら。

 

 

スペインで暮らしながら、

そう願う女性・母として、長々と想いを連ねさせていただきました。

 

こんにちは! スペインバスク在住ドゥーラのユミコです。

(自己紹介はこちら

 

世界中が「新型コロナウィルス」騒ぎで大変かと思います。

皆様いかがお過ごしでしょうか。

 

スペインは、ロックダウンが始まってからそろそろ2か月経ちます。

先週末から、やっとスポーツやお散歩で1時間の外出が認められるようになり、

年齢層に分けて時間配分され、3人までのグループ行動ができる、と。

今度は10人まで、と制限が緩くなるそうです。

 

スペイン人は、そういうのあまり守るのが上手じゃないんですよね。(笑)

予想通り、始めの数日は特に、散歩通りや公園は日曜日かお祭りか?!っていうくらいごった返しました。

これまで外出できなかったのも、守らない人が多いことを想定してのことだったのだと思います。

 

いずれにせよ、医療崩壊しつつも感染者数が爆増しないよう抑えることはできたようですので、

良かった、と言える一方、別の心理的病気を患ったり、体重が増えたり、

家庭内暴力が増えたり、子供への虐待が増えたり、「Covid-19」しか聞こえない今、

あまりメディアには出てこない無視されている問題が実在します。

 

妊娠中の方も大変つらい思いをして頑張っていました。

春になり初夏に向けて、とても気持ちがいい時期なのに、外出できないんですもん…。

他にも病気などが理由で、適度な運動が勧められているはずなのに、行うと罰金対象になる。

何とも矛盾しているではありませんか。

 

日本でもこの異例のことに、苦悩する方が多いかと思います。

はっきりとした規制がないのは本当に困りますよね。

分娩に関しては、全国共通して日本では立ち合いが出来ない、と聞きました。

事前に陽性検査がされない、ということでしょうか。

PCR検査は100%ではない、と言った理由でしょうか。

 

立ち合いを受け付けることは施設が受け付けるサービスであるかのような

情報も流れているようですが、これも本当に心が痛む。

 

なぜそうなったんでしょうか。それしか策はないんでしょうか。

これから長期戦となる日本、まだ改正の余地はあると思います。

(情報があまりないことに加え、これは厚生省などが規則としてそう決めた、というわけでもないようですね)

お母さんが選んだ方に立ち合いサポートをしてほしい、これは産婦の権利です。

 

 

スペインでは基本的に、産婦さんと立ち会う人が陽性でなければ、いつも通りの分娩が出来ます。

地方、施設がある場所、さらには日によって感染状況が違いますので、

各施設に最終的な判断を下す権利が与えられていますが、

厚生省から「立ち合いを慎もう」「母子別室にしよう」とは言われていません。

 

母乳などの産後ケアに関しても、スペインの機関含め

WHO、UNISEF、ラ・レーチェリーグや他母乳に関する大きな機関は、
 
Covid-19陽性だとしても、産後のSkin tu skin contact(カンガルーケア)をしてはいけないエビデンスはなく、
このような状況であるからこそ、より授乳(搾乳機の使用は「義務ではない」と主張)を勧め、
産後、母子別室にすることは、重症でない限り母子の健康のために行うべきではないとしています。

もし陽性で隔離される場合は、マスク着用、手洗いなどと言った必要なプロテクションをして、

お母さんと赤ちゃんは一緒に、加えてお部屋に付き添い人がいることも勧めています。

 

スペインでは、母乳を通して感染する、と思っている方は多いようです。

(ラ・レーチェリーグのサイト日本語版はこちら

 

母子の権利が一番、と言っているのではありませんよ。

助産師さんはじめ医療スタッフが疲労に耐えいつも以上のアテンションを提供していることには、

心から敬意を表します。助産師さんがいなければ、お産はできない。

医療スタッフも守らなければいけないと、もちろん思っています。

 

ただ、必要以上に母子の権利を奪うことになってほしくないと思います。

 

妊婦の皆さま、ご家族の皆さま、お産に関わる皆さま。

情報を探しましょう。求めましょう。情報を提供しあいましょう。

皆が赤ちゃんを守る責任者でもあるのです。

 

 

 

話しは少し変わって、

 

先日、次男と散歩中のこと。
牛の親子が授乳中だったんですが、私たちの気配に気付いた母牛は、

 

頭をブンっと振り向け、子牛はおやっとお乳を飲むのを止め、のっそりと出てくる。
親子共に、じーーーーーーっと視線を逸らさずこちらを見ている。

 

驚かせたくないので、しばらく危険物スキャンをされているかのようにジッと身動
きせず、(でもゆっくりスマホを取り出しパシャっと写真を撮り)
「悪いものではございません」的エネルギーで、優しく視線を真っ直ぐ返す。

 


母の身体ってすごい。母性ってすごい。
妊娠中は、ふくよかになり、肩幅も広がり、乳首は濃い色に変わっていく。
卵サイズの子宮は信じられないくらい筋肉を伸ばす。

 

お産で出し切った力と引き換えに、たくさんのスタミナの蓄えの素を与えられ、

産んだ瞬間、「この子を死んでも守ってやる」という気持ちのスイッチが本格的にオン
になり、続く長い道のりを共にする。

 

子宮の中での十月十日、

子宮の外での十月十日。

 

産後、赤ちゃんにとっては「自分=おかあさん」のような感じですね。

愛してくれる人たちの肌のぬくもりや声、「守られている」という安心感を得て

他人を信頼することを学び、

少しづつ歩き出し外に目を向け、「自分」の世界を作っていく。

 

牛の親子を見て、自分の産後を思い出し、

授乳中の温かい時間、誰にも邪魔されたくない…!と思うこと、あったなあーって。

歩き出すまでの成長を見守ること、何とも言えない、身体に刻まれる記憶。

 

 

お母さんってすごい。赤ちゃんってすごい。

 

 

 

教わらなかった生理と身体を、

知って・仲良し・健康に!

 

タブーから自由な、

より健康で豊かな月経ライフを

サポートします。

 

こんにちは! 

ドゥーラのユミコです。

 

 

今年も、例年通り何万人もが集まる、

「3月8日国際女性デー」、バスク地方ビルバオのデモへ!

 

ビルバオのデモにて

 

今年は日曜日なのでストライキはないけども、

張り切って参加しました。

(よかったらこちら もお読みください)

 

 

男女平等、皆のありのままを受け入れ尊重しようという

「フェミニズム」への偏見や誤解は絶えず、

意識作りへの道は長い。

 

性暴力もなかなかなくならない。

 

 

違いがある限り、少なくともそれを受け入れ、

お互いが生きやすい世の中を求めることは

間違いじゃない。

 

権利を主張するのは正しいこと。

 

 

女性がより自由に、より自分らしく生きることは、

世の中にとって平和な生活への道だと思います。

 

 

3月8日だけが女性デーではありません。

 

日々の教育、各々が問いかけることの大切さ、

 

格差が及ぼす不平等な出来事や

苦しみを忘れないよう、

 

こうして毎年集まり再認識するための

3月8日なのです。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

私が個人的に女性だけでなく

皆にとって大切と感じ、訴えたい事は↓

 

少女の頃から植え付けられた固定概念。
そこから生まれる格差。

 

出産は美しいものと映っても、

 

私達のカラダの本質であるはずの

生理はなぜかタブー。

 

 

「恥ずかしい」「穢れ」「面倒くさい」

 

 

国によっては生理は女性特有の「病気だ」、

と当たり前に信じられていたり、

 

生理用品もなく学校に行けない女子、

 

ナプキンの代わりにどこでも手にはいる

布や靴のインソールを使ってなんとかしのぐ女性、

 

月経中は隔離され、家族との接触は禁じられる...。

 

 

そういう現実が、まだまだあるのです。

 

 

 

これは、

女性がありのままの自分を認めることができないことにも

繋がってしまう、痛みを助長する悲しい現実です。

 

そして、自分のからだのつくりを

ネガティブに捉えると言うことは、

 

自身を堂々とケアすることへの妨げになると思うんです。

 

その後の性のプロセス、様々な人生のステージ、

人間関係...


無意識に、でも根強く影響してしまいます。

 

その現状が当たり前のようになっていることが、

私は恐ろしいと感じるのです。

 

 

 

私たちは日々変化する、創造的な生き物であること。

 

月経があることは健康であるということ。

 

月経は、自分の心身のケアにとても役立つ

知恵を与えてくれるということ。

 

 

女性の身体は苦しくて痛いものではなく、

誇りを持つべき、

命を創る素晴らしい尊いものであること。

 

何より、男性も女性なしには

この世に存在しないということ。

 

 

お互いが存在するから

新しい命が生まれるということ。

 

 

忘れちゃいけないと思うんですよね。

こんにちは。バスク在住ドゥーラのユミコです。

 

地中海料理でも知られるスペインのトマト消費量は、

ただならぬ量です。

温かい地域の産地バレンシア地方のとある町では、

「ラ・トマティーナ」と呼ばれる、膨大な量のトマトを投げ合って

皆で真っ赤になりながら収穫を祝う祭りがあります。

 

もともとは、住民の喧嘩で投げ合ったり、

町政に不満がある住民が議員に投げつけていたことが由来だとか。

 

今では、町の人口が倍近くになる程有名な収穫祭になっているようです。

ゴーグルをしたり水着で参加したり、ビニールで覆った家屋がみえたり。。。

 

祭りの後、町はトマトの池だらけになり、

放水車がこれまた膨大な水の量を使い清掃をし、

参加者は仮設シャワーでトマトを洗い流すそうです。

 

ワイン大国でもあり、ぶどうの収穫祭も同じようなことを行って

気合い入ったお祝いをする。

私が暮らすバスクでも結構な数のフードフェスがある。。。

 

だからスペインはヨーロッパ一食品を無駄に捨てている国なのか??

とさえ思えてきます。笑

 

水不足で悩む地域が沢山あり、

給食が食べられない子供が増えている時代だけど、

伝統はやはり捨てがたいのでしょうか。

月の満ち引きや四季があるように、

元々は私達の身体もそれに応じて変化します。 

 

暖かい時期に向けて骨盤は開き、寒さに向けて閉じていく。

季節によって食したいものは変わる。

訪れたい場所や、やりたいことも変わる。

 

 

春は種が蒔かれ、

夏はぐんぐん育つ。

秋は収穫の時期、同時に木々は枯葉を落とし、

冬は新しい命を待ちながら休息を取る。

 

 

 

 

女性の月経周期は、

四季に例えるとわかりやすいかもしれません。

 

例えば月経前(秋)は、振り返りの時期。

自分らしさの9割を占めると言われている

潜在意識と一番近い時期。

だから勘が強かったり、夢をよく見たりする。

泣きやすかったり、自分が脆いと感じたり、感情がぶれたり。

エネルギーが塞いでいくような、

身体が少しブレーキを踏みつつあるような。

 

冬の休息前の木から枯葉が落ちるように、

自分にとって要らないものを捨て、

心も整理整頓にも適した期間なのだそうです。

 

自分が嫌だと思うことは素直に認めてあげていい。

毎月のように繰り返し湧く不満があるのなら、

何故そう感じるのか真剣に向き合ってみたら、

少しづつ解決のヒントが得られるかもしれない。 

 

 

月経中(冬)は出来るだけ休息を取る、深呼吸をする。

子宮を優しく撫でてあげる。

 

この休息が月経後(春)、または月経が終わる頃、

心は軽くなり、 新しい周期をスタートさせるため大切になるのです。

 

リフレッシュしてスタートできたなら、

エネルギーは自然とオープンに、外に向けてあなたも

自分が生き生きしていると感じてくる。

 

 

排卵期(夏)は自分がより社交的だったり、

に会うのが楽しかったり、性欲が増したり、

おしゃべり上手だと感じるなど、

月経中のエネルギーとは大きく違った自分がいます。

 

 

会話力も想像力も、性欲も分泌物も、

夢もやる気も、周期中変化することは自然なこと。

 

月の満ち引きにも影響を受けることは、ご存知の方も多いはず。

 

 

 

野菜や果物を育てた畑の土が自ら栄養を取り戻せるよう、

翌年は何も植えずに休ませたり、違う品種を植えたり、

深耕して成分を補給させたりする。

 

それぞれ種まきに合った時期があり、

季節ごとの旬の野菜がある。

これは自然のあり方なのに、

近代農業では害虫駆除は必須、集中的に一年中同じ土で、

同じ作物を大量に栽培し続けるため、

農薬や化学肥料を使い、畑は常に点滴状態になっている。

 

特産物と言われる野菜も、

旬があるはずなのに年中見かけることは、

不自然とは思われなくなった。

 

連鎖がおかしいことになっている。

 

人の身体も同じようなことが言えるんじゃないでしょうか。

 

上に書いたようではなくても、

似たような自分の変化を皆感じているのではないでしょうか。

 

ところが、いつも「夏」のように振る舞わなければ、

という生活は疲れを増していく。

 

どこかでありのままの自分でいれるスペースなり、

時間なりを用意することも大事な健康管理ですよね。

 

 

翌春に向けて、「冬」の休息を心がけて見ませんか?

こんにちは! 2児の母ユミコです。

 

9月で中学生になった長男、今までほとんど使わなかった自分の部屋に

「お引越し」することを決め、壁の色を塗り終えタンスも変わり、

母はせっせと新しいシーツをそろえる、そんな段階におりました。

 

次男は早く出て行っておくれ(笑)と言ったことを連発してましたが、

お兄ちゃんとの寝る前のおしゃべりがきっと恋しくなるでしょう~。

 

 

 

この夏、息子たちを連れて一時帰国しました。

やりたいこと、会いたい人、たくさんだったのに結局は。。。

 

息子達のお供、家族親戚と過ごすだけで精一杯でした。

 

 

今年初めから発つ直前まで、たくさんのお仕事に恵まれました。

経験豊かとはまだまだ言えない通訳ですので、

内容によっては身体かちっかち、

空腹も感じる暇もないほど一日中集中する私は、

 

だいたい帰宅中はしぼんでいく風船のようになりながら運転し、

団体に対応する出張・連勤だったならばその翌日は、

幽霊のように役立たずな母でおります。

 

普段は自分が今どの周期に居て、どんなコンディションなのかを意識しながら
当日に向けて準備したりするわけですが、今年はそれが上手くできず、
後々の回復を覚悟して依頼を受けていくうちに、
自分と向き合う時間を忘れるほど仕事に没頭していました。
 
 
6月最後の大きな依頼をこなした後↓
 
とにかく踊りたい、飲みたい、
走りたい!!!!
 
もうすこしだ!! よくぞ頑張った!!!!
こんなに役に立てて嬉しい!!!
 
まだ経験不足だからでもあるし、うまく書けないのですが、
本当にありがたい、自信もついた、
でも自分のキャパ越えしたであろう6か月だったんです。
 
 
そして一人達成感を味わったかと思ったらそう、
息子たちはすでに夏休み。
 
帰ってみると子供たちはキラキラと、
「待ってましたーー!!」と言わんばかりに
即、「夏休みにやろうリスト」をリマインド。
(作らなきゃよかった)
 
まずは1週間ピレネーの方へ行く予定だった。。。
今度はその準備かー。
 
 
…正直、
めんどくせーーーー
母も休み欲しいーーー

 

 

残っていた仕事をこなし、

そうしてるうちに実家から電話があったり

周りから「日本に帰るの―?」と聞かれるのでふと言ってみた。

 

「日本に行こっか??」

 

 

 

…そうして突然決まったわけです。

 

家族がこちらへ遊びに来てくれることはあっても、
息子達が日本へ行くのは何と4年ぶりでした。
日本大好きな二人、その喜びと興奮は半端ない!!
 
そりゃそうだよね、うん、そうしよう!!!
 
 
夫と色々調整し日を決め(最後に合流できるよう)、
チケットを買い、
スーツケースにおみやげと水着と3日分の服を詰めて
 
レッツゴー!!!
 
 
 
でも、何かがおかしい。
準備してても思ってたより自分のテンションが上がらないのです。
空港大好きな私、心が躍らない。
 
疲れが溜まっているからだ、日本に着いたらのんびりできるだろうし
それまで待とう。 大丈夫。
 
 
 
全然大丈夫じゃなかったですーーーー!!!!
寝ても寝ても、疲れが取れない。
 
子供: あれ食べたい、ここ行きたい、xxに会いたい!!!
母:  納豆食べたい~~~
 
 
 
子供に良い体験を、良い思い出を持ってほしい、
じいちゃんばあちゃん、親戚との時間を楽しんでほしい。
 
ですが、嬉しくてもテンションがいまいち上がらない。
こんなの初めてでした。
 
「思っていた以上に燃え尽きていたな。」 
一人で、なーーーんにもしない時間がこんなに必要とは。
そして、その時間のなさにイライラする。
 
 
子供たちに分かりやすく説明したら、
「大丈夫、お母さんは賢いからすぐ楽しくなるよー」 ですと。
 
母がいなくても2人で楽しんでくれる年齢でよかった。
ドライバ―とご飯係でとりあえずいいのか?? 笑
 
そんな夏でした。笑
 
 
 
帰国後は一人お腹を撫でながら、呼吸を意識しながら
なるべくエネルギーを整えるようにして、
 
長男部屋の準備を兼ねて念願の断捨離をし(まだある)、
家の中(私)もちょっと変わった。
 
そして
やっぱり土と触れるのは健康によい、と改めて確信するこの秋。
散歩で見る木々をハグして心を落ち着かせると、
景色が変わって見える。
 
 
中々会えない友達と、お互い無理やり(笑)都合付けてお茶をする。
これも私、普段なかなかする時間がありません。
学校のお迎えでおしゃべりする、もいいんですけど、なんかね。
これじゃあ頭や心がふわーんとならないんですよね。
 
普段お世話になるナチュリストさんに診てもらいに行ったら、
ウィスキーでも飲んで、「ふわわーーーん」となりなさい❤
とアドバイスされました。 (あるよー。笑!!!)
 
なーーんでこういうひと時の大切さを、すぐ忘れてしまうんでしょう。
「やらなきゃ」という使命感、自分のためにも堂々と使いたい。
 
 
とりあえず、
暖炉の薪のストックも万端。
畑の収穫も嬉しい。
 
苦手な冬が楽しみになってきました!
 
 
 
 
 

 

こんにちは! 久々に投稿します。ドゥーラのユミコです。

 

子供たちの夏休みが始まりはや1週間(本当は長かった)、

「これから9月9日まで2か月以上、どうすんねん!!」

が、正直な母の気持ちです。笑

 

 

昨日、子供たちが友人宅でお泊りだったので、

数か月ぶりに夫婦二人っきりで過ごすことができました。

 

そして、やっぱりこういう時間は大切だなあ、とひしひし感じます。

普段の生活で「ゆっくり話せる時間」、皆さんは週にどれくらいあるか、

数えたことありますか?

 

不規則なスケジュールで仕事する私たちは、

意識しないとなかなか増やせないのが現状です。

 

 

 

パソコンの資料を整理していたら、

「夫婦.doc」

というのがあって、開いてみました。(それがこの投稿の動機です~)

 

 

夫婦関係に納得いかなかった当時、ネットや本で気になったことを

リストアップしたものでした。笑

 

・相手の仕事をお互いに理解し合う

・仕事する自分に誇りを持つ(仕事=育児ももちろん)

・夫婦で家事、育児を楽しむ

・家事分担のバランス

・感謝の気持ちはその都度伝える

(「ごめん」も大事な気もするが)

・相手に依存しない

・夫婦で食卓を囲む

・完璧を追究しない

・おしゃべりが一番

・一つでも良いところを見つける(!!)

 

 

だって。

お互い、特に自分が当時「出来ていない」、「しなければいけない」

と感じていたことがリストになったんでしょう。

 

そう考えると、だいぶ進歩したと誇りに感じると同時に、

思い出しました。 

リストを書いたもっともっと前の、

 

産後の予期せぬ自分の変化。

 

 

 

説明不可能な夫への「独特な嫌悪感」。 

あなたは感じませんでしたか?

 

私はありました。

嫌悪感、と言うより、

 

「巣の中で落ち着いて育児させてね」、っていう事なんです。

夫には、その「巣」を守ることに専念してほしいと感じていたのです。

 

 

命がけで産んだのに、周りは大きな目標を達成したかのように

「もう生まれたんだから、

普段通りの生活に早く戻ってね」

 

少なくとも、こちらではそういう無言のメッセージが常に漂っています。

これは、正直、わたしにとって心のダメージでした。

 

夫は、そういう事は言わなかったけど、

しばらくすれば、もっとパートナーとして相手してくれ、

と望む気持ちがあるのはわかる。

 

 

 

でもね、産後数か月、いや、一年以上、セックスレスだとしても

それはおかしくないのです。

会話の数が減ったとしても、不仲の理由でなくてもいいのです。

 

そこはお父さん、我慢する価値がある「待機期間」なんです。

恐れなくていい。プレッシャーかけなくても、妻は戻ります。(笑)

 

妻は、ちょっと違う惑星にとんじゃってるだけ。

母になった新しい自分に、動揺したり、ホントに色んな事が

見えないところで起こっているんです。

 

言葉で表せないことの方が多い。

それは産後、男性には理解しにくいかもしれない。

 

違うスキンシップの取り方もあるんだよ。

育児に参加してくれて、本当にありがたいんだよ。

いてくれて、嬉しいんだよ。

 

 

 

産後の変化について、産んだ後その仕組みを知り、

 

「なんでもっとこういう事を教えてくれなかったの―――!!」

 

 

 

ホルモンに興味を持ったのはそれからです。笑

 

お産でも、セックスでも、手をつなぐだけのスキンシップでも、

大活躍するオキシトシンは、授乳中でも大いに分泌される。

 

おんぶひも、スリング、一日の大半抱っこしてスキンシップを

楽しんで過ごしていると、当然母の性欲は満たされているんだそうです。

 

他色々、とにかく幸せなわけです。 それ以上何もいらない。

本能で動く、まさに動物そのもの。

 

…そういう母もたくさんいるのです。

 

 

でも、実際は野生動物として(笑)生活するわけにはいかず、

 

仕事で疲れて帰ってくる夫はいるし、電話は鳴るし、

家事もあるし、人づきあいもあるし、上の子もいる。

保育園、学校、職場復帰(スペインは産後4か月)…

 

することが多すぎる。 知らず知らず、ストレスも増える。

「こうするべき」「ああするべき」といういらないプレッシャーもある。

 

 

「赤ちゃんの相手だけに集中したい。」

「新しい自分発見、ゆっくりさせてほしい」

 

それは「贅沢」なんでしょうか。

できるとしたら、それは幸運なんでしょうか。

 

私個人は、贅沢だとは全く思いません。むしろそうしたかった。

本能が、身体が、そうしたいと感じていたからです。

 

 

 

その身体の声に従わなかったことで、

自分にも夫にもイライラしたし、後悔したこともある。

良く聞きます。

 

私自身も、

知ったうえで、そういった変化、

自分をうまく説明できていたならば、

夫婦はもっと早く円満になっていただろうにと思いました。

 

10年以上たった今、長い目で見ると、

それくらい待ってもどうってことなかったのにね、となるわけです。

 

 

 

 

体験は一人一人違います。これは私の体験です。

私はそんな気がして。

 

お産、育児という惑星にとんじゃってもいいと思います。

じっくり時間をかけて、待たせてもいいと思います。

 

 

 

 

 

 

3月8日は「国際女性デー」でした。

 

今年は自分が暮らす町のデモに参加しました。↓

 

 

 

デモだけではなく、この日のスペインは育児、仕事、家事、消費などの

全国女性ストライキの日で(!!)、小学校も教師、食堂従業員など

女性職員は大半は通勤せず。

 

母達は旦那さん、男性の親戚などに全てを任せ一日中ストライキに徹する勢いです。

 

 

もちろん各家庭できる範囲で、ですが、女性デーの意味を理解し

ストライキを支持する男性は、できる限り多くの女性が参加できるよう、

代わりになってあげることで意思表示をします。

 

一方で宣言を読みもせず、「女性の言いなりになんてなってやるものか」と

敵視する方もいます。

まだまだ女性からの理解を求める姿勢、偏見を崩すなど課題は沢山ですが、

意識作りにかなり効果的なチャンスです。

 

ここまで性暴力撲滅や男女平等への社会運動の勢いがつき政治に変化が起こるのは、

皮肉なことに様々な抑圧に苦しめられた女性が想像以上に存在するからです。
そしてもう黙っていてはいけない、という危機感が強く存在するからです。

 

 

昨夜、
「明日はストだから学校休みだ、イエーイ」
と言った長男にまたまた女性ストライキの意味を長々説明。

 

「学校でもどれだけ女性職員がいないことによって大変なのかを実感して、

その能力や存在の大切さを再認識するためのものなのに、

生徒が休んでしまっては男性職員がタダ休みになるだけで意識作りにならない。
だからいつも通り学校に行って欲しいの。」

 

 

3月8日は、社会全体が女性の日々の貢献とその価値を正当に認めましょう。

 

育児や介護、職場などで自分自身がどれだけ頑張っているか、

自信を持って堂々と評価し意見することを諦めてはいけない。

 

より自由に生きる権利があると自他ともに認めましょう、ということです。

 
 
(去年参加した、ビルバオ市のデモ) 
 

私たちは男女の性別を二つのものと分け、

「支配と服従」の関係性が世界中様々な分野で根強く存在する、

男性優位な父権主義の社会の中で男女ともに様々な抑圧、

社会的圧力を受けながら生きています。 

 

特に女性への抑圧に関しては、自分の身体について自分自身で決められない、

学校などの集団で 不平等に扱われる、能力に差がないはずの分野でも

機会が平等に与えられないなど、世界中で人間としての人権を奪っている

行為、格差が解消されない国の政策がまだまだ数多く存在します。

 

顕在的・潜在的に再生産され続けている性に対する固定概念や

ジェンダーステレオタイプは、まだまだ根強く私たちの身体と心に刷り込まれており、

性について語ることがタブーであることや、月経は穢れたもの、

恥ずかしいものという価値観、自然と切り離して暮らすようになってしまっている

今の生活は、本質であるはずの性のプロセスの主体性を奪っており、

自分の身体を自分で守ることが出来ない方を増やしています。

 

 

 

私が「女性にとってもっと平等で自由な社会」「女性のエンパワメント」を

意識的に求めるようになったのは、自分の2度の出産経験からきています。

 

私にとって一つの戦いであった、自分が主人公であるお産の実現の為に努力し、

それをサポートしてくれる夫や助産師さんに見守られ、自分の意思が尊重される

主体的なお産、「自分らしいお産だった」と受け入れることが出来たことは、

今の母・女性としての強さと自信に大きく繋がっていると思っています。

 

 

そして関係ないようで実は深く深くつながっている、

女性の本質である性のプロセスと、社会生活の「土壌」である家庭での

エンパワメントが重要だと思うようになり、ドゥーラになることを目指しました。

 

ドゥーラとして活動するための基本的なルールは、

 

・勝手なアドバイスをせず、聞く心を持つ。

 

・自分の価値観を押し付けるようなことをせず、本人の意思を尊重することを大前提に、

より自分らしいお産と育児が実現されるよう応援する。

 

・他人の判断や偏見は気にせず、「自分」や「赤ちゃん」が望んでいることを感じ、

それを大切にする自分づくりのお手伝いをする。

 

・「自分が産むのだ」「赤ちゃんが自分の意思で生まれてくるのだ」という

意識へのアプローチを見守る。

 

・何もせず、ただそばにいる。それがお母さんの安心や自信になるということを知る。

 

 

・・・これは、家庭での子供への教育でも同じようなことが言えるかもしれません。

 

大人の勝手な判断を子供に押し付けるのではなく、本人の意思や個性を認め

一人の人間としてガイドする姿勢は、子供たちの健全な社会性にとっても役立つと私は考えます。

 

男子女子と区別し、制約や格差が続いていいのでしょうか?

 

その制約が原因で「枠」から外れたと感じる子供が

「自分は間違っているのか」という想いをしたり、

自分の力や才能を発揮できないことがあっていいのでしょうか?

 

10代の子供たちが、自分の身体の変化が恥ずかしいもの、

不安なことであっていいのでしょうか?

 

「育児と仕事を両立できて幸せ」と感じられない女性が

大半を占める社会でいいのでしょうか?

 

産後支援不足により鬱などに苦しんだり、

自分らしい育児に障害を感じる女性が多くていいのでしょうか?

 

「女性は男性より弱い生き物だ」と発言する政治家が

今だ存在していていいのでしょうか?

 

様々な抑圧を経験し、差別や性暴力の被害にあう女性が

見捨てられたままでいいのでしょうか?

 

 

「私に落ち度があったのだ」
「一人で夜出かけなければよかった」
「服装がいけなかったんだ」
「怖くて言いなりになるしかない」
「恥ずかしくて誰にも話せない」

 

そう罪悪感を感じたり、世間の無関心や上からの圧力によって

口を閉ざさなければいけない。

 

そんな社会で命を産みだす女性の心とカラダが健康で居られるでしょうか。

自信を持ってありのままの自分の力を発揮できるでしょうか。

 

コントロールと服従の関係は男女ともに、「人間の幸せ」の妨げになっていないでしょうか。

 

エンパワメントや男女平等の社会を目指すことは、、男女両方の課題であり、

命や人間の幸せについての問いかけや気づきから真の変化が生まれると私は思います。

 

 

お読みいただきありがとうございました!

 

ユミコ

こんにちは! 2児の母、ドゥーラのユミコです。

 

スペインバスクはここ数日やっと晴天が続き、少し暖かくなってきました。

花が咲き始めると同時に、動物たちがポンポン赤ちゃんを産んでいます。

 

春が始まるこの時期は身体がワクワクしてきますよね。

 

 

3月8日は「国際女性デー」です。

スペインでは盛んに女性ストライキやデモを通して、男女平等にまつわる

様々な訴えの声を挙げてきました。

 

女性ストライキ = 家事、仕事、育児、消費などを一切しないことによって、

無ければ社会は成り立たない、でも不可視化されている「経済」である

育児・家事・それにまつわる消費・介護などケア事業の社会的意識改革、

家庭内経済への正当な評価と支援も訴えます。

(大半は人口の半分である女性がこれら経済を支えているという現状からきています)

 

女性をなめるなよ、と言うことです~(笑)

 

 

このくらい勢力がつかないと政治は変わらないし、

政策に守られた、より自由で当たり前の人権を享受できる

より平等な生活を実現することはありません。

 

昔は家電製品を買うには夫の許可がいる、個人名義の口座は持てない、

そしてつい最近まで男性による家庭内暴力が犯罪と扱われなかった

この国でも、ここ30年で女性の暮らしは大きく変化しました。

 

なにより、「選ぶ」ことが出来るようになった。

 

 

 

皆さんは「Me Too運動」をご存知でしょうか。

 

性的ハラスメントや性暴力などの性被害撲滅運動です。

スペインでは5人の男性による18歳の女の子へのレイプ事件が起こり、

「もう黙っちゃいられない」と世間は怒り狂い、運動が本格的に広がりました。

 

これによって救われた、または将来救われるだろう女性、

社会から守られる女性は確実に増えました。

 

また、男性に性的虐待などを受けた、男性被害者からの告発も増えました。

男性女性ともに、意識変革が起こったのです。

 

 

政治的圧力をはじめ医学、犯罪捜査、法律…あらゆる分野で

性犯罪は過小評価され、被害者は見捨てられるようにできている

国はまだまだ数多くあります。 日本はその一つと言えると思います。

 

これは、それら分野に携わる人の大半は男性であり、

分野研究者も多くは男性である、と言うことにも原因があります。

 

日本では、性暴力を訴える女性は18%未満、だそうです。

残りの女性は??

口を閉ざしたまま、その辛い体験を自分なりに

乗り越え時を重ねていきます。

 

身近な人の助けを受けたとしても、

乗り越えられず命を断つ人も少なくありません。

 

世界では、5人に一人が18歳以前に性犯罪の被害にあっている

と言われています。

 

 

 

 

私が自宅出産をしたいと望むようになった経緯は、

 

お産のイメージが薄暗い畳の部屋にお布団一枚、

そういうところで産む姿が一番頭にあったこともそうですが(笑)、

 

それまで見てきた、又は体験した性差別やストーカー被害、性暴力を経て、

まずは男性への信頼がゼロに落ち、そこから少しずつ這い上がり、

 

「自分」に集中してどんどん一人旅をし、

「人間みな平等」という価値観を持つ男性との出会いを求め、


心から「子供を授かりたい」、と願ったときには

「このお産は私が主人公になってやる」と自分の中で決まっていた。

 

 

簡潔ですが、今思うとそのように流れてきたと感じます。

 

そして

「自分には十分産む力がある」

「自分が選んだお産がしたい」

何か、どこかで譲れないものがあったんですね。

 

一つの戦いです。笑

 

 

スペインで通った検診や周囲の出産体験を聞いて、

自分の身体が求めている環境では産めない気がする、と感じたり

 

男性優位な医療の管理的な、パターナリズムに巻き込まれるような出産は嫌だ、と

思ったことも本当です。

プライベートで人生の大切な出来事なのに、管理されてしまっては困る…。怖い…。

 

 

結果日本の助産院でのお産へたどり着いたわけですが、

 

助産師さんに見守られ、

人生にとって出産がかけがえのない、

自分の軸になるような体験になり、

 

息子の動作や呼吸、視線、全てを観察しては

「この子をありのまま受け止めたい」と感じ、

 

産後少したってから(だいぶ、かな)、

自分を大切に、自分らしく生きられるような「自分づくり」が

日々の目標になっていった感覚があります。

 

そこから例えば月経について学び、

自分の周期を知ることは自分のケアに役立つと知り、

 

身体に向き合うことの良さや、

「女性のエンパワメント」、「男女ともに自分らしく」、と言ったことに

関心を持つようになったんです。

(月経について3回に分けて書いています。 パート1はこちら

 

 

 

女性を抑圧、支配するかのような社会が続いていいわけありません。

男性に支配される男性が女性を支配する、と言うピラミッド構造が

世界中で存在するのです。

 

性的被害にあった女性が、

 

「私に落ち度があったのだ」

「一人で夜出かけなければよかった」

「服装がいけなかったんだ」

「怖くて言いなりになるしかなかった」

「恥ずかしくてこんな事誰にも話せない」

 

そう罪悪感を感じたり、世間の無関心や上からの圧力によって

口を閉ざさなければいけないなんて。

 

訴えられた10人のうち、一人しか罰せられないなんて、

そんな現実を見て見ぬふりするようなこと、私はどうしても許せません。

 

自分の身近な家族、友人のことを考えてみてください。

話せずに苦しみを飲み込んでいる人はたくさんいるかもしれない。

 

出来ることはたくさんあるはず。

 

 

もっと堂々と嫌なことは嫌、と言うことができる

相手の「いや」を尊重できる社会になるといいなと

常に思います。

 

 

 

 

 

こんにちは! 

スペインバスクで暮らす2児の母、ドゥーラのユミコです。

 

去年の暮れに一時帰国をした時、

私にとって日本の宝である開業助産師さん数名に、

インタビューをさせて頂きました。

 

(急遽帰国することになり一時中断することになってしまいましたが、

オンラインで再開したいと思っています。)

 

 

助産院には様々なタイプの施設がありますが、

 

・産前の検診を通して出産を出張、又は施設内で対応

 

・母乳相談専門(おっぱいマッサージなども)

 

・産後の育児相談や母子参加型ワークショップ

(ヨガなどのエクササイズ、ベビーマッサージ、スリング講習など)

 

・産後の養生のためのデイケアや宿泊の受け入れ

(自治体によっては病院で出産された方が5日分の利用料の

補助を受けられるシステムなどもあります)

 

などといったケアを、専門的または複合的に提供しているところです。

 

 

自宅のお部屋を検診と分娩用に使われる家庭的な助産院もあれば、

大きな数階ある施設で専門家が活動を分担したり、すべて木造で

ホッとできる旅館のような施設もあります。

 

そして、まだ新しいスタイルのようですが、ドゥーラのように専属で契約し、

数年間の継続的サポートを提供する助産師さんもいらっしゃいます。

 

本当に色々あって、助産師さんそれぞれの個性がうかがえるようで面白いです。

 

 

一番良いのは、何度も顔を見て色々話していくうちに信頼性が強まり、

パートナーや子供、そして自分をよく知ってもらえることでしょうか。

 

検診も、お茶飲みながら賑やかだったり、お腹を触り赤ちゃんとも笑いを交わしたり、

他のお母さんとも合流しちゃったり。赤ちゃんを抱かせてもらったり。

 

そこから得る安心感は、やっぱり昔あった 何でも聞ける「近所のおばちゃん」

とお話しする、かのような(笑) 

「大丈夫、怖くないのよ」と 経験豊かな助産師さんが言ってくれる言葉は

自信を持ってお産に挑むための大切な安心要素になります。

 

どんなに自然から離れた暮らしをしている現代の私たちの身体でも、

確実に、身体が嬉しいひと時になると思います。 

そしてその感覚にハマります(笑)

 

 

 

インタビューを始めようと思ったきっかけは、

私自身、そして私たち夫婦にとって、そんな自信に繋がるひと時を過ごし、

助産院での出産がとても幸せな、人生にとって

言葉にできないし書ききれない、とても大切な学びを与えられたからです。

 

その体験を通して、女性の性のプロセスとは 「妊娠・出産・育児」 などと

ステージに分けて捉えるものではなく、少女のころからコツコツと、

長―――く果てしない、「ひとつの道」 として意識的に、主体的に歩んでいくことが

出来るものなのだと気づいたからです。

 

これは、「自分が自分の身体の真の主」になる、ということですよね。

 

 

その気づきにたどり着いた強い協力者が私にとって助産師さんであり、

特にお母さんや家族をよく知ってお産に付き添うことができる

開業助産師が減っていく今、何かしたい、

その役割の大切さをもっと広めたい、もっと堂々と、彼女たちが活躍している姿を

世間に知ってほしい。そう思ったのです。

 

 

本来はこちらスペインでこのような施設ができたら・・・という気持ちで

こちらで伝える目的で始めました。

(実際田舎にある我が家を改装してお産の家にしないか、という話もありました。)

 

ただ、インタビューで現状をお聞きしているうちに

「もっと助産所を頼ってほしい」 と願う助産師さんたちの声を

まずは日本の中で広げたいと思えてきました。

(近いうちにきちんとした投稿をします)

 

 

現在の日本では約9割強が病院出産である、

と聞いたときは昔との予想外の変化に本当に驚きだったのですが、

助産院の存在自体をご存じない方も実は多いようなんです。

 

 

女性のために動ける職業だからこそ、

女性の幸せに繋がるよう連携して支援するために

地道に諦めず地域活動を続けたい、と日々努力をされる

助産師さん。

 
「産前からの身体と心のケア」がその後の育児に向けて
どんなに大事なことかを知っている助産師さん。
 
温もりを感じる体験を身体に刻むようなお産のお手伝いをしてくれる
助産所。
 
お産は「苦しい」ではなく「楽しい」ものですよ、と伝えてくれる助産師さん。
 
継続的なサポートが受けられる、家族にとって心強い場所。
「女性を守る存在」である助産所。
 
うーーーん、やっぱり「宝」です!!!
そして産後も頼れる心強い存在なんです。
 
 
 
少し話を変えて…
 

「女性を守る存在」というのは、

専門家や家族友人などといった人だけでなく、

周囲の環境や調査研究、教育を通したあらゆる情報提供、

そして社会の受け入れでもあります。

 

 

最近「女性のエンパワメント」をテーマに勉強しているんですが、

「ジェンダーステレオタイプ」「男女格差」などなど、色んな文献を調べていると

正直途方にくれます。

がっかりします。 怒りさえ沸き上がってきます。

 

女性への抑圧がどこまで深く、無意識に染み込んでいることか。

皆さん考えたことがありますでしょうか。 結構マズイです。

 

日本では特有な形で根深くあるため、「現実に気付いてすらいない」という

言葉もよく目にします。

 

ヨーロッパなどと比べて情報が入りにくいのも一つの理由でしょうし、

メディアから入る情報を信じて、問いただしたり批判する姿勢が少ない、

又はしても女性運動にまではいかないため、女性の声が公に表現されることが

少ないからでもあると思います。

 

 

でも、一番の理由は女性が従順であるよう教育されてきていることかもしれません。

 

そして、女性の性を抑制し、「自然=私の身体」から切り離すかのように

社会が回っている。

 

そして国の運営に携わる政治家の大半が男性であり、女性が生きる現実や大変さを

ちゃんと知られることがないまま事が運ばれているように見えて仕方ありません。

 

女性に優しい国、とは言えないと思いませんか?

 

 

少しずつ変化は見えるし男性の意識も変わってきている。

でもまだまだ自由や平等、性の抑制から解放…といったところへは程遠いです。

 

女性はもっと豊かに暮らす権利があります。

 

 

そして、

人口の半分が女性であり、その半分以上の方が出産するとすると、

やはり性のプロセスで大切な出産と育児の現状を気にせずにはいられません。

 

産後育児の現状を知らないまま国の極小一部が男女共同参画なんて

言ってる場合じゃないと思います。

 

まずは心とカラダの健康、人が幸せ、と感じて生活できるか、

が基盤であるべきではないでしょうか。

 

 

性教育を無視するわけにはいきません。

女性の月経を無視するわけにもいきません。

将来の心身の健康に確実に繋がるからです。

 

産後のお母さんや家族の意見がもっと反映される何か、

支援のようなものがもっとできていいはず。

その為の調査や研究、専門家育成の投資が国はもっとできるはず。

 

そして、助産師さんの声や、素晴らしいお産がある、

より豊かな人生に繋げてくれる体験であり得るんですよ、

というお母さんたちの声を無視するわけにはいきません。

 

女性は何かに頼らなくても新しい命を生み出すパワー、それを周囲に

伝播できる特権があるんですよ、と堂々と伝えていいと思います。

 

 

 

なんだか話がまとまらなくなってしまいましたが、

 

女性がもっと自分らしくいられるために、心身がより健康であるために
色々考えるわけです。
私も、これからいろいろ伝えられる何かを作りたいと思っています。
 
 
では、長文お読みいただき、ありがとうございました!