文化祭の準備に、てんやわんやの幼男子君。

お勉強をする時間は無いけれど、どんなに忙しくても遊ぶ時間は有るそうで、お友達と出掛けて行きました笑い泣き



マダオは、例の如く一日中パジャマの引き篭もり。息子に置いて行かれた母は、いつしか一人遊びがとても得意になり、アウトレットでショッピング。化粧品、衝動買いのお財布と色々買い込んでやりましたニヤニヤ



最近思うのが、元々一人でいる状態で感じる孤独よりも、一緒に居る筈なのに、まるで心が通い合わない孤独の方が、ずっと寂しいのだ、という事。



最早、愛はおろか情すら無い夫婦なので、マダオと出掛けたい、仲良くしたいとは毛頭思わないけれど、ずっと私の胸の中に「寂しい、寂しい」と埋められない穴がぽっかり空いていて、どうやって穴を埋めようか、何を代わりにして穴を誤魔化そうかと、いつも躍起になっている。


「ここまで煮え湯を飲まされて、経済面でも困窮させられたら割に合わない。

幼男子の教育費が掛かる間は、しっかり奴のお金を遣ってやる」という気持ちと


「こんな虚しい寂しい気持ちを抱えながら生活するより、息子と二人で楽しく暮らした方が良いのでは。

今からでも、仕事とか何とかなるんじゃない」

という気持ちの狭間で揺れていて、なかなか答えは出せない。

嗚呼、本当にお金って大事




ただ自分を俯瞰して観てみると、直情決行型でしかなかった私が、相手に何も言う事無く、表面上は生活を共にしながら、腹の中で計算したり、もやもや悩みながらの堂々巡りがよく出来るようになったものだ、とも思う。


子供を産む前の私なら、感情の赴くまま行動し、その結果に後悔も何もしなかった筈だから。

これが、歳を取るという事、守るべき存在が出来るという事か。


お互い腹に一物を抱えながら、会話も無く寂しく暮らす状態を、経済面にファーカスして割り切れるものなのか。


そして子供にとって、不仲な両親を観ながら経済的には困らない生活と、精神的には充足していても、お金が無くてやりたい事を我慢しなければいけない生活。

果たしてどちらが良いのだろう。


答えは未だ出せなくて、私は再び堂々巡り。

一つだけ確かな事は、ぽっかり空いた穴は衝動買いなんかで埋められやしない。