役の行者様ゆかりの行場
葛城修験道の行場として
霊山となっている
笠山白山大権現の麓
ハイキングコースとして
地元の人々に愛されている
その登山口にあたる
種河神社
戦国時代が終わりの
徳川の時代になったころ、
この地域では長い間にわたり
住民どおしの争いが
決着できずにいた。
寛永5年(1628)新家村の
争いは和睦して決着しました。
その時に、この種河神社が
三谷(新家地区)全体の社となる
荘内がまとまったのを祈念して、
松三本の幹を結び合せて
植えつけた所、生育繁茂して、
幹は結合して一幹となり、
末は三本に分れて成長した。
これが新家の三本松の由来。
ここは融和のシンボルです。
元は厄除け祇園薬師の社で
神仏習合の名残りがあります。
2月節分の日に催行される
湯神楽神事は、巫女が舞い、
湯神楽を奉納し、
無病息災を祈念する神事です。
その湯釜の湯は分配され、
ぜんざい、甘酒の
ふるまいもあるようです。
春は桜、夏は祇園祭りと
境内は賑わいを見せるようです。
厄除け融和の社
参道横の厳かな鎮守の杜
境内はこじんまりとして
地域の優しさをかんじる
どことなくそんな気配りがある
心地よいお参りになりました。
種河神社
たねかわじんじゃ
大阪府泉南市新家
主祭神 丹生大神
素戔嗚大神
龍王
1545年(天文14年)春、このあたりに天然痘の病が流行し病勢はなかなか止まりませんでしたが、こちらの神社の祈祷(きとう)した護札の効力があったため、庶民の崇敬を集めました。しかし天正年間(約400年前)の騒乱の際に社房は焼失してしまいます。 その後、三谷之荘内に種々の争論が起こりましたが、荘内に祀ってある神々を合祀することにより、荘内がまとまり争論がおさまり、今の地に、社殿を建て荘中の総社としたのが今の種河神社の由来です。 春には約100本の桜がここに咲き乱れ、家族連れなどで賑わいます。
境内社に、白山神社(伊弉冉命。歯痛の神)、水木神社(大海神あるいは大龍王)、八幡神社(誉田別命)、両皇神社(天照皇大神・豊受大神)がある。
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
Profile 神奈木有紀(かんなぎゆき)
大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。
神奈木流の成果
http://ameblo.jp/yukibayonetta/entry-12267243176.html
********************
元気に自然に、ノーファンデ宣言。
エステティックサロン
le grenier [グルニエ]
公式ホームページ