大阪みどりの百選
豊かな緑を誇る男神社
神武天皇東遷の際、
戦傷を負った皇兄、五瀬命が
雄たけびをあげたことから、
「おたけびの宮」とも
呼ばれています。
古事記・日本書記によれば、
神武東遷のおり、
生駒で長髄彦の抵抗により、
兄五瀬命が負傷したため
進路を変え、大阪湾を南下し、
男里川河口で矢傷を清水で
洗ったということです。
上陸地の天神の森から
波風を受けない現在の地に
遷宮したのは
貞観元年(859年)です。
長い参道に厳かな境内
熊野辺りの神社と同じような
重たい空氣感がありました。
神武天皇男と兄五瀬命所縁の
和泉市にある男乃宇刀神社とは
また違う雰囲気です。
五瀬命の無念の思いがあるのか
今訪れても重い空氣に包まれ
深い歴史を感じます。
お気に入りの神社になりました。
男神社
おのじんじゃ
泉南市男里
御祭神 神武天皇
五瀬命
天児屋根命
熊野速玉命
神武天皇ら一行は白肩津に船を留めたとき、ナガスネヒコと戦になった。その際に兄の五瀬命は手に矢を受けて深い傷を負った。
そこで五瀬命の言うには「日の御子であるのに日に向かって戦ったから敗れたのだ。遠回りして日を背にして攻撃しよう」として、南の方から回って進むことにした。
その時海の水で血を洗ったのでその海を「血沼海(チヌノウミ)」という。
そこからさらに回って紀伊国の男之水門(ヲノミナト)に至り、五瀬命は雄叫びを挙げながら亡くなった。それでその水門を名付けて「男之水門」という。
「血沼海」とは大阪湾のこと。「男之水門」(『日本書紀』では「雄水門」)とは『古事記』では紀伊国にあるとありますが、和泉国である当社の旧地「浜宮」の地であるとも言われており、これに因み「神日本磐余彦命(神武天皇)」および「彦五瀬命」の兄弟が祀られたのが当社と伝えられます。
また当地の地名「男里(オノサト)」は『倭名類聚抄』和泉国日根郡の「呼唹郷」の遺称と考えられています。
本殿は、17世紀中頃に建てられた五間社流造の社殿であり、境内の若宮神社本殿とともに大阪府指定文化財です。
また、拝殿及び幣殿、現社務所である旧拝殿および幣殿、透塀も国登録有形文化財に登録されています。
拝殿および幣殿は入母屋造銅板葺で、昭和16年に大阪を代表する建築家池田谷久吉(いけだやひさきち)の設計により建てられました。
旧拝殿および幣殿は、明治15年に割拝殿として建築されたものですが、現拝殿造営にあたり移築され、現在は社務所として使われています。切妻造本瓦葺の透塀も、旧拝殿および幣殿と同時期に建築されたものです。
毎年5月下旬には「ほたるまつり」が催行されます。男神社の森にほたるがいることを感謝する祭りです。
拝殿の前では神楽舞が奉納され、真っ暗な参道にヒメボタルが飛び交う神秘的な雰囲気を体感することができます。
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Profile 神奈木有紀(かんなぎゆき)
大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。
神奈木流の成果
http://ameblo.jp/yukibayonetta/entry-12267243176.html
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元気に自然に、ノーファンデ宣言。
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