神戸市須磨区北部にある多井畑の
多井畑厄除八幡宮
770(神護景雲4)年の
疫病流行時に祭られた
「疫神祭塚」があり、
国内最古といわれる。
『続日本紀』には畿内の
国境十カ所に疫神をまつって
疫神はらいを行わせたらしく
摂播国境のこの地もその一つです。
源義経が一ノ谷合戦に向かう際、
この地を通り戦勝を祈願した
と伝えられています。
祈願した義経
須磨の海は鉢伏山の絶壁が
迫っていたため通行できず、
須磨寺から鉢伏山の北側を回り
塩屋へ達するルートを選び
義経はこの地から迂回路を通らず
に鉢伏山へ登り一の谷の絶壁から
平家を急襲したとされます。
鵯越 の逆落しと呼ばれる
急襲で源氏軍が大勝し、
平氏は海上に敗走しました。
また須磨に配流された
在原行平も祈願したと伝わります。
帝の勘気に触れ、
須磨で3年間の隠遁生活をした
在原行平が愛した村長の
娘の墓が近くにあり
左が姉の「もしお」、
右が妹の「こふじ」と
伝えられている。
行平は姉を「松風」、
妹を「村雨」と呼んだ。
「もしお」と「こふじ」が
鏡の代わりに姿を映したと
伝えられる井戸があり
昔は厄神さんの餅つき当番衆が
この井戸で禊をしてから奉仕した。
そう伝わっています。
在原業平がプレイボーイで有名で
行平は真面目な印象でしたが
こんなところに女性の影があるなんて
行平も隅に置けませんネ
在原行平は3年で帝の許しを得て
左遷を解かれました。
神社の参拝だけじゃ無く
源義経や在原行平などの
所縁の場所も近くに点在して
見所も多く歴史散歩も楽しい地域
いいお参りでした。
多井畑厄除八幡宮
たいのはたやくよけはちまんぐう
兵庫県神戸市須磨区多井畑字宮脇
主祭神 応神天皇
通称、多井畑厄神。
「続日本紀」に「光仁天皇の神護景雲4年(770年)、畿内10箇所に疫神を祭って疫神はらいを行わせた。」と記されており、摂津と播磨の国境もそのひとつである。安元年間、この地に石清水八幡宮を勧請し、神社を創建したことに始まる。摂津と播磨の国境に位置しており、畿内を厄災から守る意味合いがある。
このような由緒が伝わっていたため、厄除けの霊験があるとされた。
江戸時代には、歴代明石藩主の崇敬が篤かったと伝わる。 現在の兵庫県神戸市須磨に配流された在原行平や、一の谷の合戦の際には源義経が祈願したといわれており、日本最古の厄除けの霊地と伝えられている神戸の厄神さん。
疫神祭塚
拝殿の左側より階段を上ったところにある。 奈良時代(770年)に、疫病を鎮める儀式をした跡地。ここにはってある水にひな形を浮かべると厄や災いを除け、穢れを祓える。
ひな形(人型)
人の形の紙(お初穂料200円)に名前と数え年を記入し、拝殿の西側(左側)の階段を上がる。疫神祭塚というところに水が張ってあり、そこに浮かべると厄や災いを除ける。古くは平安時代に、宮廷や貴族の間で陰陽師によってこの行事が行われた。今日一般には、紙で人型を造り本人の代わりとして、これに災い、穢れを移し身代わりとして水に流す。つまり身代わりになる人型。
義経腰掛の松(ほんがんさん)
源義経一行が多井畑厄除八幡宮で戦勝祈願したおり、この松の木の下で休息をとった後、一の谷に向かったと伝えられています。 それからのち、村人はこの場所に社をつくり「ほんがん(判官)さん」の愛称で親しみと尊敬をこめておまつりしています。
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Profile 神奈木有紀(かんなぎゆき)
大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。
神奈木流の成果
http://ameblo.jp/yukibayonetta/entry-12267243176.html
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元気に自然に、ノーファンデ宣言。
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le grenier [グルニエ]
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