「高浜七年祭り」「磐座」がある古社、佐伎治神社/神奈木流 体バランス法 | 神奈木流 体バランス法

神奈木流 体バランス法

神奈木有紀(かんなぎゆき)大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。




福井県の最西端に位置する高浜町

青葉山(別名・若狭富士)を境に

京都府舞鶴市と接している

北陸地方の最西端の市町村です。

高浜町の属する大飯郡は、

若狭の西部に位置することから

若西と呼ばれる地域です。

古代大和政権下においては、

大飯郡の名が示すように

大炊寮という役所が管轄する

地域の一部だったようで

安倍氏や高橋氏など

天皇家の食材を司る豪族が

拠点の構え塩や魚といった

海産物を朝廷に納めていた。


若狭高浜駅の南東500mほどの

宮崎に鎮座する佐伎治神社

偶然通りかかって見つけた

由緒ある神社。


創建は千年以上も昔と伝わる古社

で福井県嶺南地区における

最大級の祭で6年に1度、

7日間にわたって行う

『高浜七年祭り』と呼ばれる

佐伎治神社の祭礼がある。






元は、現在地の東北1.5kmほどの

薗部の水田に囲まれた園池の森に

鎮座していたと伝わり、

参拝に不便なので、

牛頭天王社(境内社廣峯神社)の

傍らに遷座したようです。




境内は古社として醸す

神聖な場所独特の空氣です。

中でも境内社廣峯神社は

私自身の信仰心も相まって

心が穏やかになれました。







境内の右手の遊歩道を歩くと

神宿る岩と呼ばれる磐座がある

苔むして霊剣あらたかな雰囲気に

包まれている磐座は

訪れる者に感動を与えます。


偶然に出会った素敵過ぎる神社に

なんだか凄く得をした気分😊

帰り道に鳶がクルッとお見送り

更に気分はアゲアゲです。





佐伎治神社

さちきじんじゃ

福井県大飯郡高浜町宮崎


御祭神

素盞嗚尊 稲田姫命 大己貴命


由 緒

『延喜式神名帳』に所載の官社に比定されているが創立年代不詳。社伝に「第十二代景行天皇の御世に磐鹿六雁命(膳臣遠祖)が若狭国造に任命される以前の創建」という。

延宝三年(1675)の『由緒書上扣(ひかえ)』に「当社は、もと現在地から東北へ千五百米ほど離れた薗部村の水深い田に囲まれた小高い薗池の森に祀られていた御社で、参詣に不便だったので、高浜村八穴山の牛頭天王社(現境内社廣峯神社)傍に社殿を建て奉遷」とある。八穴山は、足利将軍が再三来遊して風光を愛でたと「若狭国税所今富名領主代々次第」に見えることから景勝の地であったらしい。

天正年間(1573~92)に逸見駿河守昌経が八穴山築城(高浜城)に際し、碎導山城の裾の現在地に遷祀した。後に高浜城主木下惟俊が社殿を再建。高浜城主坂井忠勝が本殿の補修及び拝殿を建立された。以後、承応2年(1653)、安永6年(1777)と屢々、遷宮が行われ、社頭も大いに賑った。また、天保4年(1833)6月に高浜村庄屋善太夫ら8名連署をもって神額掛替を願い出て、「碎導大明神」を改めて「佐伎治社」とした。中世の社領は、「摂関家二条家より立石荘のうち七町七反の寄進があったが、太閤検地によって失った」という。

明治8年4月に県社に列格。同41年4月26日に神饌幣帛料供進神社に指定された。

祭祀は荘厳に執行されているが、巳年と亥年の6年毎の陰暦6月卯の日から7日間、殊に、酉の日を「本日」として厳重に斎戒して、式年遷幸祭が行なわれている。また、25年ごとに鳥居洗式が行われている。


神宿る岩

佐伎治神社には磐座の言い伝えが残っていても宮司や氏子らで見た人はなく、たまたま本殿と大岩の間にある砂防ダムにたまった土砂の測量に来た工事関係者が、高さ14メートル、周囲40メートルもある大岩を見つけた。

氏子総代らが2カ月かけて大岩までの道を整備し、一般の人でも見られるようにし、「パワースポットのような場所として、多くの人に親しまれれば」

大岩は、本殿の裏の小山を約120メートル登ったところにある。

宮司は「昔から大岩があることは、先代の宮司らから聞いていた。山林の地名自体が大岩とも伝えられていた」と話すが、見たことはなかったという。

宮司がおはらいし、「神宿る岩」と名付けられた大岩は一般にも公開されました。


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Profile     神奈木有紀(かんなぎゆき)
大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。
神奈木流の成果
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