鳥取砂丘の南東に数々の伝説を残す湖がある、多鯰ヶ池弁天宮/神奈木流 体バランス法 | 神奈木流 体バランス法

神奈木流 体バランス法

神奈木有紀(かんなぎゆき)大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。


中国山地の花崗岩質の岩石が風化し、
千代川によって日本海へ流されたあと、
海岸に集まった砂は海中の砂を
海岸に向けて寄せる波と
海岸の砂を内陸へ吹き込む卓越風
自然の力によって作られた鳥取砂丘
その砂丘の働きによって
海から切り離されて出来た湖
多鯰ヶ池は深く透明度の高い湖で
数々の伝説を残しています。

鳥取砂丘の南東に位置し
砂の美術館の前の砂丘道路を南に
国道265号を横切ると大鳥居が見える







鳥居の正面に欝蒼とした薄暗い杜
少し不気味な雰囲気ではありますが
中に入ると一転して厳かな氣が漂う
蛇に纏わる伝説があり
沢山蛇が祀られています。







参道の杜の隙間から見える多鯰ヶ池
その湖に浮かぶ美しい島と
鏡のような湖面は様々な景色を映し
芸術的な盆栽などで感じる
ミニマムな宇宙を使っています。
ふと鳥居に惹かれ立ち寄ったこの湖も
山陰海岸ジオパークのひとつのようです。




多鯰ヶ池弁天宮
たねがいけべんてんぐう
鳥取県鳥取市福部町湯山

主祭神 田寸津比賣命

多鯰ヶ池のほとりに鎮座する神社で
江戸時代の末以前に「相州江の島弁財天から分霊」されたと伝えられている、歴史のある神社です。
弁天さまを奉った多鯰ヶ池弁天宮と「お種伝説」のお種さんを奉ったお種の社を総称して多鯰ヶ池弁天宮と呼ばれています。商売繁盛の神様。社には弁天さんがまつられている「多鯰ヶ池弁天宮」、多鯰ヶ池の伝説お種さんがまつられている「お種の社」があり、古くから金銀財宝をもたらすと言われている。また、伝説でお種さんがヘビの化身といわれ、ヘビの神様をまつっていることから巳年、巳の日には多くの方が参拝する。


多鯰ヶ池
たねがいけ

多鯰ヶ池は、周囲3.4km、面積0.23k㎡、平均水面高度16mで、中国地方にある池の中では最も深い池です。大きな流水・流出河川がない閉ざされた池で、約5万年前の大山噴火で堆積した火山灰が自然の不透水層を創り、池の水を保っています。
島は小島、磯御前島・沖御前島の3島があり、小島には『おたねの伝説』で記されている、柿の木があったとされている。
名称の由来には、いくつかの伝説があり、一つは国府町長者の一人娘、種の悲哀物語。もう一つは伊藤土屋という長者に雇われた、多弥という美しい女性の話。どちらも女性が白蛇の姿で池を泳いでいたという共通点があり、当時は「種ヶ池」あるいは「多弥ヶ池」と呼ばれ、現在は「多鯰ヶ池」と呼ばれるようになった。湖畔には数多くの古墳が点在しており、小島からは、祀りの対象と思われる小さな土製馬も出土されています。

多鯰ヶ池のおたね伝説
昔、因幡国法美郡宮ノ下に長者があり、大勢の使用人が働いていた。ある時長者は、福部の細川というところからお種という名の美しい少女を雇い入れた。この長者の家では、一日の仕事が終わると使用人たちが集まってあれこれと話し合いをするのが常だった。その日も使用人たちが集まって話をしているうち、「腹が減った」「なんぞ食うもんはないかいや」と言い出した。すると、お種がどこからかとても甘い柿をもいできて、使用人に振る舞った。それからも時々、お種は客人や使用人に柿を振る舞うことがあった。お種がどこから柿をもいでくるのか不思議に思った使用人たちは、ある夜お種をつけてみた。お種は屋敷から4里ほど離れた大きな池の畔に着くと、着物を脱ぎ捨て、見る間に白蛇に姿を変えた。白蛇に姿を変えたお種は池をすると泳いで行くと、池の中程にある島へと渡っていった。その島にはたわわに実った柿の大樹があった。お種は蛇に変身して、その島にある柿をもいできていたのである。驚いた使用人たちは屋敷に戻って一部始終を話した。しかし、それ以後、正体を見られたお種が長者の屋敷に現れることはなく、それとともに長者の権勢も次第に衰えていったということである。

お種に変身していた白蛇は、池の北岸の大島にある弁財天に祀られている。
お種が働いていた長者の屋敷は、摩尼寺のふもとにあったとの伝承もある。
正体を見られたお種が長者の屋敷まで使用人たちを追いかけてきて、固く閉ざされた屋敷の門に鱗を貼って去っていったという結末も伝えられている。

他の伝説
お種に関する白蛇伝説がよく知られているが、そのほかにも次のような伝説が語り継がれている。

多鯰ヶ池の主の蛇は、長い間水の中にいるのが退屈になり、時々水から出ては農家の鶏を襲ったり、卵を呑んだりするようになった。蛇のいたずらに困り果てた村人は、なんとか池の中に封じ込める方法はないかと考えた。結局、徳の高いお坊さんに祈祷してもらうほかないだろうということになり、味野にある願行寺の和尚さんに祈祷をお願いした。和尚さんは椿の木を1尺ばかりに切り、その先をとがらせた。そして呪文を唱えながらその杭を池に投げ込むと、杭は生きもののように整然と岸辺に突き刺さり、みるみるうちに椿の垣ができた。蛇は椿の垣に封じ込められ、再び陸に上がってくることはなかった。
昔、法美郡におまんというおばあさんが住んでおり、大島の弁財天を篤く信仰していた。毎年必ず小さなお餅をたくさん背負ってお参りしていた。ある年の夏、ひどい日照りが続き、田畑の作物は次々と枯れていった。おまんは弁財天に救済してもらうことを思いついた。池のふちに立ったおまんは、木の葉の上に一個ずつお餅をのせると、水に浮かべて恵みの雨を祈願した。お餅をのせた木の葉は池のまん中あたりまで行くと、たちまち吸い込まれるように沈んでいった。すると、にわかに空がかき曇り、雷鳴とともに雨が降り始め、田畑は緑を取り戻していった。
慶長の頃、鳥取城主となった池田備中守長吉が、多鯰ヶ池の主になっている蛇の尾の先に見事な宝剣があると聞いた。どうしてもその宝剣がほしくなった長吉は、京都から蛇取りの名人を呼び寄せた。名人はすぐに蛇を捕まえたが、「たしかに剣はあったが、まだ小さな蛇なので使い物にならない」と長吉に伝えた。長吉はいたく落胆したという。

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Profile     神奈木有紀(かんなぎゆき)
大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。
神奈木流の成果
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