中辺路熊野詣に数々の奇跡を残した、継桜王子/神奈木流 体バランス法 | 神奈木流 体バランス法

神奈木流 体バランス法

神奈木有紀(かんなぎゆき)大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。











比曽原王子から
曲がりくねった国道をたどると、
旧道と新道の分岐に出る。
下方の国道への坂を背に、
上方の旧道を進み、
道沿い左側に大きな森
そして鳥居が見えてくる。
秀衡伝説の奇跡の桜にちなんで
その名がついたとされる継桜王子

熊野古道中辺路の熊野詣にちなんだ
奇跡はそのエピソードだけで無く
鳥居から聳えるいくつかの大きな杉
那智大社の方向に枝を伸ばして
その名を持つ「野中の一方杉」
さらにそのその真下には
豊かな自然が育んだ
濁りの無い澄んだ水
名水百選に数えられる「野中の名水」

数々奇跡がこの王子社にはあります。
そしてその全てが熊野詣の宝物なのですね。







継桜王子
つぎざくらおうじ
和歌山県田辺市中辺路町

主祭神   若一王子権現

『中右記』天仁2年(1109年)10月24日条に「続桜」の名で、根元が檜で上部が桜という稀有な木の報告があり、次いで、「熊野道之間愚記」(『明月記』所収)建仁元年(1201年)10月13日条には「継桜」の文字が見えるように王子社が成立しており、以後も『熊野縁起』(正中元年〈1326年〉、仁和寺蔵)に「続桜」、『九十九王子記』(文明5年〈1474年〉)には「次桜」の名で知られていたことが分かる。

『中右記』などの記述によれば往時の継桜王子は現所在地よりも東側にあったとみられ、天正元年(1573年)付の「野中村若一王子権現社蔵文書」のように近世に現所在地に遷座させられたとする史料も見受けられる。江戸時代には若一王子権現と呼ばれて野中集落の氏神になり、『紀伊続風土記』が伝えるところによれば、境内は周98間、拝殿(祭神不詳、木製神体あり)の他に見明之明神社・金毘羅・秋葉社があったという。明治時代に入って村社に列格されたが、1909年(明治42年)に近野神社に合祀。高台の上の社殿はそのまま残されて祀りつづけられたが、戦後の1950年(昭和25年)になって御神体が取り戻されて旧状に復した。

継桜は早い時期から注目を集めており、前述の通り12世紀の参詣記である『中右記』に登場し、のちに王子社が成立した際に継桜の奇瑞にちなんで王子が命名されたものと考えられている。継桜は、何度かの代替わりを経ている。17世紀末から18世紀初めにかけて編纂された地誌『紀南郷導記』は、王子の正面にあった古木が枯れた後、紀州藩主徳川頼宣の命により山桜に植え替えられ、さらに1889年(明治22年)の大水害の際に再び倒れたため、王子から東側のやや離れたところに植えなおされたのが現在の継桜である。

継桜と秀衡伝説
継桜には秀衡桜ともよばれ、藤原秀衡にちなむ次のような伝説が伝えられている。奥州藤原氏の藤原秀衡が熊野に詣でた際、山中で夫人が産気づき男児を出産した。乳児を連れて参詣を続けるわけには行かず、熊野権現の夢のお告げを頼りに立願し、滝尻王子の裏手にある窟に赤子を残して参詣の旅を続けた。しかし、野中のあたりに差し掛かったとき、やはり我が子のことが気になり、それまでついてきた桜の枝の杖を地面に突き刺し、置いてきた赤子が無事ならこの桜も育つだろう、それが叶わなければこの桜も枯れるだろうと祈り、旅を続けた。帰路、ふたたび野中に着くと桜は育っており、喜んだ夫妻は道を急いだ。赤子は山の狼たちに護られて無事に育っていた。この子が後の和泉三朗忠衡である。

上述の『紀南郷導記』が伝えている秀衡と継桜にまつわる伝説は以上のようなものだが、地元の野中では若干の異同がある話を伝えている。野中での語り伝えによれば第1に、野中での語り伝えでは、秀衡が野中の地に突き刺したのは杖ではなく、近くにあった桜の木の枝である。第2に、秀衡が赤子を残した岩屋は乳岩と呼ばれる岩屋で、赤子は岩からしたたりおちる乳を飲んで命をつないだとされるが、『紀南郷導記』にはこの奇譚は見られない。また第3に、我が子を護った熊野権現の奇跡に感謝を表すために七堂伽藍を建立し、経典や武具を堂中に奉じたとするくだりは語られていない。『吾妻鏡』に陸奥国に新熊野社を勧請したとする記事があることから、秀衡が熊野を信仰していたことは確かだと見られるが、熊野に参詣した史実は確認されていない。

どちらであるにせよ、桜の接木はほとんど不可能であることから、戦前の植物学者・郷土史家の宇野縫蔵は、継桜の起源を、檜の古木が枯れて空洞化したところに桜が根付いたのだろうと考定している。こうしたことからすると、檜の台木に桜が継がれるという継桜の奇跡がまず先行し、次いで王子が設けられたり、熊野詣の功徳を説くために秀衡伝説が付会されるなどしたものであろうと推測されます。

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Profile     神奈木有紀(かんなぎゆき)
大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。
神奈木流の成果
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