美しい境内のひとつとして紹介したい。信楽町朝宮の三所神社/神奈木流 体バランス法 | 神奈木流 体バランス法

神奈木流 体バランス法

神奈木有紀(かんなぎゆき)大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。


朝宮は信楽川の水流と高原状の山地に囲まれ、
早くよりお茶の栽培が行なわれていました。
江戸時代後期より茶碗・花瓶など主として
精緻な焼物を焼出し、高原焼と呼ばれています。
また朝宮には「平家物語」に出てくる信西は
後白河天皇の乳母朝子の夫、藤原通憲の法名
作家、谷崎潤一郎の初期の戯曲
「信西」でも知られています。
朝宮は歴史的にも文化的にも
個性豊かな山里です。







そんな山里の中心に位置する三所神社
厳かに続く一本の参道の先
境内に光りを集めて輝いて見える
音も少なく静けさが身を包み
辺りのトーンをさらに暗くさせ
境内の光がだけがさらに強調される
境内の入ると眩いくらいの
美しい光景が目に飛び込んできました。
境内の土は光を浴びて黄金に輝いて
茅葺きの苔がエメラルドに光る
とても素敵な境内です。
参道からの感動的な光景は
記憶に残る出会いになりました。












三所神社
さんしょじんじゃ
滋賀県甲賀市信楽町上朝宮

御祭神
木花咲耶比売神
素盞鳴尊
岡象女神

境内掲示より
当社の産土神は、古くは三照大明神と呼ばれ縁起などから養老年間南都興福寺こうふくじの沙門義淵僧正が山城国宇治田原と朝宮石堂、通称信楽の峰に存した飯尾山医王教寺を創立され、これが鎮護のため此の地に守護神として、社を建立されたという。
平安時代三井寺の宗祖智證大師か貞観九年 (867) 当神社に参籠、社前で法施をされ翌年飯尾山寺より祭神の遷座が行なわれ、現在地に神殿を建てられる。
延元二年 (1337) 南朝と北朝の争いで、大塔宮二品親王の令旨受け朝宮地侍は、南朝に味方するが足利幕府の北朝にせめられ、神社は焼き討ちに合い炎上する。
往昔、毎年四月五日神前で金光明勝王経を読誦し天地長久を祈願する法会が行なわれ、これを最勝会と唱えられている。
元和元年 (1615) それまで朝宮一村だったが、朝宮上村と下村にわかれる。
寛永五年(1628)諸願成就を祈り寄進された木札が今に残る宝永五年戌子九月 (1708) 本殿が春日造り三間社流れ造りの檜皮葺で再建され、その棟札が古文書と共に保温され、これが現在の社殿である。
明治八年三所大明神の社名を三所神社と改名され、明治九年村社に列せられる。
明治二十一年五月拝殿が上棟される。
昭和五十五年八月宮座七座の建物とその伝承行事が信楽町文化財に指定される。
平成元年三月本殿が滋賀県建造物文化財に指定される。
祭礼は、宵宮神事十月九日、例祭、十月十日。

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Profile     神奈木有紀(かんなぎゆき)
大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。
神奈木流の成果
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