日本で最初の厄神様を祀る、中山寺 奥の院/神奈木流 体バランス法 | 神奈木流 体バランス法

神奈木流 体バランス法

神奈木有紀(かんなぎゆき)大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。



中山寺から1時間もかからない
初心者にも優しいハイキングコースに
中山寺奥の院がある。



お参りだけでなく
年齢性別を問わずハイカーの方も多く
安全なコースのようです。

奥の院は綺麗に建て替えられていますが
夫婦岩からの参道は
古くからの赴きを残し
訪れる人を楽しませてくれます。












中山寺 奥の院
なかやまでらおくのいん
兵庫県宝塚市

大悲の清水湧き出る
中山寺開創の地
厄神さまをお祀りする奥之院は、本堂などが建ち並ぶ伽藍から北西に向け二キロメートルほど山道を進んだ山中に位置します。
天正六年(一五七八)荒木村重の乱で焼失するまで、当山はこの地に高野山や比叡山に匹敵するほどの寺領を備えていたと伝わります。
拝殿西側の岩陰より、『大悲水(白鳥水)』と呼ばれる清水が湧き出しております。この大悲水のご利益を求め、水筒などを持参してお参りされる方の姿が途絶えることはありません。

その昔、第十五代応神天皇の御代、世に大変な疫病が蔓延し、人々は応神天皇との政争に敗れた忍熊皇子(おしくまのおうじ)の祟りであると恐れました。
応神天皇は祟りを鎮めるために忍熊皇子の墳墓へ使者を遣わせたところ、一羽の白鳥が飛び出でました。その白鳥は奥之院の大岩に降り立ち、その大岩より清らかな水が湧き出しました。それ以来疫病は治まり、忍熊皇子の御霊は厄除神として大岩の窟(いわや)に祀られ、湧き水は諸疫を祓う清水であると信仰を集めたと伝わっております。
後に聖徳太子によって中山寺がひらかれた際、大岩を取り込むように拝殿が建立され、日本で最初の厄神さまをお祀りするようになりました。
中山寺HPより


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Profile     神奈木有紀(かんなぎゆき)
大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。
神奈木流の成果
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元気に自然に、ノーファンデ宣言。
ほぐし処ケイ・スリー
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