気多の流れを汲む越後国一宮 居多神社/神奈木流 体バランス法 | 神奈木流 体バランス法

神奈木流 体バランス法

神奈木有紀(かんなぎゆき)大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。


上杉謙信やその家臣、
直江兼続などの英雄を
輩出して育んだ地、上越地方
上杉謙信が春日山城を居城とし
城下町として盛えました。
そんな土地、越後の国

上越、秋の昼下がり
アキアカネが隊列をつくり
太陽に照らされて
見事な朱色で拝殿を彩っていました。
そんな光景がよく似合う
一の宮、居多神社があります。

とても穏やかで厳かな社殿で
アキアカネの歓迎を受けて
とても満足させていただきました。


















越後国一宮
居多神社
こたじんじゃ
新潟県上越市五智

主祭神
大己貴命
奴奈川姫命
建御名方命
事代主命

『古事記』には、大国主命が高志国(越の国)の沼河(糸魚川と推測されています)に住む沼河比売を妻にしたと記されているので、出雲の神様が越の国の女神を后にしたという風に読み取れます。
建御名方命は、諏訪大社の祭神でもあり、大国主命と沼河比売命の間に生まれた神とも。

慶応2年(1866年)までは北西に1kmほどの身輪山(みのわやま)に鎮座していましたが、海岸侵食で崩落。
明治12年に現社地に遷座しています。
越後国分寺もどこにあったのか定かでありませんが、やはり海岸にあって崩落したという説もあります。

延長5年(927年)編纂の『延喜式神名帳』にも居多神社と記載されています。
中世に越後国守護の上杉家に尊崇され、越後国一の宮とされています。

戦国時代には上杉謙信の跡目争いなどの戦火で社殿を焼失しています。
現在地に遷座した際の社殿は、明治35年の火災で消失。その後、仮社殿でしたが平成20年に本社殿が再建されています。

社名「居多」は、『延喜式』神名帳を始め諸文献で見られる古くからの表記である。訓について『神祇志料』では「ケタ」、九条家本・武田家本・吉田家本では「ヰタ」、『神名帳考証』では「コタ」と見えるが、現在では「こた」と読んでいる。日本海沿岸に分布する気多神社の一社として古代には「けた」と呼ばれたとされ、「こた」「ゐた」と呼ばれるのは後世になってからと考えられている。

なお「居」を「け」と読ませる古例では、古くは5世紀末の稲荷山古墳出土鉄剣の「獲居(わけ)」の銘がある。

創建は不詳。『頸城郡延喜式神社考』では神代の古跡であると伝える。社地は、慶応2年(1866年)まで現社地の北西約1キロメートルの身輪山(みのわやま)に存在した。

前述(「社名」節)のように、居多神社は「気多神」を祀る神社と考えられており、兵庫県北部から新潟県にかけての日本海側に分布する気多神社の一社とされる。この気多神は出雲の人々に信奉された神とされており、『古事記』での大国主命による高志国(越国;現在の北陸地方)の奴奈川姫命への妻問い説話と同様に、気多神の分布は出雲勢力の北陸地方への進出を物語ると考えられている。



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Profile     神奈木有紀(かんなぎゆき)
大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。
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