好きな神社を5つ挙げるとすれば
村全体を含めて、この神社は
その一つになるような気がします。
大阪から2時間、琵琶湖の湖東
それほど大きく無く
派手な紹介がされている訳でも無く
滋賀の山奥にひっそりと
隠れるように鎮座されています。
水と木に囲まれた豊かな自然
美しくどこか懐かしい風景は
忘れかけた心を思い出します。
幼い頃にみてきた
古き良き時代の日本の風景は
少しずつ無くなっています。
今の時代の、この風景に
間に合ったこと、
この地域の皆さまに感謝です。
大皇器地祖神社
おおきみきぢそじんじゃ
滋賀県東近江市君ヶ畑町
主祭神 惟喬親王(これたかしんのう)
898年(寛平10年)の創祀と伝わる。1872年(明治5年)まで、正月・5月・9月に国家安泰・皇家永久の祈祷符を宮中に納めていた。惟喬親王がこの地に住んでいた際、小椋信濃守久長と小椋伯耆守光吉に命じて木地の器を作らせたという。この伝承によって、当社を木地師の根源社と称している。同様に木地師の根源社と称す筒井八幡(現筒井神社)と木地師に対する氏子狩を行い、全国に散っていた木地師に大きな影響力を持っていた。「白雲山小野宮大皇器地祖大明神」とも称したが、1882年(明治15年)に現社名に改められた。1893年(明治26年)には内務省から保存資金が下賜された。旧村社。
平安時代に皇位争いから小椋谷に落ちのびた惟喬親王は、承和11(844)年、文徳天皇の第一皇子として生まれましたが、時の太政大臣・藤原良房は自分の孫である惟仁親王を皇位につかせようとしたため、都落ちを余儀なくされました。
放浪の末、やっと深山幽谷の小椋谷にたどりついた親王は、そのとき、ようやく15歳。この地に木が豊富にあることから、ろくろを使った椀や膳、盆の制作を思いつき、民業の開発に力を注いだと伝えられています。
惟喬親王は、その後、ろくろ業の神として崇められるようになり、ここの太皇器地祖神社と蛭谷の筒井八幡神社に祖神として祀られています。
また、筒井峠には、杉木立に囲まれて、惟喬親王の像と御陵があります。
木を求め、全国各地を渡り歩いた木地師(きじし)は、東北をはじめ、各地に根付いて、コケシや椀など、その土地の伝統産業を生み出しました。この小椋谷の地は、全国の木地師にとっての故郷でもあり、いまも多くの木地師が惟喬親王を詣でにやってきます。
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Profile 神奈木有紀(かんなぎゆき)
大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。
神奈木流の成果
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