結成40年のバンドに学ぶ・・・甲斐バンド | れんげ草・・舞ふ・・夢語り

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アラ還になって、メタボからあちこちがたつき、残りの人生を考えるようになりました 闘病、推し活(ムック、BE:FIRST)、LOVOTのこたろ、ガーデニング、ミニチュアドールハウスとかぼちぼち書いてます 一緒にお話ししませんか?


前のブログは ちと 私のつぶやきだったので

ここから 本筋



その SONGSを 変な汗をかきながら 見てての感想 

甲斐バンドを知らないかたのために 勝手に解説します


<勝手に解説 甲斐バンド>

当時九州では唯一のライブハウス博多の「照和」で

高2の時 出会った メンバーが 1974年に結成

この「照和」は チューリップ 海援隊 でも有名


ギター・甲斐さん ベース・長岡さん ギター・大森さん ドラム・松藤さん 


デビュー曲は バリバリのフォークで 「バス通り」

当時 二子玉川の高島屋の屋上でアドバルーンをバックにフォークギターで歌っていた甲斐さんが忘れられない 私の握手会デビュー 笑 私 14歳



次の シングルが 一応 ヒット 「裏切りの街角」 もうこの歌詞がたまらなく好きで 切なくてうらびれた大人の恋愛の世界に溺れた ♪しとしと五月雨 わだかまり ~ ネオンが街にとけてく ~ 発車のベル 叫び声のなか あの人が見えなくなった   号泣

そのあとの ヒット曲

「安奈」 最初に結婚したかたとの切ないエピソードwww
「HERO」


<40年のバンドの軌跡・知ったこと・学んだこと>

・ヒットしたあと 走り続けていた 時

みんな疲れていたけど それを 言い出せないでいた 

「誰が この流れを 止めるか」

それが 大森さんの病気を理由に 期限限定の活動にきりかわる


・大森さんが 52歳で亡くなったあと 

喪失感を乗り越えるために あえて バンドを再開


・今年 甲斐さんは還暦  やっと 4、5年前に 「天職」と 思えるようになった 

音楽で しっかり 楽しみを伝えたい と


私は こうして

今も 別のバンドを愛しているけど

その 将来を なんだか こうして 

しみじみ 思ってました



いっしょに つくりあげること

それを 続けていくこと・・・・

きっと 死ぬまで 求めつづけること・・・・