《追記しました》勾玉原から御射山4つ巡礼 | 心に光を呼びます Padme★yuki

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11月15日の記事3連発も読んでね❤️
(前と、前々と、前々前の記事)


 
11月16日(火)
 
女神湖畔からの蓼科山を見る、朝陽キラキラ

 
女神湖から小諸方向への40号線に
遺跡が点在しているので
行ってみました。
古い地図に現代の位置を当てはめた↑
 
 
 
5世紀から6世紀・・・って、
それよりもっと前だと思うけど・・・
 
奈良時代に歴史も神話も言語も
変えられてしまったわけで、
天皇出現より前は
原始時代ってことになってるから
縄文時代だとは書けないんだろうなぁ
 
こういうかんじのもの↓が
勾玉などと一緒にたくさん出てきたとな。
40号線の道の脇に
このように看板があるのです。↓
石が、並んでる。↓
よく残ってたなぁ~!
 
 
こちらは↓
法印塚・・・
 
ここに来たら
合掌してゴニョゴニョなんか言いながら
(お経っぽいけどよくわからん)
周囲を歩きました。
玉じいにスイッチしてました。

 
法印って、今、あらためて調べたら
山伏や祈祷師のことも、そう呼ぶらしい。
 
じゃあ・・・僧侶たちが埋まってる?
経の巻物とかなら、
経塚って言うしね・・・
 
このあたり一帯が
古代からの祭祀場だったなら
朝廷にまつろわぬ(従わぬ)僧侶たちがたくさんいたでしょう。
古代からの神を崇め続けている者たち。
 
この道は、大和より美濃を通り、
神坂(みさか)峠を越え信濃に入り、
諏訪から雨境峠を経て、
毛野(けの)・武蔵(むさし)・陸奥に通じ、
大和政権の東国統治の兵や、
東(あずま)の壮丁(そうてい)たちが
西国の守りにと往来し、
東西を結ぶ交通路として歴史的にも重要な道であった。
 
この峠を通行する旅人が、
峠の神に旅の安全を祈
幣(ぬさ)を捧げたものであろうと想像される。
(ここでいう『ぬさ』は、上の写真の石を、そう仮定している)
 
お金がまだなかった頃の、
お金みたいなもんじゃないのかな?
穴があいてるのは、紐を通して
まとめて持ちやすいよね。
なので
法印たち(山伏=僧侶たち)に
通行料を払っていたんじゃないかな?
 
しかし、太古の神を崇める
修験道の大元の僧侶たちは
『鬼』と呼ばれて
鬼狩りに遭います。
山焼きとかは、その名残なんです。
隠れているのを、炙り出すのです。
朝廷側と、縄文の僧侶たちの戦いは
だいぶ長く続いてたようです。
ここでも、狩られたのでしょうね。
これだけの祭祀場があるなら
僧侶たちは死守しようとするでしょう。
 
 
次の遺跡は、こちら↓
カッパの河太郎伝説が
書かれています。↑
 
こちら↓のが読みやすいねウインク
 
本当にカッパだったかどうかはわかりませんが
カッパ伝説は日本中にあります。
半魚人のようなかんじだと思うけど
そういう神(宇宙人)が
地球にいてもおかしくはないよね。
 
こんなことが、
あなたにも起きるかもしれないラブラブ
 
すべての人には、
故郷の惑星がある。
その惑星は、地球からはまったく見えない場所かもしれない。
名前も知らない、遠くの銀河かもしれない。
自分がなぜ地球に生まれたかは
魂の奥底ではわかってるけど
表面の意識ではわからない。
 
こちらの映画は↓
自分の使命なんて
みんなわからずに生きてる。
その時、初めて、自分の役割に気付く。
という映画。
 
私なんて・・・
と思う謙虚な人ほど、
なにかを内包しているかもしれないねキラキラ
 
 
河太郎が座っていた
という、鍵引石↓
こういうステージみたいな岩って
そこに巫女が立ち
天に祈りを捧げてた・・・
この岩は、女神湖に向かってるしキラキラ
 
ミルクレープみたいに
何層にもなってる。
 
 
 
さて!女神湖から白樺湖の方へ行き
(白樺湖も浮島がある元ツンドラ湖)
霧ヶ峰方面へのヴィーナスラインを走りました。
車山のリフトに乗れるかと思ったら
休業中(冬季運転への点検中)だった。
少し移動して、
展望スポットからの車山↓
白い丸い球体は、レーダー
 
移動して、霧ヶ峰の展望台
八ヶ岳の美しい稜線の向こうに
小さく、富士山が見えてます富士山
 
北アルプスも見えます!
 
 
そして、目指していた
霧ヶ峰の湿原へ到着!
『七島八島』
というのは、やはり、女神湖のように
浮島があったので、そう呼ばれてたみたい。
あそこに、蓼科山が見えてますラブラブ
 
すっかり、『島』はなくなってしまい、
水面は、ちょぼちょぼと、見える。
夏頃だと、
たくさんの高原植物が
花を咲かせてるそうですラブラブ
 
木道をず~っと歩いていくんだけど
その、杭の先にも
小さな世界がキラキラ
ストローの先みたいなのは、
キノコなのかな?
 
こんなかんじで
ず~~~っと歩いていきます。
 
目指していた場所に近づいてきたら
すごく気になる岩があった!
鍵引岩で書いたように
祈祷していた岩なのか?
 
目的地に到着グッド!
旧御射山(もとみさやま)
ここへ入るための近道もあるけど
湿原を通りたかったラブラブ
 
説明の看板↓
鎌倉・室町時代ころ、
ここで狩猟を競う祭をしていた。
このあたりだけ窪地で、
周囲は小山になってることから
スタジアムみたいなかんじで
観覧席になっていたらしい。
まるで、コロシアム。
 
でも、その窪地には
この祠があるわけです。
 
 
競技場にしては、ジャマよね?
私は、違和感をおぼえるのです。
なんでここで、競技?
来るにも大変な場所だよ?
 
元御射山跡
と、書かれてるようです。↑
 
祠の横の木は、
本来はまっすぐに伸びていく木なのに
こんなに枝別れしてる↓
誰かが作った木馬
騎馬での矢射ちなんかもやってたからかな?
 
そういう祭をしていたことへの祠では
ないことに
気が付きましたひらめき電球
こちら↓
ここから、↑
周囲の山からの伏流水が流れてる。
祠の下から
こんなかんじで↓
流れていく
 
この祠は
水神のための
祠ですキラキラ
 
キッパリ、言っておきます!
 
少し、コロシアムの上の方へ上がったら
祈祷台かもしれない岩が
点在してるのがわかりました↓
 
ここは、巫者が祈祷をする場所です。
『みしゃ』って、書いて変換すると、
『巫者』が出てきますよ。

この場所は
大元は、神に祈りを捧げる場所だった。
狩猟の祭典をする場所じゃない。
それが
なぜ、そういう場所に変わってしまったのか

のちほど、書きます。
 
 
こちらの湿原は、ハート型なんだってドキドキ
いのめマークだねドキドキ
その湿原から川が流れていて
その川の名前は、『観音沢』
だよね~ウインクラブラブ
水神は、女神なのでねラブラブ
 
 
霧ヶ峰からの湿原への入口に
ひっそりと説明の石碑があった。
そこに書いてあったのは
この地下、4万メートルあたりには
九州の霧島が約6300年前に噴火した時の
鬼界アカホヤ火山灰が堆積している。
その火山灰が1メートル堆積するのには
千年以上かかるとして
歴史の見直しなども検討されているとな。
 
見直せ~~~
嘘は必ずバレるのよ
歴史、おかしいぞ~
 
 
で、ここが↑『旧』、『元』で
こちらが↓
移したという、御射山社へ・・・
(元が本当だけれど、一応)
 
 
鳥居をくぐって登っていくと
このお池がありましたキラキラ
そこから
さらに行くと、
大きな杉の木が両側にラブラブ
さらに登って、
神社がありました。
その、左手前に
やはり、山のお水が湧き出ている場所があるキラキラ
やはり
御射山とは
水神を祀る社なのだねラブラブ
ここは本当に
大木がいっぱいキラキラ
この木の向こう側に
お水が出てます。
 
祠は、新しいね。
真ん中が、御射山社
右が、八千矛社
左が、児?宮社
【兒】という字なの。
意味は、やはり、児の旧字だそうだ。
『2歳児の健康長寿を願う社』
と、看板に書いてあったね。
なんで、2歳児?
 
真ん中が、母
左が、子
右が、父
ってことかな。
 
裏にまわると
大木の切株
その切株から
新しい芽が出てましたラブラブ
 
この境内には
すんばらしい松の木と
杉の木が仲良く
大きく育ってるラブラブ
 
 
 
 
次の御射山です。
塩尻市の方へ移動。
ここは、わかりづらかった!!
アスファルトの道だと、裏側というか、
この社が見えない場所に出るので。
(車を停めて、信州エコプロダクツという建物の横道を入る)
鳥居の前は、こんなに開けてる!
 
小野神社!!!
そうか
小野神社・矢彦神社の
奥に位置するのか・・・
 

《追記》
小野神社で感得した話は
こちらでの後半に出てきます↓ 


 
テクテク、登っていきますよ~
うしろを振り返ると
こんなかんじですラブラブ
 
『虚空蔵さまとも呼ばれている』
って、説明に書いてあったけど
虚空蔵とは、
深淵なる大宇宙
ってかんじの意味。
(あえて黒字。漆黒の深淵なのだ)
地元の人は、
「コクゾウ様」って呼んでるみたいウインク
意味は、知らないんだろうなぁ
ただ、昔からそう呼ばれてきた
というだけのこと。
 
社殿に到着
杉の木と、松の木の
あいだを通るラブラブ
まさに
男神と女神ラブラブ
そのあいだに、大神キラキラ
こういうかんじ↓
 
方向的にも、
小野神社(女神)・矢彦神社(男神)を
見下ろすかんじである。
 
ラブラブよねぇ~んラブラブ
 
ここも、御狩野(競技場)があったそうだ。
きっと、
この田園がそうだったのかな?↓
 
 
最後の御射山です。
諏訪湖を越えて南下して
富士見町です。
 
この説明の後半・・・
御射山神戸村というのがあったのね。
今は、地名は無いけど
御射山社の大鳥居があるあたり
神戸村一里塚ってのもある。
(画像は拾ってきました)
 
一応、こちらが本殿らしいよ↓
 
本殿より、こちらのが
キラキラっとくるけど
残念ながら手水舎に造り変えられて
穴を開けてホースが出ていた・・・
使い方は
手水舎じゃないと思うんだよなぁ
こういうものだと思う↓
 
一番奥に、
三輪社がある・・・
蛇神さまだよねヘビ
 
最近、レプレプって
みなさん、嫌うけど
善なるレプティリアンもいると思ってねキラキラ
地球人と同様だよ。
 
 
 
さて。
なぜ、御射山をまわったのか
と、いいますとね
途中で気づいたんだけど
八島ヶ原の元御射山と
塩尻の御射山と
富士見の御射山で
諏訪湖を
三角形に囲んでいるのです。

これは
御狩の神事がされる以前には
一番最初の
元御射山で書いたように
巫者が祈祷をする場所
ではなかったのか
と、思うのです。
 
三角の地点から
同日・同時に
諏訪湖へ祈りを捧げる
女神を崇め奉るための
祭祀を行っていた場所
だと思うのです。
 
それが
なぜ
狩猟の祭になったのか?
 
弥生族(天皇族)が
九州から本土を侵略し始めて
どんどん北上してきました。
諏訪湖は、女神の本拠地。
長野は、ナーガの野です。
(女神はこんなかんじ↑)
 
侵略する弥生族を食い止めようと
女神も応戦しました。

ところが
弥生族は、神など信じません。
神のいうとおりにしていたら
富を得られないからです。
みんな平等
分かち合い
与え合うなんて
やりたくないのです。
 
女神が兵士を石に変えると
その倍の村人の首を斬り
並べました(御頭祭の元)
人間だけでなく
あらゆる動物の首も並べました。
 
女神の近親者であった
巫女や巫者を捕らえ
苦しめました。
ボロボロに虐待したあげく
虫の息の巫女を
木に縛り付けて見せしめにしました。
(御柱)
 
女神に対し
荒ぶれば
もっと殺すぞ
と脅していたのです。
 
御狩の元は
その聖地で
弥生族にまつろわぬ(従わぬ)者たちを
放ちます。
逃げてみろ
と、走らせて
彼らを狩るのです。
そうやって
聖地を穢したのです。
おまえたちが信じる神に
助けてもらえ
と、大笑いです。
 
 
それが、時代と共に残酷さを除外し
楽しい祭に変えていった。
鎌倉時代頃からとのことなので
武士が政をするようになってから
ですねラブラブ
ありがたや
ありがたや
 
なので、大元は残酷な祭だったけど
今は、みんな、神様へ捧げるために
純粋なキモチで行っているので
大丈夫グッド!
大事なのは、真心だからラブラブ
 
 
長野の大元の神を
ミシャクジといいますね。
以前にも書きましたが
シャクジとは、石神のこと。
(石神井シャクジイ公園ってあるでしょ?石神の井ってこと)
ミ・シャクジの
ミは、巳ヘビなのか
女という意味もある。
(昔、女性をオミナと言ってた)
 
 
たまに
しゃもじをお守りにしてる
神社やお寺があるでしょ?
きっと、シャクジを
もじってるのかな?
と、思います。
女神は
みんなの母であり
衣食住を教えてくれたラブラブ
 
アマビエも女神だと思うのよ。
「私の姿を見せなさい」
と、姿を脳にインプットしただけで
守護されるわけです。
すごいねキラキラ

こちらも↓
ぜひ

 

 

 

というわけで
諏訪湖を囲む
御射山巡礼
無事に慣行いたしました。
(途中で気づいたけども)
 

女神は
い~つ~

い~つ~

出やる?
夜明けの晩にキラキラ

 

それまで、ふんばって

生きましょう!!!