天見の石清水八幡宮,紀ノ川の妻あたり | 心に光を呼びます Padme★yuki

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誰の心にも、神様とのホットラインはあります。
いろんなもので隠れてしまってるだけです。
私でよければ、見つけるお手伝いをします。

 

大阪の玉ゆき庵が終わりまして

ちょいと、★おつかい★へ。

高速道路を使わずに
一般道で行こう
と、思いました。
 
で、
途中で
ナビにとっても気になる
八幡宮が出てきた。
 
ただ、鳥居のマークと八幡宮
って表示されてるだけ
だけど
やけに気になるので
寄ることにしました。
 
 
なんか
いいかんじ~~~ラブラブ

こんな橋を渡って↓
向こうにある。
 
歴史文化遺産
って、なんだろう?
小川が流れているのだけど
そこに、
縄が渡してあった!
こりゃまた珍しい~
 
境内の広いところに
大木!!キラキラ
 
参拝します~
 
拝殿には、
こんな↓鉄釜があった。
 
調べてきた↓
 
ん?美術館にある?
じゃ、ここにあるのは違うもの?
 
 
この額は、↓ 
源頼朝が寄進したとな!
(本人が作ったわけではない。お金を出して作らせたもの)
 
拝殿の後ろの本殿↓
 
はじっこの方に
大きないちょうの木がある。
 
斜面に根をはるかんじが
すごくない???
 
いちょうとは反対側に
上に昇っていく階段があって
行ってみました。
そしたら
薬師堂がありましたラブラブ
そこで、あとから来た
初老のご夫婦が
話しかけてくれました。
 
毎年、お正月に来るんだそうです。
 
1月4日に、
縄かけ神事といって
あの川のところにかかってる大繩を
村人たちがみんな並んで
かけていくんだよ。
それを
毎年、観に来てたけど
今年はコロナで
遠慮したんだよ~
 
縄かけ神事っていうんですか!
すごいですよね!あの縄!
 
と、盛り上がりました音譜
 
ちょうど、その老夫婦が
あの橋を渡っていますラブラブ
 
この縄!!
 
 
御柱を渡した古い例祭
と書いてある。
流谷と天見を分ける結界?
ちがうと感じる・・・
 
逆に
繋ぐんじゃないのかな?
 
つーか
地図で見るとね・・・
流谷地区は
神社から離れてる。
 
いったいなんなんだ?
と、周辺の調査を
今、パソコンでしました。
 
するとですね
ここは、和泉山脈の真ん中らへんで
岩湧山(いわわきさん)の近くでした。
 
岩湧山山頂から
山脈を見たところ↓ラブ
和泉山脈は
大阪府と和歌山県の間に
横長にある山脈。
そこはどうやら修験の修行場だったようです。
今も、ダイヤモンドトレイルという
東西へ縦走する45キロの道があるそうですが
太古の昔から行者の山だったようです。
そして、
不思議なのが
岩湧山の頂上で
毎年、茅場保存のために
山焼きをする。
えっ!!山焼き!?
なんでこんな山の上で???
 
山焼きをする山は、
けっこうあちこちにあります。
 
いくつか行って
感じたことは
縄文の蝦夷や僧侶を
炙り出す。焼き殺す。
ために、焼いた山。
それを
面白がって(戒めのために)
弥生族は毎年の祭りにした。
 
どこの山も
いろいろ理由はあるようですが
結局は、「毎年やってるから」
ってことしかないようなかんじ。
例祭的なかんじ。
 
で、ここはなんで山頂だけなのよ?
と山頂を見てみましたら
そこの名前はキトラ!
なんですって!?ポーン
 
 
キトラの名前は、
ある夜、宿の無料映画を観て
(エロじゃないよ)
とんでもない気づきに発展した
こちらの記事
の中で出てきました。↓
 
 
そして、
この山頂の山焼きの茅場だけ
キトラと呼ばれているって
なにかつながりがあるのか?
 
そして、
下を流れる川は
の川・・・紀ノ川です!
 
キトラって何なんだ?
と、調べていたら
 
アイヌ語で
 
キ 茅
ト    峰
ラ 小国
 
これ、ピッタリじゃない?
 
 
 
それとね
先日、知ったのだけど
これも関係あるかな?
 
 は、celt (ケルト)
が、語源かもしれないという説。
 
しかしそもそも
ケルトとは、国名でも民族名でもなく
未知の人
という意味なのだそうだ。
 
そのケルト人の文化には
祈祷僧侶がいた。
まるで日本の密教のようなのだ!
 
彼らはドルイドと呼ばれていた。
以下を読んでみてもらうと
日本の縄文時代の自然信仰
山岳信仰、密教に
共通するものがある。
 

ドルイドの教義、儀式は、

文字化されず口伝による。

(縄文の文化とおなじだよ)

王にもまさる精神的権威を認められ,

宗教と魔術のほか,

裁判や若者の教育,

病気の治療などにあたった。

世襲制はなく,

ドルイドを志願する若者は,

ときには 20年間にも及ぶ長期の修練を経て,

伝承された秘儀的知識を習得しなければならなかった。

 

宇宙神を中心とする

独特の神の体系をもっていた

と推定されるが、

霊魂不滅を信じ、

自然崇拝が盛んで、

聖樹、聖獣、聖泉、

聖山信仰などもみられた。

抽象的、記号的性格の造形感覚をもち、

その美術は、

抽象文様、形態のリズム化を特徴とし、

木偶(もくぐう)などの木彫、

装身具・武具としての金工細工などに

卓越した才幹を示した。 

 
ドルイドという意味は
オーク(樫)の
木を知っている人
《木々の秘儀を知っている人》
ということでしょう。
ドルイドは神殿を構えず、
森の奥の、しかも天体のよく見える地を選んで祭壇とした。
樹木のなかでは
とくに枝を張り巨木となるオークを神聖視した。
聖なる森は
聖別された泉や川により灌漑(かんがい)され、
堀や土手に囲繞(いじょう)されて、
中央には巨石群があったともいわれる。
巨石文化(モノリス)は彼らの所産である。
ドルイドがもっとも神聖視したのはヤドリギで、
万病の薬と考えられ、
冬至と夏至の日に恭しく採取されたという。
 
どうなのよコレ
そっくりじゃない?
 
未知の人:Celt
 
キトラの、『キ』は
この、未知の人たちのことだとしたら
キトラ古墳の天文図なんかも
納得がいくよね?
 
紀ノ川の『キ』も
この人たちが住んでいた川
だとしたら?
 
紀伊半島の『キ』も
そうだとしたら?
 
森林の中を駆け巡り
聖なる山、川、滝、巨木、巨石へ
祈りを捧げ続けてきた
熊野の僧侶たち・・・
 
昔の僧侶たちは
みんな自分で仏像も彫るし
祈祷の神通力が凄かった!
 
牛頭天王の蘇民将来の話と
そっくりなものがある。
〈神々は異国の人に身を変え,
 ありとあらゆる様に身をやつして,
 人間の非望と分別とを
 取調べるために町々を歩き回る〉
と考えていて、
旅人には親切にするべき
という風習があったそうだ。
困窮者を助けることも奨励され
分け与える文化があったそうだ。
 
なので
紀伊半島の伊勢が
牛頭天王を主神としていたのも
うなづける。
 
 
きわめつけ。
 
トリケトルといわれる
ケルトの代表的な紋様です。
 
日本にもまったく同じ様相で
結三柏 という紋があります。
 
三つ葉の紋ってたくさんある。
 
日本は、なんでも三つが基本。
 
 
 
未知の人が
日本に来たのか
それとも
日本から学んだ人が
ヨーロッパへ行って
未知の人になったのか
 
それとも
どこからともなく
地球の各地に降り立った
地球外生命体なのか?
 
 
 
話を元に戻しますウインク
この縄よ↓
いったいどういう意味なんだろう?
 
下を流れる川の名前は
天見川
 
あらためて
説明の看板を見た。
(来た時はスルーしてた)
そしたらさ!
ここの文!
 
根本神領って、なに!?
 
 
神社の所在地には、かつて
甲斐荘という
石清水八幡宮の荘園があった
甲斐荘は、
宇多天皇の皇子
式部卿敦實親王が
康保3年(966年)以前に
石清水八幡宮に親王領を寄進されたことが石清水文書で確認できる。
当時、石清水八幡宮の
根本神領であった
河内国錦織部郡甲斐荘山郷流谷に
長暦3年(1039年)1月6日に
石清水八幡宮より八幡神を勧請し、
社殿を造営したことが神社創建の起源とされている
 
 
『当時、石清水八幡宮の根本神領であった河内国錦織部郡甲斐荘山郷流谷に』
ってことはさ
『流谷へ京都の石清水八幡宮を勧請した=持ってきた』
という表現より
『流谷が根本なので、石清水八幡宮という名前を持ってきた』
という表現にならないかなぁ?
 
この和泉山脈が
修験のお山で
当時は、凄かったんじゃなかろうか?
宇多天皇は
仁和寺第1世。
独特の信仰を残してるよね。
 
 
 
さて
移動します。
紀ノ川のそばに
やってきました!
 
地名は、『妻』という場所。
 
そこに
気になるちっちゃな神社
妻神社
西の社
 
で、こっちは
妻神社
東の社
 
昔ながらの
石の祠
 
すぐそばを流れる
紀ノ川
 
すぐそばに
阿弥陀寺も発見したので
行ってみました。
 
 
 
そして
阿弥陀寺のそばに
妻神社
中社
というのを見つけたので
行ってみました。
民家の庭を入っていくかんじで
ちょっと躊躇しましたが
ちゃんとありました。
どこも、2社ずつ。
阿弥陀寺もそうでしたね。
 
これはなんだろう?↓
永代太太神楽
というのは、検索で出てきたけれど。
 
施餓鬼供養の石碑↓
 
すぐ横は線路です!
 
息子のために撮影した
紀ノ川に架かる陸橋と線路
タイミングよく
きたぁ~!!
 
 
近くのスーパーで
なつかしいので買いましたドキドキ
 
どうしても河原に降りたい・・・
ので、なんとか、場所を探して
降りました。
河原のそばに
こんだけ神社、寺があるって
かつて、死者がいっぱい出た河原ってことだと思うのです。
 
紀ノ川を挟んで
たくさん戦があったのかもしれないし
処刑された人たちがたくさんいたのかもしれない。
 
河原ってのは、昔は処刑場所になったところが多い。
 
 
みなさん
成仏してくださいキラキラアップキラキラ
と、祈る。
 
で、念佛寺ってのに行こうとしたら
ものっすごい道が狭くて
迂回場所を探していたら
こんなところに出会った!!
私が乗ってたレンタカー↓
 
上空で
トンビが旋回
 
 
 
見事な彫刻です!
 
再興ってことは
村のみなさんで
協力して復活させてるんでしょうね。
 
波が宝珠を運ぶ↓ラブラブ
ありがたや
ありがたや
 
少し小高い場所なので
眼下に、また電車ウインク
 
 
道が細すぎて
避けてこっちへ来て正解だったキラキラ
 
 
 
 
そして
和歌山県の鳴神の
今夜の宿で
ゆっくり温泉入ろう~温泉
と向かったが
 
また
 
寄り道~あせる
 
つづく・・・
 
 
 
 
 
 
 
 

2月の新宿も空いてます。

募集してまーす音譜

 

 

 

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