先日、水子貝塚公園というところへ行きました。
(この時も、道を間違えて「あ、貝塚・・・」と気になって行った)
縄文時代は、このあたりまで海で
海と川に恵まれた土地だったようです。
人々は、山の幸と海の幸の恵みに感謝しながら
生きていたのですね。
公園の方は、竪穴式住居を
元々の柱の穴を活かして再現しているようです。
ボケてしまった
中央に、犬がいますね?
それが、ここの貝塚で発見された
大きな目玉らしいです。
(だから国立指定公園)
実は、縄文時代の
女性と犬の骨が
出土してるんです。
ありえないでしょ?
5000年以上前の動物の骨なんて
とっくに土に還ってしまってるはず・・・
なぜ、残っていたかというと
貝に寝せてあったのです!!
白い説明札の向こうに
発見された状況を再現してあります。
発見された時の写真が、こちら
こんなに綺麗に残っていたんだよ!!
貝を敷き詰めた場所に遺体を置いて
その上にまた貝が重なっていったから
貝に護られて、融けずに残っていたの。
30~40歳くらいの女性と
柴犬くらいの大きさの犬
なぜ、この人は、貝の中に???
私は、涙があふれて仕方がない・・・
なぜ?
この資料館のおじさんが
「なにか、質問などはありますか?」と
やってきてくれて
いろいろお話をしていたのだけど
おじさんは、
貝塚は、食べた貝の殻を捨てるゴミ捨て場
だという説を信じてらっしゃる。
でも
おじさんも、
あの遺体が「捨てられたもの」とは考えにくい
と言う。
特別なのだ。彼女は。
犬は、彼女が飼っていた相棒。
おじさんは、
貝塚の中に、時々、
動物の骨や魚の骨、木の実などが入っていたので、
それを調査して縄文人の食生活が判明した。
と、おっしゃった。
縄文人は、貝ばっかり食べてたわけじゃなかろう。
もし食べ残しを捨てる場所ならば
貝よりも動物や魚の骨のが多くなるんじゃないのかな?
私の推測。
貝を敷くのは、神が宿る場所を作るため。
神は、海からやってくる。
(↑ 出雲大社の、大国主の元へやってきた大物主の像)
(↓ 沖縄のどこかの島にこっそり残っていた龍騎観音の絵)
海の龍に乗ってやってくる。
海の中では、美しい貝を敷き詰めた寝所にいる。
だから同じものを作って
ここへ来ていただこう。
というわけで、
貝を敷いた場所は、祭祀をする場所ではなかろうか?
供物とした動物や魚、木の実が
祭祀の時だけ残るので
貝に比べて発見される量が極端に少ないのでは?
あの公園には、転々と貝塚があって
ゴミがいっぱいになるとまた違う場所を作って・・・
というのが説らしいが
それは、神が来る方角が変わるからじゃないかなぁ?
毎年、恵方があるように。
神は、日本だけじゃなくて、世界中を巡行なさってたから
次は、あっちから来るよ
今度は、あっちから来るよ
って、神の拠点である日本では
知ってて当然のことだったんじゃないかな?
誰のために貝を敷く?
そして、あの貝に埋まっていた女性は
神と話ができる巫女だったのでは?
私の中では
縄文時代、村の長を務めるのは
女性だったように感じるのです。
神とつながり、村人を正しく生きるようにまとめるのは
女性だと思うのです。
母の愛こそが、平和な世を作ると思うのです。
女性の愛は、海そのもの。
女は海~~~ 私の中でお眠りなさい
ですよ。
もちろん、ミッキーとミニーの愛を
見習わねばなりませんよ
『家族ってなんだろう?夫婦編』
『女性であること』
歴代の巫女の中でも
この貝塚に埋葬された女性は
特別だったのでしょうね・・・
と、私は思うのですが
いかがでしょうか?
そして、このおじさんが
このへんは湧水が豊富だからね~
あっちこっちで湧き出てるんだよ。
富士見市の水の30%は湧水なんだよ。
へぇ~♪じゃ、美味しいんですか?
いや、そうでもない(笑)
なんて話をしてたら
近くに、その湧水に水神さまを祀ったところがるよ
たしか、龍神だよ
くりから不動明王も祀られてたよ
えええ~!そこ、行きたいです~!!!
と、場所を教えてもらって行ったのが
先日のこの写真
他にもちょいちょい寄りまして
おお!!!
というものを発見。
左が、八雲大神 右が、牛頭天王
注連縄で結ばれてるということは、この二神は夫婦だよ
ってことじゃないですか?
そして
同じ神社にあったこちら
猿田彦大神 と 浅間(あさま)大神
も、結ばれてます・・・
意味深だろぉ~~~( ̄∀ ̄)
この考察はまた次回に