秦野市に引っ越してきて
あんまり散策してなかったのだが
最近になってこんなに歴史の深い
謎めいた土地なのがわかって
驚きまくっておりますが・・・
昨日、ぶらりと山奥へ行きました。
ってか、道を間違えて、Uターンする場所がなく
上へ上へと行ってしまったら・・・
なんだか素敵な場所へ辿りついた。
お出かけを面倒くさがっていた息子は
水遊びが大好き
さっそく靴を脱いで入っていってしまった・・・
あの ↑ 橋の上に行ってみたら
あら、こんにちは
脱皮中だったようで・・・
失礼しました
もっと高い場所へと移動してしまった
ごめんね
橋を渡ったら、この道しるべがありました。
いつ行くんですか?
今でしょ
息子に「一緒に行こうよ」って言ってみたものの
「かーたん一人で行ってきなー」
230メートルくらいなら、すぐ行けるか
と、一人で山の中へ・・・
近いっちゃあ近いけど
道がもう、植物が生い茂って隠れてました。
ジャングル状態
着きましたー
素敵
古くなっちゃったお供えのお茶やお酒をかたづけて、
ゴミはうちへ持ち帰り。
スッキリしたところで
祈りを捧げて
息子のところへ戻って
川の奥の方・・・滝になってるなーと思い・・・
行ってみた
小さい滝つぼができてた。
夏はここで涼むといいかも~
帰り道すがら見つけた
子之神社
後ろは丹沢の山脈
ご由緒は・・・
推古帝の御世 (五五四~六二八)と
白鳳時代 (五五二~六四五) に、
子之神社の子之神の歴史が残されている。
低地水田の開発の指導者であった族長の霊を山上の古墳に祀り、
そこを一族の発展や収穫の祈願など呪祭を行う場とした。
人々は水を汲む処を中心に集まり (その人々を井の子という) 、
井の子は井の辺または上に住居を営み、
家に住む血族が家の子になる。
家の子の神が、子の神である。
やがて大和朝廷の影響下に入ると
祭神も朝廷に関係ある神々、大国主命等に改められた。
しばらく走ると、ナビに気になる社名・・・
加羅古(からこ)神社
写真が暗いけど、中の銀杏の木
切ってなかったら、ものすごい高さに伸びてたんだろうな~
っていう高さです・・・
『加羅古』は、当て字で
本当は唐子明神なんだそう・・・
唐子とは、中国風の髪形や服装をした子供の事
神社の伝承を調べてみた。
むかし、毎夜山に光るものが現れ、
不思議に思った村人が登ってみると、
突然空に御神燈が光り、
次に奥の山上に、また奥の山上にと
光輝き竜馬に乗った神童が現れ
神像を渡し祀るようにと云い、
村人は最初に燈った山麓に加羅古神社を建立したという。
この神童がきっと、唐風の衣装を着ていたのかしら?
神様はほぼ、唐風よね?
天女さましかり。
鶏足よ~ん
唐風というより、時代のファッション的に
それが流行りの頃が
神様が地上にいた時代なんじゃないのかな?(笑)
その後は、神様たち
人に世を明け渡しちゃったから。
(天孫降臨で、ニニギがイワナガヒメを断っちゃったからね)
というわけで
秦野市、奥が深いなぁ・・・とつくづく感じるのであった。
白山神社もいっぱいある。
一軒行ってみたら、人んちの敷地内だった(笑)
そんなとこまで載せてるマイ・ナビ・・・
不思議なマイ・ナビです。