能登半島への旅8/8 | 心に光を呼びます Padme★yuki

心に光を呼びます Padme★yuki

誰の心にも、神様とのホットラインはあります。
いろんなもので隠れてしまってるだけです。
私でよければ、見つけるお手伝いをします。




前の晩に
美味しいお酒と、旅友も一緒で楽しくて
ついつい飲み過ぎてしまった・・・

夜中に私は激しく・・・ 
朝、5時半くらいに目が覚めて、
お風呂に入って、すべてを出し切り(笑)
ホテルを出る頃には復活

旅友も、がんばって支度しようとするけど
「あ~~~ダメだぁ~~~フラフラするぅ~~~」
9時に出港だから、なんとか頑張るものの
やはりグロッキーなので
かわいそうだけど、旅友をホテルへ残し一人で舳倉島へ 

この島へ行くための旅であり、
私にとっては遊びではなく、ご神事なので
行かないわけにはいかないのです・・・ごめんね

旅友さんも
「やっぱり私にはまだ早いってこと~?」
と、言いながらベッドに寝てました(笑)

 舳倉島の紹介
 

船はものっすごい揺れで、 旅友さん来なくて正解。
二日酔いでなんて乗ったら、最悪なことになる。
小学生たちの夏休み探検企画みたいなので
たくさん子供が乗ってたけど
みんな、大変だったみたい。
(下船してから、子供たちの会話が
 「おまえ、吐いた?」って、
 予防注射の時の
 「おまえもう注射した?痛かった?」的なノリに(笑))

私は、そうなることを想定して、

(席もいっぱいだったし)
甲板の貨物置き場のすのこの上に座ってたんだけど
あまりの揺れに、こりゃアカン!!
恥かしがってる場合ちゃう!!と、
ゴロンと仰向けに寝た。
なので、マーライオン再来にならずに、乗り切りました
 




舳倉島には、7つの神社があります。
島の周囲には、7つの小さい島もあります。
その7つの島は、地元では怪獣島と言われているらしい。
奇怪な形だから。
と、昨夜の『狸』のご主人が教えてくれた。
(ご主人は、私たちが到着する8/7の明け方に
 ゲリラ豪雨が降ったことも教えてくれました)

 

港から、島を横断して
金比羅神社へ出ました。
 
まずはご挨拶

なぜか
手で、

しゅっ・しゅっ

と、十字を切った。

なんだこれ?(笑)

と思いつつ

まぁ、それをやれってことかな?

と、出会う祠たちに

していきました。

 
北側の海岸は、溶岩?でゴツゴツ。
金比羅神社から、左側にある 八坂神社 へ行くのに
道に戻っちゃうと海が見えない(草木で)から
ゴツゴツの岩の上を歩き、
膝くらいまでの草の中を歩き、
小さな入り江で漁をしてるおじさんと海女さんに
見つめられながら(笑)進むと
名も無き石積みの祭壇が・・・
(風化してわからないけど、仏様を掘ったような石も)
写真を撮るのを忘れちゃったんだけど
(ビデオには残ってる)
そこでも祈りを捧げました。
八坂神社も、写真が無いわ(笑)

で、海岸を歩くのはあきらめて道へ戻り
龍神池へ・・・
 
無他(むた)神社です
ここで、大きな鳥が池の上を通過して
「えっ!?鶴!?」って思ったけど(羽の先が黒いんだもん)
いるわけないよね(笑)
サギでした(笑)

そして・・・
夢で見た光景が、コチラ
 
神社の姿はなく、草がボーボーで空。
この光景です。
(この場所に来るにも、膝くらいの草ぼーぼーの中を歩く)
この場所だけ、他の場所に生えてる草とは違う。
湿地になっている。
なぜ、私をここへ来させたのかは、不明だが
なんとな~~~く
こういうことだったのかな?と思うところは、アリ
それは、秘密

(後日、撮ってきたビデオを見ながら
 はああっ!!0007.gifと、記憶が降りてきた。
 何千年も昔の自分を見つけました。

 ★それを書いた記事★ )

 
少し高いところに、ケルン(石の塔)があり
横の四角いのは何だろう?と覗いてみると
 
池に向かって出入り口があり
着替える場所みたい?控室みたいな?カンジ。
太古の昔、祭事が行われていた頃に使われていたものか?

この龍神池には、龍女伝説がある。

昔々、この島に一旭(いっきょく)という僧がやってきました。
毎晩、池の側で漁師や海女といった島の人々を集め
有難い法話を語っていました。

何時ごろか、その法座の席に
1人の若い美しい女性が聴きに来るようになりました。
しかしその女性は、一旭には見えても
島の人々には見えないのでした。
ある晩法話が終わった後に、声をかけました。

「毎晩熱心に私の話を聞きにいらっしゃいますが、
 どなた様ですか?」
するとその女性は
「私は実は人間ではありません。
昔からこの島に住んでいた龍でございます。
死んで亡骸(なきがら)は池の底に沈んでいます。
生前に犯した数々の罪の為、成仏できず、
子供の龍と一緒に苦界をさ迷っています。
行者様が海を渡ってこの島にやって来て、
有難い法話をされているので、
人間の姿になって聴いていたのでございます。
何卒、池の水をすくって死骸を引き揚げて
その法力で私を成仏させてください。」
と涙ながらに訴えました。

翌朝、一旭は村の人々を集めて、
池の水をくみ出させ、池の底を探してみました。
すると池底から頭を大小2つの龍の骨が現れました。
夥しい数の骨は四斗樽に4杯分もあったといいます。
一旭は、頭蓋骨は輪島の法蔵へ運びねんごろに法要し、
残りの夥しい量の遺骨は島の法蔵寺分院に埋葬しました。
それから後は、
その龍の亡霊である女性が現れることはありませんでした。


その龍女の夫である父龍は、今でも海に住んでいると考えられ
毎年、龍神祭が行われているそうです。

一旭は、弘化4年(1847)に亡くなられたと言われ、
島の中央台地には「行者の碑」が建てられています。
またこの龍神池は、水が枯れたことがなく、
池の底は竜宮へ通じているとも伝えられています。
で!とうとう調査してみたら


 
こちらも、地図には出てないけど
左上の石に、なにか書いてあるが、読めない(泣)

 
島の北、先端にある 恵比寿神社
鳥居は海を向いている。

 
恵比寿神社あたりから港あたりに民家が並ぶ
 
めちゃ可愛い

 
ひっそりと・・・
千手観音様みたいだった

奥津比咩(おくつひめ)神社
 

先ほどの龍の骨、輪島の法蔵寺にあるそうですが
その分寺が島の中央にある
 

 
 

そのそばに、学校と、学校の前に地蔵菩薩様
 
中にいるけど、見えないね(笑)

島、一周5キロほどということで
それぞれにゆっくりお祈りしても
14時には周り終えました。
他の人たちはもっと早く終わったみたいだけど(笑)
15時出港なので、
残りの時間は龍神池のそばに座り
ほっこりしてました。
暑かったけど日傘さして
でも、この旅行の3日間は、涼しかったね

輪島へ戻る海は、朝ほどの荒波はなく穏やかでした

旅友さんが、宿泊ホテル(ホテルルートイン輪島)
の裏のおみやげ屋さんにいるよ
とのことで行くと
すっかりお店のお姉さんと仲良くなってました
さすが旅友さん
 
お店のお姉さん ↑
(顔出しは恥かしいとのことで、隠しました)
お父さんが漆塗りの職人さん
でもあり
セグウェイのインストラクターでもある
 
2000円以上お買い上げのお客様には
お父さんが乗り方を教えてくれて
乗らせてくれる。
もう夕方で、お父さんも不在だったので、
明日の朝、乗せてくれることに

夜は、とてもじゃないけどお酒は飲めない(笑)
でも、美味しいお刺身定食を食べて

道の駅『ふらっと訪夢(ほーむ)』
(旧・輪島駅。廃線になってしまった)
の前で、
御陣乗(ごじんじょう)太鼓のパフォーマンス鑑賞
 
恐いお面をつけて太鼓を打ち鳴らして
上杉謙信の軍勢の寝込みを襲い、軍を追い払った
という太鼓です。
記念写真
 
さて、私はどれでしょう?(笑) 
 
・・・つづく