以前、ある番組を見ていて東大卒の方が話していました。
「東大卒でも3分の1は、フリーターの危機を感じている」
そして出演者のもう一人の方も話していた。
「これからはコミュニケーション能力がないと仕事ができない」
他の出演者共に、勉強ができても周りの人とうまく人間関係をつくる能力がないと仕事もできないということを力説していました。
ちなみに、日本経団連が発表した新卒採用に関するアンケート調査でも、採用選考時に重視する要素としてコミュニケーション能力がダントツの一位になっています。
2位のチャレンジ精神、52.9%に対して、1位が、コミュニケーション能力、75.1%。
それで、もし、お子さんに有意義な人生を送って欲しいと思うなら、コミュニケーション能力を育ててあげる必要がありそうです。
それに加えて、勉強の目的を考える必要もあるかも!
なぜかというと・・・
勉強もしっかりした目的意識を持たないと、それは危険でもあるからです。
その点について大好きな作家?喜多川泰さんはこのように述べています。
勉強という道具についてはどうでしょうか?
その便利さはある程度知っているかもしれませんが、危険性について考えたことがある人は少ないんじゃないかと思います。
勉強ができるようになって、できない人を見下すようになる人がいます。勉強ができるようになるのと引き換えに挨拶すら、ろくにしなくなる人がいます。
勉強によって手に入れた知識で満足してしまい、それを自らの人生に活かすのではなく、他人を批判するために使う人がいます。
勉強だけに没頭しすぎて人の気持ちが分からなくなってしまう人、人とコミュニケーションがとれなくなってしまう人がいます。
(一部省略)
全部、勉強という道具の使い方を間違えているんです。そうなることがわかっていても、親は勉強という道具を持たせたでしょうか?
考えるべきは、「何の目的のために、それを使おうとしているか」なのです。
これを読んでどう思われたでしょう?
有名な高校や大学に入ることだけが目的になってしまうと、人との関係や生きる力がおろそかになりかねません。
かえって、それによってコミュニケーション能力が落ちてしまうとしたら、悲しいことです。
以前、同じ塾に通っている生徒に対して、「みなライバルだ」と思うように強制され、お互いあいさつもしない塾もあるということを書きました。
そんな環境で勉強だけしているとしたら・・・
とんでもない間違いを犯しているかもしれません。
では、そんな環境で育った子たちは、どうなってしまう?
「居場所のない時代を生きる子供たち」という本の中で、宮台真司氏はこんなことを書いています。
東大の例を出しますと、東大の男の子たちの4人に1人くらいは誰ともしゃべらない子です。
おせっかいな女の子が無理やりコンパに連れて行ったりすると、ずっと英単語の勉強をしていたというくらい、ソシアルスキルがゼロなんです。
あるいはコンパでも東大生との合コンはギャグネタです。せっかく男の子と女の子が互い違いに座っているのに、男の子同士で「自分はセンター試験でいかに低い点で東大に入ったか」という、「低い点入学自慢」を延々2時間やっている。
枚挙に暇がありませんが、簡単に言うと東大生は同世代から全く尊敬されていません。
その東大において4人に1人が誰とも話せず、たぶん会社に入ってもすぐに干されるような、「終わってしまった人間」であるわけです。
ちなみにこの文章、「コミュニケーションできない男たち」という副題の中のものでした。
ちょっと衝撃的ですね。でも現実なんだそうです! かなり痛い!
もちろん、4人に3人の方は優秀で有能な方なんでしょう。
しかし東大に入ったからと言って、それだけでは安泰ではないというわけです。
だからこそ、勉強の目的を考えてほしい。
どんな塾に行くか、その選択も重要だと思います。
ここのところ、紹介している「花まる学習会」のような塾であれば、我が子であったとしても学ばせたいと思います。
なぜなら、「何のために勉強するか」という思想とその実践の部分でとても共感できるからです。
もちろん、高濱さんの考えを100%受け入れているかというとそうではないのですが、素晴らしい教育者であることは間違いないと思います。
では、勉強という道具を使って、子どもさんにどうあって欲しい?
そこを考えるこ事が、子どもを自分で飯が食えて、多くの人に必要とされる人生を歩む上で、必要なのかもしれません。
参考図書「手紙屋 蛍雪篇~私の受験勉強を変えた十通の手紙~
」
この本、すべての中高生に読んで欲しいと思います。