●「黒子に徹する」必要性とその効果? | ◆「生まれてきてよかった」そんな実感を持てる子に育てるヒント!◆

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勉強だけできても意味はない!

学習のコツや勉強する意味を一緒に考えると共に

勇気づけでお子さんの健全な心も育ててあげませんか?

お子さんに対して余計なお世話を焼くことはありませんか?


例えば、子どもが勉強の問題を抱えていたとします。


そんな時に、塾に行きなさいと親が準備をし、無理にでも塾に行かせるとか。


アドラー心理学では、このような場合、課題の分離というものをして考えるように教えられます。


課題の分離とは?


それが誰の課題なのかを分けて考えることです。


基本的に、勉強の問題は、子どもの課題です。


そのため、もし、そこに親が口を出すとすると、いろいろと弊害が生じる可能性があります。


弊害とは?


①自信を失う


②依存的になる


③反抗的になる


④失敗を人のせいにするようになる


⑤親が忙しくなる


このような弊害です。(パセージテキストより)


そのために親は、その問題が誰の問題かを分けて考えて、そこにむやみに口出しをしないようにする必要がありそうです。(だからと言って全く口を出せないというわけではありません)


今回パセージに参加して下さっているKさんは、感想を送ってくださって、その点についておもしろい表現を使っていらっしゃっていました。


「黒子」という表現です。


では、Kさんの感想をご紹介します。


私が今回のパセージ第三章で強く感じたのは『黒子に徹する』必要性とその効果でした。


開いた質問(答えがyes/noにならない質問)をしようとすると、自ずと相手のフリートークを促す形になり『自分』を会話に差し挟む余地が極端に減ります。


また、課題の分離をしてみると、頭を悩ましている問題のほとんどが相手の課題であることに気付きます。


余計なお世話ってやつですね。


自分を控えるって、その時、その瞬間は結構我慢が要るんです。


話していれば心に『私は…』『でも…』がムクムクと顔を出してきます。


一緒に暮らしていれば自分が目についたところは何とかしたい(させたい)と思ってしまいます。


しかし二人以上の集団のなかで『私』を優先し押し通そうとすることは『お金儲け』と一緒でいくら求めても満足することはありません。


新たな不満を生むのみです。


そこで黒子に徹して意見を言わず、相手の話を聴いたり、課題を分けて『自分のなかの(こうあるべき)相手』を手放すと、いつの間にか不思議と、深い幸福感の中に居る自分に気が付くのです。


これは『私』を優先し、我を追求していては辿り着けない境地ではないでしょうか。


パセージの講座は、相手の存在もムクムク出てくる自分も、どちらもありのままを温かく見守り、そして見守られながら進みます。


気持ちを寄り添わせながら、事例を多角的視点で立体化していく作業を通して、気が付けば純粋に参加者の笑顔を見ると、こちらも嬉しく笑顔になれてしまう講座の在り方に、私は深い敬意と感謝を抱いています。


今回の受講ではそれがより強く、改めて認識させられたように感じました。


パセージの講座自体がはまさしく、

・私には能力がある!

・人々は仲間だ!

というパセージの基本理念を体現しているそのものだ、と思います。


Kさん、感想を寄せていただいてありがとうございます。


ちなみにKさんのパセージへの参加は、今回、2回目だそうです。


実は、今回の水戸パセージでは、再受講の方が3人いらっしゃいます。


それだけ、濃い内容が詰まっているということなのだろうと思います。


さて、この方もご自身のブログで、今回のパセージについて記事にしていらっしゃいます。



パセージでは、どのようなことが行われているのか、具体的にわかる記事となっています。


是非、ご覧になることをお勧めいたします。