少し前に、こんなメッセージをいただきました。
今度、
脅し?教育についても、ブログ書いていただけたらなぁとリクエストです。
寝ないとおばけくるよ!ーとか、
なまはげのテレビを見てから怖がるのをいいことに、言うことを聞くから有効に使うとか、今は節分が近いので、園の先生までも、鬼に電話しておこうかなぁ?
と言ってるのを聞いて、違和感があったりします。
確かに、言うこと聞きますが。。。
このリクエストにお答えして、「脅し教育?」について考えてみたいと思います。
さて、この方も指摘されているように「脅し教育」は、効果があることでしょう。
自分自身のことを思い返しても、子どもの頃に、お化けの話を聞いて、トイレに行くのも怖かったことを思い出します。
「~しないと、お化けが出るよ」と言うような形で、脅されたこともあったような気がします。
でも、それって・・・
この問題を子育ての目標と関連させて考えてみたいと思います。
アドラー心理学の子育て講座パセージで考える子育ての目標は、
自立して社会と調和して暮らせる
というもの。
講座では、その行動面の目標を達成するために、いつも心理面の目標をチェックすることで、最終的に向かうべき方向(自立して社会と調和できるかどうか)に向かっているかどうかをチェックするように促されます。
心理面の目標とは?
①自分は能力がある
②人々は私の仲間だ
例えば、園の先生が、脅して何かをさせるために、
「鬼に電話しておこうかなぁ?」
と言うとすると、子どもは、
①自分は能力がある
②人々は私の仲間だ
と感じることができるでしょうか?
「自分は能力がある」は、どうかはわからないとしても、自分が怖くてしょうがない鬼に電話し脅す先生に対して、子どもは「人々は私の仲間だ」と思いうことができるでしょうか?
多分、子どもはそう感じないと思うのですがいかがでしょう?
では、もし、子どもが「人々は私の仲間だ」と感じられない状態で成長したときに、自立して社会と調和して暮らせるでしょうか?
もちろん、一度や二度、脅されたからと言って、「もう僕は、先生を仲間だとは絶対に思わない」と子供が簡単に決断してしまうことはないと思いますが、それでも恐怖で人をしばるのは、あまり良い方法とは言えないような気がします。
それに加えて、鬼や「なまはげ」で、効果があるのも、ある年齢までではないでしょうか?
一定の年齢を超えてしまうと、子どももそれが単なる脅しであることを見破って、その効果が必ず失われるときが来ると思います。
では、その時に子どもは何を学ぶでしょう?
そう考えると「脅し教育?」があまり良い方法とは思えません。
だからこそ、メッセージを下さった方が、そこに違和感を覚えるというのも不思議ではありません。
とはいえ、先日、紹介した諸富祥彦先生がこんなことをおっしゃっていることも、お伝えしておきたいと思います。
先生は、人間が「深い自己肯定感」を育てるために、「大いなるいのちとのつながりの感覚」や「人間を超えたものへの畏敬の念」の育成が不可欠と指摘しています。
つまり、人が自分を肯定して生きるためには、「大いなるいのちとのつながりの感覚」や「人間を超えたものへの畏敬の念」などの、スピリチュアルな事柄も大切であるというのです。
具体的には先生の著書に説明を譲るとして、人間があまりにも傲慢になって、この地球を破壊しつくさないためにも、そのような感覚を、これからの時代を生きる子ども達のうちに育ててあげることも大切なのかもしれませんね。
そのためにも、まず大人が・・・
参考図書
ほんものの「自己肯定感」を育てる道徳授業