まず、よろしかったら次の記事をご覧になってみてください。
10円まんじゅうさんの「自分さえよければ」という記事
です。
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ご覧になっていただけたでしょうか?
この記事は、「自分さえよければ」という人が増えて、その影響で、さらに多くの人が「自分さえ・・・」と考えるので悪循環に陥っている、そんな記事です。
では、なぜ、そんなふうになってしまったのか?
今日は、そのことを、昨日届いた本の紹介とからめて、記事にします。
さて、昨日、お願していた一冊の本が届きました。
それは・・・
ボクたちのアドラー心理学入門4
野田俊作講演集
この本、めちゃくちゃおもしろいです。
例えば、“新・やる気の話”というタイトルの文章があるのですが、普通なら、「こうすればやる気が出て、志望の学校に入れる」、そんな話が多いのではないかと思いますが・・・
全く違うのです。
かえって、人々が、しあわせを目指して一生懸命仕事をして、富んできたのはいいのですが、見失っていることがあると野田さんは指摘します。
例えば、
アドラーは、目標って話をする時に、必ずその前に仮想的という言葉を置いたんです。
仮想的目標だというんですね。
だから、お金を儲けようという方向で現在働いているとすると、それは将来お金持ちになりたいから、お金持ちになったら幸せだろうからって我々は普通思うんです。
でも、そう思い込んでいるけれどもお金持ちになったら幸福というものはない。
僕らが本当に欲しいのはお金ではない。
本当に欲しいのは社会的地位ではない。
本当に欲しいのは幸福なんです。
その本当に欲しい幸福と、お金とか地位とかというものがいつの間にかゴチャゴチャニなっているわけね。
そこを一度整理してみましょう。
確かにお金があれば、しあわせになれると思って、人は努力をする方が多いと思います。
でも、お金があれば幸せかというと違いますね。
皮肉なもので、多くのお金を得て、毎日、おいしいものを食べて、病気になって人生の歩みを短くしてしまう人もいます。
病気になって入院していても、家族が誰も見舞いにも来ない会社の社長さんもいると聞きます。
だからこそ、何が幸せなのかということをよく考える必要がありそうです。
ちなみに、子どもに勉強をしてほしいと多くのお母さんは思っていらっしゃると思いますが、ここで注意が必要です。
子供に勉強をしてほしい理由は、子どもに幸せな人生を歩んで欲しいからだと思います。
では、勉強をする理由について、こんなふうに言っていませんか?
「あなた方が勉強すればいい学校に行けて、いい会社に行けていいお嫁さんが来て、しあわせになるのよ」
この点に関して、続く野田さんの文章をお読みください。
例えば、子どもが学校で勉強するのは子どもが賢くなって、いい大学に入って、子どもがいい会社に入って、子どもがいい収入えるようになるためではないんです。たくさん勉強して社会の役に立つ人になるためなんです。
学校で学んだことというのは、その子の安全やその子の地位を保証するためのものではなくて、その子が社会というシステムの中で、一番良く動けるように学ぶためです。
その視点を子どもが取り戻せば、教師が取り返せば、親が取り返せば、子どもは今とは違うやり方でちゃんと動けるようになるでしょう。
今、子ども達がちゃんと動けなくなっちゃったのは、子ども達にみんなでエゴイズム教育をしていて、「あなた方が勉強すればいい学校に行けて、いい会社に行けていいお嫁さんが来て、しあわせになるのよ」って言ってきたから。
野田さんが述べるように、勉強する目的は、それによって自分を磨いて、社会に役立つ人になるため。
それをいつも、信頼感あふれる雰囲気の中で、子どもに伝えることが大切なのかもしれません。
きっとその視点を取り戻すことで、子どもにも変化が生じることでしょう。
そうすると「勉強しなさい」なんて言わなくても・・・
そして野田さんは、幸福とは何かというと、「人と人のつながり」だろうと言います。アドラー心理学的に言うと「この世の中に自分の居場所があるということ」。
これらのことを踏まえて、冒頭で紹介した10円まんじゅうさんの記事に戻ります。
野田さんの上の記述を読むと、10円まんじゅうさんのおっしゃる「自分さえよければ」という人が増えた背景が、理解できるのではないかと思います。
「自分さえよければ」というのは、人とのつながりを断ち切る行為。
まさにエゴイズム教育は、子どものやる気を削いで、その存在価値や居場所をも失わせる教育といっても過言ではないかもしれません。
そう考えると、まずは、教師や親御さんの視点を変える必要がありそうです。
では、子どもさんに勉強する目的を何と述べますか?