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いじめに関する本を読みました。


その本は、数多くの事例が載せられていて、いじめが起る原理というか構造が説明されていました。(いじめ問題について知りたい方は、とても参考になると思います)


その本を読んで確信したことがあります。それは、今の学校の形態が続く限り、①いじめはなくならないこと


そして②今回のようにいじめを受けて、自殺した子がいるにもかかわらず、いじめた子たちは反省すらしないだろうということ


今日は、これらの点を考えていきたいと思います。


まず、本の中のこの事例をご覧ください。これはいじめをしている女子中学生がインタビューに答えた例です。


「ひとりでやったらできへんし、友だちがいっぱいおったりしたら、全然こわいもんないから。なにかこころもち気が強くなるっていうか、人数が多いってことは、安心する、みたいなんで。一回いじめたら、止められないっていうか。何か暴走してしまうっていうかな」

「友だちに『あのひと嫌い』って言われると、何かそれ、うつっちゃうんですよ」

(NHKスペシャル「いじめ」199510/1放送)


いじめに関する事件を垣間見るたびに思うのは、あれだけ陰惨なことをできるということで、人としてどこか欠落しているんじゃないかということ。


でも、それよりも子どもたちをモンスターに変えてしまうメカニズムがあるようなんです。それはノリ。


上記に紹介した中学生が話しているように、「嫌い」と聞いただけで、その感覚がうつっちゃって、一回いじめることで、そのノリで、暴走してしまう。


そんなノリが子どもたちをいじめに走らせてしまう。本の筆者はそれを群衆秩序と呼んでいます。


学校のような狭い空間の中で、周りの世界と隔絶された世界で閉じ込められて暮らしていると、どうしてもその世界だけで通用する秩序が生まれてしまう可能性があるといいます。


ちなみに群衆秩序のわかりやすい例が、戦争中の日本。


例えば、いま、特攻隊に関する本を2冊並行して読んでいますが、特攻隊で命を落とした方たちすべてが、当然ですが、喜んで、敵の船に突入していったわけではありません。


当時は、日本国中で「お国のため」と自分の命を投げうつのが尊いこととされ、しかも軍の命令に背くわけにはいきませんでした。


もし、戦争に反対したり、軍の命令に従わなかったりすると「非国民」と言われて、それこそ、「いじめ」の対象になったりします。


ちなみに飛行機で飛び立ったものの、何らかの理由で帰ってきた人たちもいたようです。


そのような人たちは、非難を浴びて、いわゆるリンチを受けたひともいるこか。


そのようなノリ、いいかえると群衆秩序が日本国中を覆っていたのです。


だから・・・


現在のいじめもそれと似たようなノリ、群衆秩序が関係していると言います。


本の著者は、こう述べます。


群れた中学生たちの小社会では、ノリがそのまま規範の準拠点になっている。赤の他人が無理やりべたべたするよう集められた学校で、生徒たちは生活空間を遊びのノリで埋め尽くし、そのノリに仕えて生きる。(中略)

このような小社会では独特の「よい」と「悪い」が成立している。彼らは、自分たちなりの独自の「よい」「悪い」に、大きな自信と自負を持っている。それはきわめて首尾一貫したものだ。

この倫理秩序に従えば、「よい」とは、「みんな」のノリにかなっている、と感じられることだ。

いじめは、そのときのそのときの「みんな」の気持ちが動いて生じた「よい」ことだ。いじめは、われわれが「いま・ここ」でつながっているかぎり、おおいにやるべき「よい」行為である。いじめで人を死に追い込む者は、「自分たちなり」の秩序に従ったまでのことだ。


いじめをする子たちは、遊びのノリでそれを行い、そのノリで、人を死に追いやってしまうというのです。


しかも、それは彼らにとって「よい」行為。


ちょっと怖いと思いませんか?


でも、それは現実なのです。


しかも、いじめをした子たちは、自分がしたことを反省なんてしない可能性が高い。


これも事例から紹介します。


この女性が小学6年生のとき、同級生のA子とB男をクラス全員でいじめた。A子を自殺未遂にまで追い込んだ。

「私たちにはホンの少しも罪の意識はなかった、それどころか、いじめる楽しみで学校に通っていたような面さえありました。冷たいようですが、彼らのことを“かわいそう”と思ったことは一度もありませんでした」(19才女性)


いじめる楽しみで学校に行く? 「ふざけるな!」そう思います。


この女性も将来、きっとお母さんになりますね。


もし、子どもが同じようないじめに会ったら、どう思うのでしょう?


そして、自分の子がいじめを苦に自殺でもしたら!


ノリだけで人を崩壊させ、死に至らしめるようないじめは絶対にやってはいけない。


ただ、救いは、その女性も今はそのことを深く反省しているとか。


話しは変わりますが、いじめの問題を通して、いま、学校のあり方が問われているような気がします。


本を読んでいて知ったのは、いじめをする子たちは、友達関係が希薄で、自分がいじめに遭わないように、ノリに合わせて付和雷同しているだけなんだそうです。


本当であれば、他の人は信頼できる、そんな感覚を培ってほしいもの。


著者は、いくつかの解決策を提示していますが、子どもたち同士の信頼関係を回復してあげるものいじめの問題解決に近づくような気がします。


その点で、先生がアドラー心理学を学び、勇気づけとクラス会議で学級運営をすると解決は早いのではないかと思います。


それについては、別の機会に!


参考図書

いじめの構造 なぜ人が怪物になるのか 内藤静雄著