本物の勉強とは?
今日は、木下晴弘さんの会社でだされているメルマガに掲載されていた文章を紹介し、その問題について考えていただけたらと思います。
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勉強とは何か?
今日は英語の語源に絡めて、勉強とは何か、ということについてお話します。
『竜馬が行く』を書いた司馬遼太郎という作家がいます。
司馬さんは中学時代に英語が大の苦手だったと告白しています。
どうして嫌いだったかというと、先生に「ニューヨークってどういう意味ですか?」と授業中に手をあげて質問したところ、「そんな馬鹿な質問はするな」と怒鳴られたからでした。
先生にしてみたら、ニューヨークは有名な都市なので、そんなわかりきったことを質問するな、というつもりだったのでしょう。
しかし、司馬さんは横文字をカタカナに置き換えておしまいというタイプの少年ではなかったのです。
ご存知のように、「ニュー」は「新しい」という意味ですから、どうして「ヨーク」に「ニュー」がついたのかな?と思ったわけです。
それはちょうど、東京はなぜ東の京と書くの か?を質問するようなものですね。
つまり、ここには言葉の歴史を尋ねる態度が見て取れるわけですが、英語の先生にしてみれば、授業に関係のないことを突然尋ねられたように思えて腹が立ったわけです。
しかし、このエピソードには、勉強とは何か?という問題を考える上で重要なヒントが隠されています。
司馬さんの質問には、子供なら誰もが持っている健全な好奇心が認められますが、一方ではこの好奇心は学校の勉強には関係のないこととして、家庭であるいは学校で、簡単に摘み取られる危険と背中合わせだということです。
もっとも司馬さんの場合は、学校の勉強は相手にせず、図書館中の本を片っ端から読 んでいったそうですが…。
自分の疑問、質問を決していい加減にせず、先生に質問してだめなら図書館で調べて答えを見つければいい、というわけです。
これこそ本物の勉強と言えるでしょう。
しかし、たいていの生徒は学校で先生に質問もしないし、図書館でとことん調べるということもしません。
そうこうするうちに、高校になる頃には疑問すらわかなくなってしまうので はないでしょうか。
一方、目の前に立ちはだかる大学受験は一種のクイズであり、早押しゲームのようなものです。
いちいち「なぜだろう?」と考えるより、試験によく出る問題を絞り込み、その答えを暗記していったほうが手っ取り早いと考えるのも無理はありません。
実際、大学入試のセンターテストでは、全国で55万人近く!の受験生が同時にこれを受験しますが、米粒大の「マス」目を使って、「次の4つから正解をひとつ選べ。」という形式の問題を解いていくわけです。
これも一種の「マスゲーム」ではないかと。
正解は必ずあるということ、また、出題される問題は事前に予想できること、したがって、出題されそうな問題とその答えを何度も繰り返しシミュレーションすることが、受験生の「勉強」の中身になっています。
ここに問題があるとすれば、物事を学ぶ上で、好奇心を輝かせるのではなく、試験に出ることだけを「勉強する」(=暗記する)生徒が量産されることでしょう。
それにたいし、司馬さんの場合、他人に強いられた疑問に答えるのではなく、自分で自分に質問し、自分でそれに答えていった、という点が重要です。
人間はロボットではないのですから、やはり好奇心、探究心のほうが大事ではないかと思うわけです。
実際、ノーベル賞を受賞した田中耕一さんも、
「若い人に何かメッセージを」と言われて、
「好奇心を大切にしてください。自分の考えを自分の言葉で説明できる人になってください」と答えました。
また、アインシュタインも
“Never lose a holy curiosity.”(聖なる好奇心を失うな)
と喝破しました。
山下太郎氏のホームページより掲載いたしました。
(2011年6月、アビトレ聞かせる授業小ネタ集より)
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いかがでしょう?
司馬さんの例から本当の勉強って何かについて洞察がえられたのではないでしょうか?
これを読んでいて、最近、読んだ本が思い出されました。
その本の著者はある塾の先生。
その塾では、中学受験を考えている小学生が対象の塾なのですが、子どもたちに問題をどんどん解いていくようなことはさせずに、ひとつの問題をじっくりと考えさせるんだそうです。
わからなくても答えを言わないし、質問にも答えない。
そのため、答えが出ないで、子どもたちは何日もその問題と格闘する。
でも、人っておもしろいもので、ずっと考え続けることによって、ある時、インスピレーションが生じて、「これだ!」と答えが出ることがあります。
その時のうれしさと言ったら・・・
これが学ぶ楽しさなのかもしれません。
好奇心をもって、学ぶ楽しさを知った子は、「勉強しなさい」なんて言わなくても、どんどん勉強するに違いありません。
きっと司馬さんも好奇心が旺盛なゆえ、学ぶのが楽しかったのだと思います。
試験に出るから勉強するのではなく、楽しいから勉強する、子どもたちには、そんな本物の勉強をしてほしいものです。