まず、問題です。
“聴く”、これはなんと読むでしょう?
簡単ですね。 “きく”ですよね。
では、これは? “聴す”。
これを読めるでしょうか?
この字の読み方はというと・・・最後にお伝えします。
ところで、こんな不満をもっていませんか?
「うちの子、私の話を聞いてくれないんです!」
小学校の高学年、そしてそれ以上のお子さんをお持ちのお母さんであれば、こんな不満を持たれている方も多いかもしれませんね。
では、その理由って何でしょう?
先日の木下さんの講演会で、“人生の法則”というものが紹介されていました。どんな法則かというと・・・
人に与えたものは必ず自分に返ってくる。
もし、「子どもが私の話を聞いてくれないんです」と木下さんに不満を漏らすと、こんな答えが返ってくるかもしれません。
「はい、それはね、お母さんがお子さんの話を聞かないということを与え続けた結果、お子さんがあなたの話を聞いてくれないということなんです(大阪弁で)」
そしてこんなふうに諭されるかも。
「身の回りにおこっているすべての出来事は、自分が相手に与えてきたものが返ってきているかもしれない、ということに、どうか、アンテナを張ってもらいたいなと思います」
こんなふうに諭されたとしたら、どう反応しますか? 軽妙な大阪弁で言われるので、そんなに嫌な気はしないかもしれませんよ。
それはいいとして、確かに自分の周りでおこっている現象は、周りの人に対して、自分が与えてきたものが返ってきている可能性がある、それは、真実だと思います。
良いものを与えれば、良いものが、悪いものを与えれば、悪いものが返ってくる。
ということは、お母さんがお子さんの話を十分に聞くことができれば、子どももお母さんの話を聞くということでもありますね。
その意味で、まず、お母さんが、お子さんの話を十分に聞く必要があるかもしれません。
また、別の意味でも話しを聞いてあげて欲しいと思います。なぜなら考える以上に、話を聞くって大切だからです。
どんなふうに大切かというと・・・コミュニケーションに関して大好きな本があります。
その本の中で、話を“聞かない”ことの問題点がこのように書かれています。
聞かれないといことは、単に自分の話を聞かれていないだけでなく、話している自分そのものを否定されたこととして認識されるからです。逆に言えば、聞かないということは、その人の存在を否定することになります。たとえ、あなたにその気がなくても。
そして、その理由についてこう述べられています。
「聞かれない」ことが、自分と他者との間に精神的な溝をつくり、自分の感情や欲求との間にも溝をつくります。そして、この他者や自分自身との分離や分裂によって生じる「孤立」「ひとりぼっち」という状態に、わたしたちの抱える問題のほとんどが集約されるのです。
話を聞かないことによって、結果として子どもの存在を否定してしまうことになり、精神的な溝をつくってしまう。それによって、多くの問題がつくりだされる。
その点で、良くやりがちなのは、話の途中で話しの腰を折ったり、「それは、こうしたらいい」とアドバイスをしたりすることです。
でも、それは、「話を聞いてもらえない」と感じさせてしまう原因となります。
だからこそ、話を否定せずに、アドバイスなしで、相手の目を見て、十分に話を聞く必要があるのでしょう。つまり耳と目と心を十分に使って聞く。それが“聴く”ですね。
“聞かない”ことで、その人の存在を否定することになる半面、“聴く”ことによって、その人の存在を肯定することにもなります。
そう考えると子どもの話を最後まで話を聴いてあげたいものですね。
ちなみに大人でも、カウンセリングで否定されることなく、十分に話を聴いてもらえることができたなら、気持ちが軽くなることでしょう。
それは、話を聴いてもらうことによって、自己承認ができるようになるからなのかもしれません。
自己承認とは、失敗や間違いをするとしても、「じぶんはOK」と自分を許し、認められるようになることかと思います。
話しを否定されずに聴いてもらえることによって、こんな自分でもOKなんだと自分を認め、許せるようになるのかもしれません。
それに加えて、嫌な相手でも話しをよく聴いて、事情を知れば、なんとなく許せるなと思うことってありますね。
話しを聴く(聴かれる)とは、存在を認め、自分や相手に対する“許し”につながる行為です。
話を聴くってほんとに重要なんですね。
さて、冒頭の“聴す”の読み方ですが・・・答えは“ゆるす”です。
やはり“聴くこと”は、“ゆるし”に関係しているというわけです。
参考図書「こころの対話 25のルール」 伊藤守著