先日、ある書店に行って店長さんと話していました。
するとそこに女性の店員さんが来て、
「店長、~さんから電話です」
と言いました。
しかし、店長さんは、それがよく聞き取れなかったらしく
「誰から?」
と聞き返していました。
すると店員さんは、
「○○さんからです(怒)」
と具体的な名前を言ったのですが、その時の表情が明らかに怒りを含んでいたのです。
その時、思いました。
「この店長さん、この人との関係よくないな」って!
その店員さんも問題があると思ったのですが、でも、そのような関係をつくっている責任は、多分その店長さんにあるんだろうなと思いました。
その店員さんにそのような態度をとらせてしまうコミュニケーションを日頃とっているのだろうと推測したのです。
それって、家庭や学校でも同じことが言えるかもしれません。
子供が反抗的な態度をとる場合、親や先生が子供がそのような態度を取らざるを得ないコミュニケーションをとっている可能性があるのではないかと思います。
では、そんな時、できることって何があるでしょう?
最近購入したアドラー心理学の本で野田俊作氏は、こんなことを書いていました。
アドラー心理学が教える基礎にある考え方は、「他人を尊敬しよう」と言うことですね。「あの人は私の尊敬する人だ」とまず思ってみる。
どうして尊敬するのか、無理に良いところを見つけよとするのはどうかという話とも関係あるんですけど、なんであの人を尊敬するのかっていうのは、理由がないんですよ。
人間だから。ただ、それだけで結構なんです。
いいことができたら「あのひとこんないい所があるから尊敬する」とかいうんではない。
別に長所見つけはやったって悪くはないですけれども、やんなくってもいいんです。
ただ、尊敬する。
あの人を尊敬してみようと思って、一番尊敬するような人に対して付き合うように付き合ってみようと決心することですね。
教師だったら生徒に対して、自分が最も尊敬する人付き合うように一度付き合っていよう。
そして、その結果何が起るか実験してみよう。
夫は妻が自分の最も尊敬する人であると思って声かけてみよう。
そしたら何が起るか?
「ボクたちのアドラー心理学入門3」より
相手を尊敬する。
しかも自分が一番尊敬する人だと思って接してみる。
アドラー心理学のカウンセリングでは、英語の”as if~”を使ってクライアントに助言することがあります。
つまり、「あたかも~であるかのように(as if~)」行動することを勧めるわけです。
もし、子供に何度も裏切られることがあったとしても、相手は最も尊敬する人だと考えて(as if)行動してみる。
冒頭でお話しした書店の店長さんなどは、おそらく「部下は自分の指示に従うべき」などと上から目線でいつも店員さんと接しているのではないかと思います。
でも、「この店員さんは、最も尊敬する人」と考えて日頃から接したら?
使う言葉も変わってきますね。
尊敬する人に「~しなさい」とか「~しておいて」なんて命令口調で言うことはなくなるはずです。
すると?
それは教師、親子、夫婦でも同じでしょう。
相手を尊敬するとは対等な関係を持つことです。
そして人はそれを敏感に感じ取るものです。
そう思って子供に接していると何が起るでしょう?
自分が一番尊敬する人だと思って付き合う。
よろしかったら試してみることをお勧めします。
何が起るか楽しみですね。