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『花のほかには』-fuyusun'sワールド-

fuyusunの『何じゃこりゃ!長唄ご紹介レポート』
自己満足ブログですみませんm(_ _)m

とうどうたらりたらりら、たらりあがり、ららりどう

ちりやたらり、たらりら、たらりあがり、ららりどう

所千代までおはしませ

われらも千秋さふらはふ

鶴と亀との齢にて

さいはひ心にまかせたり

鳴るは滝の水、滝の水、鳴るは滝の水、日は照るとも

絶えずとうたり、ありうどう

君の千歳を経んことは、天津乙女の羽衣よ、鳴るは滝の水日は照るとも

絶えずとうたり、ありどう

総角やとんどや、尋ばかりやとんどや

坐していたれども、参らうれん、げりや、とんどや

千早振、神のひこさの昔より、久しかれとぞ祝ひ

そよや、れいちや、とんどや

およそ千年の鶴は、万歳楽とうたうたり

また万代の池の亀は、甲に三極をいただいたり

滝の水冷々と落ちて、夜の月あざやかに浮かんだり、渚の砂さくさくとして、朝の日の色を弄す。



長いので一休みです。

続きはお楽しみに♪

この曲は、別名『志賀山三番叟』とか『種蒔三番叟』とも呼ばれている曲です。
本来は清元と長唄の掛け合いの曲です。けれど、清元の部分も長唄として演奏し、長唄の一つの曲として親しまれている曲です。長唄の演奏の場合は、だいたいモミダシ、つまり三番叟の「おおさえおおさえ~」というところから始まります。
三番叟は、ほかのページでもご紹介しましたが、謡いの『翁』がベースとなっている曲で、大変格調が高いお目出度い曲です。この曲の歌詞を読んでいただけば気がつかられると思いますが、これでもかこれでもかとお目出度い言葉がいっぱい出てきます。
格調高いというと、ピンと張った重々しさを感じますが、この曲は大変華やかでとても楽しい曲です。

この曲は、三代目中村歌右衛門が江戸中村座で帰阪お名残公演で出した所作事として発表されたものだそうです。つまり、三代目歌右衛門という方は関西が基盤だったのですね。
彼は、初代中村仲蔵という人を大変尊敬していました。この曲ができた24年前に仲蔵が踊った志賀山流の『寿世嗣三番叟』という曲があるんですが、彼は兼ねて自分もこれを踊りたいと思っていたのですね。そして、この『寿世嗣三番叟』がもととなって『舌出し三番叟』が誕生したのだそうです。
三番叟の登場人物として、翁・千歳・三番叟と三人いますが、この曲、現在では千歳と三番叟の二人だけしか登場しないのだそうです。しかし、もともとは翁も登場していたらしいですよ。
翁は三番叟の前狂言として『鞨鼓ほうろく』を舞い、おごそかに退場。そして、三番叟の「おおさえ、おおさえ」になるのだそうです。
三番叟が舞台中央に出ると、拍子木がチョン。そのきっかけで正面の鏡板を打ち返す。そうすると、中から清元連中が居並んでいる。で、三番叟の呼び出しの浄瑠璃がスタート。その切で三番叟がパックリと舌を出すんですね。そうすると下手の鏡板が打ち返って長唄連中が居並んでいるという派手な演出なのだそうです。

さて、この曲の楽しいところはただ楽しいのではなくて、ストーリー性があるところです。
「マンガ日本昔話」の世界を思い浮かべちゃいます。すごっく素朴な日本昔話という感じです。
ある村の長者が我が息子の嫁にと、目元しおらしい真ん中の娘を選びました。
その彼女の嫁入りストーリー。
このお嬢さんの花嫁道具は素晴らしい。
瑠璃の手箱、珊瑚の櫛笥・・・いやいや、お金掛けてますね。
嫁ぐ娘の不安と期待が「嫁とは言えど~」から「あら喜ばしの尉が身と」の部分によーく表現されています。
そうよね。不安ですよね。これから起こる事・・・。しかし、未来繁栄。期待もいっぱいですよね。
この長者さんの息子と嫁になるお嬢さんは一つ違いみたいですね。
「お前様が100まで、私は九十九まで」
おいおい、欲張りすぎじゃありませんか。今の時代ならまだしも、百まで生きるとは有り得ん事に思いますが。
いたんですかね。百まで長寿の人。

五穀豊穣と子孫繁栄を掛けているんですね。
数学的に言いますと、国というのは家の集合体。個々の家々が繁栄するという事はグローバルに考えると国土の繁栄となりますものね。まあ、もっと複雑で様々なオプションがありますけれど、単純に考えればという事です。
だいたい、日本の諍いは食べ物争いみたいなものが基本ですよね。
あそこの国を征服する。豊かな土地だから征服したいのですよね。やせて雑草も生えないような土地なんていりませんものね。
今は色々な人生の選択肢があり、色々な幸せがありますが、昔は食べ物が充実し家が平和で栄えるというのが最大の幸せ。いやいや、実は今でもこれが最高な事だと思いますが。

そうそう、ちなみに現在、長唄の演奏の場合は、お嫁さんの不安と期待の部分、「嫁とは言えど~」から「あら喜ばしの尉が身と」はカットされています。「様はなぁ、百まで」の下りが終わると、二上がりから三下がりに変調。そして、合方ののちに太鼓地につながっていきます。

まだ、一度もこの曲の掛け合いで生の舞台見たことないのですが、どこかでやらないかなぁ。と思う今日この頃です。

長唄全集(6)舌出し三番叟/汐汲/芳村伊十郎(七代目)
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(清)その昔、秀鶴の名にし負ふ、志賀山風流の三番叟
(三)おさえおさえ、喜びありや、喜びありや
  我が此所より外へは遺らじとぞ思う
(長)似せ紫も中々に、及ばぬ筆に写し絵も
  いけぬ汀の石亀やほんに鵜の真似鴉飛び
(清)とっぱ偏へに有難き、花のお江戸の御贔屓を
  頭に重き立烏帽子
(長)さっぱも己が古郷へは、錦と着なすお取立
  おこがましくも五年の
(清)今日ぞ祝ひに
(長)さむらふよ、天の岩戸のな
  神楽月とで祝ふほんその年も
  五つや七三ツ見せうと縫の模様の糸様に
  竹に八千代の寿こめて
(清)松の齢の幾万代も変らぬためし鶴と亀
  ぴんとはねたる目出鯛に海老も曲りし腰のしめ
(長)宝尽しや宝船
(清)やらやら目出度いな
(長)四海波風治まりて
(清)常磐の枝ものほんよえ
  木の葉も茂るえいさらえいさら
  鯉の滝登り
  牡丹に唐獅子から松を見事に見事に
(長)さつても見事に手を尽し
  仕立栄あるよい子の小袖、着せて着つれて合参ろかの
  肩車にぶん乗せて
(清)乗せて参ろの氏神詣、杵が鼓のでんつくでん
(長)笛のひつぎの音も冴えたりな
  冴えた目元のしほらしさ
  中の中の中娘をひたつ長者が嫁にほしいと望まれて
(清)藤内次郎が橡栗毛に乗って
  エイエイエイ
  えっちらおっちら、わせられたので
  その意に任せ申した
(長)さて婚礼の吉日は縁をさだんの日を選み
  送る荷物は何やろな
  瑠璃の手箱に珊瑚の櫛笥、玉を展べたる長持ちに
  数も丁度のいさぎよや
(清)様はなぁ百までなぁぇ
  わしや九十九までなぁぇ
(長)ともになぁ
  白髪のなぁぇ
  生ゆるまでなぁぇ
(清)嫁とは言えど世間見ず駕籠の内外の思わくが
  はつかしみじみ案じられ
  袖に添い寝の新枕
  交わす言葉もなんと言て、どうした宵の口と口
(長)女夫の銚子の盃も呑まぬうちから殿御にのまれ
  耳より先へ染めて濃き、顔も紅葉の色直し
  それから床に差し向かい
  怖さ半分、嬉しさも
  先へはいでず後退り
(清)互いに手さへ鶏鐘の声がとりもち
  ようようと明けゆく空を月にして
(長)妹背結んで女夫仲睦まし月と岩田帯
(清)やがて孫
  曾孫玄孫をもうけ、末の楽しみ、この上や
(長)あら喜ばしの尉が身と
(清)心浮立つ踊り唄
(長)花が咲き候、黄金の花が、てんこちない
  今を盛りと咲き匂ふ、てもさても見事な黄金花
(清)欲しかおましょぞ一と枝折りて
  そりゃ誰に
  愛し女郎衆のかざしの花に
  ホオヤレ、恋の世の中
(長)実恋の世の中
(清)面白や
  直ぐにもあがりお目見得を
(長)またこそ願ふ種蒔や
  千秋万歳
(清)万万歳の末までも
  賑はふ御代とぞ舞ひ納む


この曲は本来長唄と清元との掛け合いのものです。

(長)が長唄。(清)が清元です。

天照らす春の日影も豊かにて、指手引手の一さしは、昔時を今に式三番、

ありし姿をかり衣に、竹田が作の出来栄。

とうとうたらりたらりら、たらりあがり、ららりどう。

千代の始めの初芝居、相河原崎賑はしく。

人の山なす蓬莱に、鶴の羽重ね亀の尾の、長き栄えを三ツの朝、幸ひ心に任せたり。

鳴るは滝の水、鳴るは滝の水、

なると云ふのはよい辻占よ、天津乙女の様が許、絶えずとうたり、絶えずとふのが誠なら、

日は照るとも、濡るる身に、着つつ馴れにし羽衣の、松の十返り百千鳥、絶えずとうたりありうどう。

其恋草は千早振、神のひこさの昔より、尽きぬ渚の国土安穏、今日のご祈祷なり

おおさえおおさえ喜びありや喜びありや、我が此処より外へはやらじとぞ思ふ。

天の岩戸を、今日ぞ開けるこの初舞台、千代万代も花のお江戸のとつぱ偏に

お取立、をこがましくもお目見えに、ほんに鵜の真似鴉飛び。

難波江の岸の姫松葉も繁り、ここに幾年住吉の

神の恵みのあるならば、君にあふぎの御田植、逢ふとは嬉し言の葉も、

浜の真砂の数々に、読とも尽きぬ年波や

なじよの翁は仇つき者よ、つい袖引いて靡(なび)かんせ。

そうも千歳仲人して、水も洩さぬ中々は、深い縁ぢやなないかいな、おもしろや

相生のまつ夜の首尾に逢ふの松

ほんに心の武隈も、岩代松や曾根の松

あがりし閨の睦言に、濡れて色増す辛崎の、松の姿の若みどり

千秋万歳万万歳、五風十雨も穏やかに、

恵みを願ふ種蒔と、謡ひ奏でて祝しける。


年代:嘉永六年(1853年)

1853年は鎖国日本が崩れる時代。ペリーさんが黒船でやって来たのがまさしくこの年七月のことなのです。

安定していた江戸幕府が揺らぎはじめた時代にできた長唄です。

作曲:五世杵屋弥十郎

作詞:篠田 瑳助

「三番叟もの」でご紹介しましたが、
「操り三番叟」も長唄の三番叟の代表作です。
正式な題名は「柳糸引御摂」(やなぎのいとひくやごひいき)という
題名が付いています。

一応、作曲者は五世杵屋弥十郎となっていますが
後に五世杵屋勘五郎が手直しを入れたようです。
現在は、五世杵屋勘五郎の改訂版が多く演奏されているようです。

「操り」…この題名の由来は
三番叟が操り人形振りで踊る事からつけられているそうです。
私はこの曲の舞踊を観た事がないのですが
現在では、千歳・翁は普通に踊られ
三番叟だけが操り人形の振りで踊るようです。
けれど、初演時は
千歳と翁はカラクリ人形という設定で踊っていたみたいです。
なんとなく、バレエの「コッペリア」とかそんな感じで
ファンタジックな踊りのように思います。
日本舞踊で人形振りというと
「櫓のお七」というのが有名ですけれど
他にもあったのですね。
それも操り人形だ何て意外です。
なんとなく操り人形というと西洋の人形劇というイメージがあります。
日本には文楽のような人形しか無いと思っていました。

歌詞を読んで下さるとお分かりになるかと思いますが
この部分は、言葉遊びで「松づくし」となっています。
「君が代松竹梅」には「梅づくし」
「常磐の庭」には「貝づくし」
こういった部分を聴く度に
作詞者の遊び心に関心させられちゃいます。
ちょっとした遊びをスマートに表現する
。。。「粋」って言うのかしらね。
こんな作詞者の遊び心が感じられる素敵な部分なのに
どうして、今は演奏されないのかしら?

長唄全集(2)英執着獅子/雛鶴三番叟/芳村伊十郎(七代目)
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年代宝暦五年(1755年)頃


宝暦五年。四谷怪談の作者として有名な鶴屋南北が生まれた年であります。

その頃に誕生した長唄。けっこう古いです。

今の頃っている三番叟ものでは一番最古のものです。

短いから・・・いやいや馴染みやすいから・・・よく分からないのですが

何故かお囃子の場合は入門すると最初に教わるのが『雛鶴三番叟』です。


約十六分の曲なのですが、

演奏会で『雛鶴三番叟』を全曲を聴くことは滅多にありません。

中盤の三番叟の登場の部分。つまりモミ出しから最後までの演奏をご祝儀として聴くくらいでしょうか。


子供の頃から、お浚いというと全員参加でこの曲を何度も演奏したことがあります。

でも、お祝儀だから・・・

参加することに意義があり・・・

という感じ。

唄も三味線もきちっと教えていただいたことがありません。

お囃子を習って、初めて『雛鶴三番叟』ってこんな曲と知りました。

本当に適当^^



さて、ある本に

三番叟ものというのは能の『翁』がベースになっています。

でも、能は翁を重く扱ったものなのに、なぜか歌舞伎系に来ると三番叟を中心に物語が展開。

そういえばそうですね。

どの曲も

「○○三番叟」と主人公が三番叟だわ。なぜなんでしょうね。

いつかその謎に出会えるといいなぁ。

長唄には、“獅子もの”とか“丹前もの”とか、その主題により色々なジャンルに分かれているものがあります。
“三番叟もの”は、そのジャンルの一つです。

もともと三番叟は謡曲の“翁”がもととなって作られた長唄です。
謡曲の『翁』は能であって、能ではないと言われているもので、もっともっとルーツを辿っていくと、郷土芸能のようなものだったようです。
国土安泰、五穀豊穣を祈願する奉納芸能と言えば分かりやすいかも。という事で、神事に則っての構成となっています。

この“三番叟もの”の登場人物は、翁・千歳・三番叟の三人です。この人たちは、住吉神社の三人の神様だと言われています。しかし、もっともっとルーツを探るとチベットに、そのルーツがあると言われています。
チベットにどうも『サンバソウ』という古い曲があるのだそうです。瑞祥作成(ずいしょうさくせい)という意味らしい。この瑞祥というは広辞苑によると「目出度いしるし。吉兆」という意味らしいです。つまり、このチベットの曲は吉兆を作るという意味なんでしょうね。
“三番叟もの”は国土安泰・五穀豊穣を祈願するご祝儀曲。この『サンバソウ』がルーツ・・・頷けます。

三番叟には「とうとうたらりたらりら、たらりあがり、ららりどう」という意味不明な歌詞があります。
祝言の呪歌なのだそうですが・・・つまり、呪文?・・・
以前、これはお囃子の唱雅だと聞いた事がありますが、まあそう言われれば・・・。(´へ`;)ウーーーン
長唄研究で有名な淺川玉兎氏の本に玉兎氏自身も「まさかね・・・」と言いつつ、例のチベットの古曲「サンバソウ」という曲に「トブトウタラリタラリヲタラリアガレリヲリトウ」という歌詞があるそうです。日本語に訳すと「獲物は輝き輝きて輝き、ああ、いづれも様に寿あれや」というような歌詞で、踊り手がこの歌詞を唄いながら観客の幸せを願うのだそうです。
玉兎氏は「まさかね」と言っていましたけれど、この歌詞が引用されたという説があるそうです。
お囃子の唱雅と言うよりはこっちの方が説得力があるなと思いました。
「三番叟とは何?」と疑問を持ち、色々調べたらチベットに行き着き。面白いなぁ♪

長唄には
『翁千歳三番叟』、『雛鶴三番叟』、『舌出し三番叟』、『操り三番叟』などなど、数多くの三番叟ものがあります。
どの曲も、能(?)の式三番叟の形式に則っています。
式三番叟の形式。
Ⅰ序段:登場人物が全員出てきて座に着く。
Ⅱ翁の段
まず、千歳の舞(翁の露払い役として、千歳が舞う)があった後に、翁の呪歌があった後、翁が祝言の舞を舞う。
Ⅲ三番叟の段
揉之段で、三番叟自身が露払いとして舞、三番叟の呪歌があった後、鈴之段で三番叟が祝言の舞を舞う。
こんな構成になっています。

私は、この三番叟ものが大好きです。
聴いていても、演奏していても幸せ気分になれるからです。
三番叟には「三番地」と言われる独特な手が繰り返して使われます。これが好きなんですね。
ずっと聴いていると、どんどん気分が高揚してくる。なんか、心に熱いパワーが漲ってきます。
私・・・、きっと洗脳されやすい体質なんだろうなぁとふと思っちゃいます。
しかし、この三番叟もの。能楽の世界では非常に神聖な重い曲として扱わられているそうです。
日本は神聖なものに女性が携わることを忌み嫌う風習がありますよね。
という事で、能楽の世界では女性が演じるのを禁じたり、色々制限されたりする場合があるのだそうです。
大好きなのに・・・。
でも、長唄系ではそういった事がないので、ちょっとラッキー。いつか舞台で演奏してみたいです。


お初にお目にかかります?!
日本の古典音楽大好きなfuyusunです。特に歌舞伎バックミュージックとして発展。現在に至っている長唄というジャンルの三味線ミュージックが大好き♪
趣味で長唄のお囃子をやっています。三味線は・・・子供の頃からやっていますが、今は休憩中(汗)

fuyusunのブログ
さて、もともと『花のほかには』というホームページをやっています。
ところが、先日パソコンがオーバーヒート。中にあったファイルがすべて無くなってしまいました。
ファイル救出不可状態。大変なショックです。バックアップとっていなかった私が悪いのですが。
まあ、そんな大アクシデントがあって、、、
ホームページの更新ができなくなっちゃったのですね。
ホームページでは、主に長唄のことを書いていました。
お稽古等で出会った長唄を文献等でお勉強。私流に解釈してまとめた
「なんじゃこれ!長唄解説レポート集」
演奏したりするのも好きですが、この長唄レポート書きがまたまた楽しい趣味の一つ。
更新できなくなっちゃってショックガーン
手軽に長唄のページの復活を・・・!
そうだ♪ブログにしよう♪♪♪

何度もいいますが、
『なんじゃこれ!長唄解説レポート集』
fuyusun流の長唄紹介レポート宜しくお願いいたします。
いっぺんにお引越しは難しいのですが、徐々にお引越し&更新をして行きたいと思います。