この曲は、別名『志賀山三番叟』とか『種蒔三番叟』とも呼ばれている曲です。
本来は清元と長唄の掛け合いの曲です。けれど、清元の部分も長唄として演奏し、長唄の一つの曲として親しまれている曲です。長唄の演奏の場合は、だいたいモミダシ、つまり三番叟の「おおさえおおさえ~」というところから始まります。
三番叟は、ほかのページでもご紹介しましたが、謡いの『翁』がベースとなっている曲で、大変格調が高いお目出度い曲です。この曲の歌詞を読んでいただけば気がつかられると思いますが、これでもかこれでもかとお目出度い言葉がいっぱい出てきます。
格調高いというと、ピンと張った重々しさを感じますが、この曲は大変華やかでとても楽しい曲です。
この曲は、三代目中村歌右衛門が江戸中村座で帰阪お名残公演で出した所作事として発表されたものだそうです。つまり、三代目歌右衛門という方は関西が基盤だったのですね。
彼は、初代中村仲蔵という人を大変尊敬していました。この曲ができた24年前に仲蔵が踊った志賀山流の『寿世嗣三番叟』という曲があるんですが、彼は兼ねて自分もこれを踊りたいと思っていたのですね。そして、この『寿世嗣三番叟』がもととなって『舌出し三番叟』が誕生したのだそうです。
三番叟の登場人物として、翁・千歳・三番叟と三人いますが、この曲、現在では千歳と三番叟の二人だけしか登場しないのだそうです。しかし、もともとは翁も登場していたらしいですよ。
翁は三番叟の前狂言として『鞨鼓ほうろく』を舞い、おごそかに退場。そして、三番叟の「おおさえ、おおさえ」になるのだそうです。
三番叟が舞台中央に出ると、拍子木がチョン。そのきっかけで正面の鏡板を打ち返す。そうすると、中から清元連中が居並んでいる。で、三番叟の呼び出しの浄瑠璃がスタート。その切で三番叟がパックリと舌を出すんですね。そうすると下手の鏡板が打ち返って長唄連中が居並んでいるという派手な演出なのだそうです。
さて、この曲の楽しいところはただ楽しいのではなくて、ストーリー性があるところです。
「マンガ日本昔話」の世界を思い浮かべちゃいます。すごっく素朴な日本昔話という感じです。
ある村の長者が我が息子の嫁にと、目元しおらしい真ん中の娘を選びました。
その彼女の嫁入りストーリー。
このお嬢さんの花嫁道具は素晴らしい。
瑠璃の手箱、珊瑚の櫛笥・・・いやいや、お金掛けてますね。
嫁ぐ娘の不安と期待が「嫁とは言えど~」から「あら喜ばしの尉が身と」の部分によーく表現されています。
そうよね。不安ですよね。これから起こる事・・・。しかし、未来繁栄。期待もいっぱいですよね。
この長者さんの息子と嫁になるお嬢さんは一つ違いみたいですね。
「お前様が100まで、私は九十九まで」
おいおい、欲張りすぎじゃありませんか。今の時代ならまだしも、百まで生きるとは有り得ん事に思いますが。
いたんですかね。百まで長寿の人。
五穀豊穣と子孫繁栄を掛けているんですね。
数学的に言いますと、国というのは家の集合体。個々の家々が繁栄するという事はグローバルに考えると国土の繁栄となりますものね。まあ、もっと複雑で様々なオプションがありますけれど、単純に考えればという事です。
だいたい、日本の諍いは食べ物争いみたいなものが基本ですよね。
あそこの国を征服する。豊かな土地だから征服したいのですよね。やせて雑草も生えないような土地なんていりませんものね。
今は色々な人生の選択肢があり、色々な幸せがありますが、昔は食べ物が充実し家が平和で栄えるというのが最大の幸せ。いやいや、実は今でもこれが最高な事だと思いますが。
そうそう、ちなみに現在、長唄の演奏の場合は、お嫁さんの不安と期待の部分、「嫁とは言えど~」から「あら喜ばしの尉が身と」はカットされています。「様はなぁ、百まで」の下りが終わると、二上がりから三下がりに変調。そして、合方ののちに太鼓地につながっていきます。
まだ、一度もこの曲の掛け合いで生の舞台見たことないのですが、どこかでやらないかなぁ。と思う今日この頃です。