1911年明治33年 | 三世杵屋六四郎 |
寒山は普段は寒厳の洞窟に住んでいたそうですが、たびたび国清寺に訪れていたそうです。寺に来ては奇声を上げたり、奇異な行動をとって寺のもの困らせていた。しかし、追い払おうとすると彼の口から出る言葉はその一言一句が悉く道理にかなっているのだ。よく考えてみると、その心には道心が深く隠されている。その言葉には、玄妙なる奥義がはっきりと示されていた。
さて、寺の給仕係りをしていた拾得とは仲良しで、いつも寺の僧たちの残版を竹の筒につめて寒山に持たせて帰らせたそうな。(ある解説書には、実はこの二人は七代も昔からの仇同士だったのだそうですが・・・)
寒山と拾得を導いたのは豊干という国清寺の僧。
豊干は、二人について「見ようと思えばわからなくなり、わからなくなったと思うと見えるようになる。ゆえに、ものを見ようと思えば、まずその姿かたちを見てはなるまい。心の目で見るのだよ。寒山は文殊菩薩で、国清寺に隠れている。拾得は普賢菩薩。二人の様子は乞食のようであり、また風狂のようでもある。寺へ出入りしているが、国清寺の庫裡の厨では、使い走りをし、竈たきをしている」と言ったという。
「寒山拾得」というのはこの二人の伝説の事なんですね。
寒山と拾得の二人は、のちのち墨絵の題材となり多くの画家が絵を残しています。
日本の有名な画家たちも「寒山拾得図」を書いています。
この長唄の『寒山拾得』は雪舟の絵がイメージとか。墨絵の素朴枯淡な世界を描いているのだそうです。
ちなみに「雪舟・寒山拾得」で検索するとこの絵がヒットした。
長野県飯田市の元善光寺
の宝物殿にある絵だそうだ。
『寒山拾得』というと研精会の代表的な長唄という印象がある。実際に研精会の五本の指に入るほどの曲らしい。
さて、この曲と『お七吉三』はセットで演奏される事が多い。その理由を調べたら意外な事を発見しました。二曲セットで坪内逍遥の舞踊劇なのだそうです。
『寒山拾得』が墨絵ワールドなら、『お七吉三』は極彩色豊かな浮世絵ワールドなのだそうです。
絵の中から主人公が出てきて踊るという趣向の作品らしいです。
坪内逍遥と島村抱月が作った文芸協会。その文芸協会の公演で発表されたそうです。
プログラム見て吃驚ですよ。
『人形の家』
『寒山拾得』・『お七吉三』
『ベニスの商人』
現代では考えられない組み合わせの番組編成です。
余談ですが、このイプセンの『人形の家』は島村抱月が翻訳をした作品。主演の松井須磨子の演技が好評で当時話題になったのだそうです。日本にはない新しい女性像に芝居をみた人々は拍手喝采だったのだそうですよ。
若かりし頃の私にとって坪内逍遥はシェークスピアの翻訳をした人として印象深い。なので『新曲浦島』を調べて彼の名前に接した時には本当に吃驚しました。
島村抱月は松井須磨子とコンビを組んで、西洋の作品を翻訳しそれを上演する事によって演劇改革を実現していたんでしょうね。
かたや坪内逍遥は西洋演劇の影響を受け、その良さを日本の古典演劇に組み込んで新しい演劇を作ろうとしていたのではないでしょうかね。・・・勝手な想像ですが。
宮本研の作品で『美しきものの伝説』というお芝居にこれらの方々が登場。ああ、この頃は本当に活気があっていいなぁと思います。まあ、世の中としては軍国主義であまり良い時代ではありませんが。
今の人たちよりも、ずっとずっと大きな夢があって、抑圧されながらもその夢の実現に向かって走っているという感じですね。この文芸協会のプログラムも、今の私の目には奇異に感じるけれど、当時としては素晴らしい発想だったのかもしれません。
森鴎外の小説にも『寒山拾得』ある。
仏教を題材にした作品というのは、その物語の真意を理解するのに大変時間がかかります。
はっきり言って、私もさっぱりわかりません。
ただ、人は外見で判断してはいけないということなんでしょうかね。
えっ???もっと深い意味があるんですかね。