1825年文政八年 | 二世杵屋正次郎 |
汐汲は、能の「松風」がベースとなっている曲です。
ストーリーはこんな感じです。
昔(平安朝時代)、都に在原行平という人がいて、ある咎で須磨の芦の屋に流されました。そこで、汐汲み女の松風・村雨という二人の姉妹に出会いました。
二人は行平の世話をするようになり、そして定番の恋物語に。
えーっ、二股???まあ、お堅いこと抜きで。昔の恋愛は非常に穏やかというか、今の感覚とはちと違うのですから。
けれど、昔からこういうパターンには別れが付き物と申しましょうか、三年の月日が経ち
行平は罪を許され、都に帰る事になったのです。
行平は二人が浜に出ている間に、出会いの浜辺にある松の枝に形見の品として、烏帽子と狩衣を掛け姿を消したのです。
二人の姉妹は、また何時か行平に会えると信じて過ごしていたのですが、風の便りに、都で行平が亡くなったという事を知り、形見となった二品を眺めつつ儚く生涯を終えたのだそうです。
そして、それから長い年月が経ったある日。旅の僧がこの浜辺を通りかかりました。僧はそこで二人の汐汲み女に出会います。
二人は僧に「我々は松風、村雨と申して、この世の者ではありません」と僧に明かし始めました。
二人は死しても恋の未練によってこの世に留まり続けていたのです。是非、僧の回向によって妄執を払い我々の苦痛を取り除いてくれと頼むのでした。
松風は形見の烏帽子と狩衣を身にまとい、行平を求め舞いはじめました。
そして、時は経ち朝日が上りはじめると、僧の目の前から二人の姿は消えたというようなお話です。
…という事は僧は二人の魂を回向してあげなかったのかな?
まあ深くは考えない。二人の魂が朝日と共に消えちゃったでいいでしょう。
…すごっくいい加減…
長唄の「汐汲み」は、松風・村雨が亡くなってからの後日談の方のストーリーで、この松風が行平を思い舞っているという所を表現されています。
ですから、日本舞踊の場合では村雨は舞台に出てきません。
あの烏帽子を被って、汐汲みスタイルで出てくる汐汲み女は松風です。烏帽子と狩衣は行平が残していった形見の二品。
さてこの長唄も七変化の一つです。
「越後獅子」なんかと同年代。…越後獅子の記事を読んで下されば分かりますが、当時、江戸の歌舞伎は市村座と中村座がライバル同士でした。
市村座は「汐汲」「女三ノ宮」「梶原源太」「願人坊主」「関羽」「猿回し」「老女」の七変化を出していて、それに対抗して中村座は「越後獅子」等七演目の七変化を当てていました。
この勝負、後組みの中村座の勝利だったみたいです。
という事で「汐汲」の初演は七変化の一つとして、三代目坂東三津五郎が演じました。
なんか、歌舞伎とか古典のものはお堅いイメージありますけれど、当時は庶民の娯楽そのもので生き生きしていたんだな。
けっこうこの曲、踊りの会などで出る演目で、もう何度も「汐汲」の舞踊を観ているんですけれど、あの主人公が亡霊だったなんて、勉強するまで知りませんでした。
それに、能の「松風」がベースというのは知っていましたが、その物語が悲恋物だった。その上、リアルタイムの二人の恋物語じゃなくて二人が亡くなった後の後物語りがベースになっているという事を今回初めて知りました。
ただ、以前ある踊りの会に行って、主人公が花道のすっぽんから登場したのを観て「あらっ?」と思ったことがあります。あのすっぽんから出てくる登場人物って、大概この世のものではないもの(幽霊とか化身とか妖怪とか)。幽霊と知らなかった私はとても不思議でなりませんでした。演出によっては花道から桶を担いで登場など色々なので不思議に一応は思いましたが、そういう演出だろうと片づけていました。
やっぱり幽霊だったのですね。
明治から昭和にかけてご活躍だったお囃子さんの書いた文献に、
あの主人公は狐の化身だという吃驚な説が書いてありました。
その根拠は何でしょうね。
ある方から、
「七代目尾上梅幸丈が汐汲を踊るとき、スッポンから“来序”で登場する」というお話を教えていただきました。
『来序』は狐とか狐の化身等が登場する際に用いられるお囃子の手組です。
また早来序という来序のお仲間の手があります。実は、この汐汲の「傘尽くし」の下りで早来序まがいの手がついていますが、これも「狐の化身」というお話の根拠になるのですかね。
舞台の須磨には関守稲荷神社があります。百人一首にある源兼昌の歌に「淡路島 通う千鳥の鳴く声に 幾夜寝ざめぬ 須磨の関守」に由来して「関守」と名付けられたそうだ。いつの時代からあるかは分かりませんが、このあたりにあった須磨の関の守護神なのだそうです。もしかして、このお稲荷さんが関わっている??!
須磨のお稲荷さんは私の推測で何の根拠もありません。
ただ、来序ですっぽんから登場するという事はきつねの化身という設定演出というのがあるようです。
うーん、古典って奥が深いですね。
綺麗、綺麗でしかこの曲を観ていなかったけれど、味わいがちょっと変わってきました。