喜撰法師-その三- | 『花のほかには』-fuyusun'sワールド-

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ところで、肝心な喜撰という人はどういう人なのでしょうね。

正体不明。紀貫之の変名・・・つまりペンネームではないかという説もあるらしい。

紀貫之と喜撰は親戚だと言われている。

喜撰の父親は紀名虎の息子の紀有常であるという説がある。名虎は娘の種子を仁明天皇に、静子を文徳天皇に献上し権力を握るやり手さん。娘たちはそれぞ皇子は産むしね鼻高々。

けれど、静子の産んだ惟喬親王と藤原良房の孫である惟仁親王の間に立太子問題で争いごとが生じる。結局、藤原良房サイドの勝利。こんなドロドロした世界に生きていた有常。世を捨てて自由気ままな仙人暮らしを選択したのかもなぁと思う。

喜撰の由来は「紀氏出身の仙人(=紀仙)」だという説を唱えている人がいた。大きなお寺の中でも僧同士の権力争いがあったりしますものね。都から離れた山の中でひっそりと仙人暮らし。泥沼の中に生きていた有常ならそういう生き方を選びそうな気がするな。

さて、喜撰は

「わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 人はいふなり」

という有名な歌がありますが、この一首だけで六歌仙に選ばれたそうです。

え~~ェ!嘘ーォ!!!

紀貫之と親戚だから???


「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」

紀貫之の書いた『土佐日記』の冒頭である。彼は女性と偽って日記を記している。

そんな人ですから、もしかして「紀氏出身の仙人」を装って喜撰というペンネームを使っていたのではないかというのが、もしかしたら喜撰=紀貫之と仮定した方の根拠かも知れません。


『喜撰法師-その二-』にも出てきた小野小町。

待針は小町針がなまってつけられた名前と言われています。「アナがないから小町針」・・・

絶世の美女でプライドが高く、世の殿方を寄せ付けなかったと言われている小町。

しかし。。。もしかしたら、好きな殿方と睦みあう事ができないから殿方を突っぱねていたのかも知れない。

先天的な奇形で小町針状態で生まれてくる人がいるそうだ。

とろがですね、

「百人一首の小野小町は後ろ向きの絵であるのはなぜだろうか」という観点で小野小町を研究している方がいる。そういった説を唱えている人で、小町は男性だったと仮定する人がいた。

名虎の娘である静子が生んだ 惟喬親王はお野宮という邸宅に住んでいた。自らも「小野宮」と呼んでいたらしい。その彼が女性として和歌を詠んだりする際のペンネームが小野小町じゃないかですって。

なるほど・・・。素晴らしい仮説です。

確かに、坂東玉三郎もそうですが、男性が女性に変身すると女性以上に女らしく美しい人がいる。それも妖艶で女性にはない美しさを持っている。この仮説が本命かも知れませんね。

六歌仙の中で、のちのちになっても能や歌舞伎で取り上げられているのは小野小町ですね。

長唄にも、晩年の小野小町を取り上げている『関寺小町』(二世杵屋六三郎と唄方の冨士田吉次との合作)というのがある。

能には「草紙洗小町」「通小町」「鸚鵡小町」「関寺小町」「卒都婆小町」などがあります。

美しきなぞ多き女性は物語の主人公にしやすいですものね。