六歌仙を主人公とした歌舞伎の題材で有名なものがもう一つある。『積恋雪関扉』という作品である。
六歌仙の世界を舞台としたものなのだそうですが、登場人物は大友黒主・小野小町・僧正遍昭の三人である。
この作品。よく日本舞踊の会で目にするプログラムです。長唄好きな私としては残念なんですけれど、常磐津の演目です。
〈あらすじ〉
雪の降り積もる逢坂の関では、不思議に小町桜が咲いている。そのかたわらには良岑宗貞(後の僧正遍照)が隠棲していたが、元の恋人小野小町姫が通りかかり、その仲を関守の関兵衛が取持とうとする。しかし関兵衛はどこか怪しい。小町姫はそれを知らせに都へと走る(上巻)。じつは関兵衛こそは天下を狙う大伴黒主であった。これまでその機会をうかがっていたのだが、星占いの結果今がその時と知る。早速、野望の成就祈願に使う護摩木とするため、小町桜を切り倒そうとする。ところがそのとたんに五体がしびれて身動きが取れない。するとそこに薄墨と名乗る遊女が現れ、関兵衛をくどきはじめる。しかし実は薄墨こそ、小町桜の精であった。小町桜の精は傾城薄墨となって宗貞の弟である安貞と相愛の仲であったが、その安貞を黒主に殺されており、その恨みを晴らすため人の姿となって現れたのである。やがて二人は互いの正体を現し、激しく争うのだった(下巻)。
-Wikipediaより-
小町と遍照は実際にも恋愛関係にあったという噂もある。絶世の美女とハンサムモテモテのプレイボーイのカップル。でもね、違う噂では小町は天下のプレイボーイ。日本中の女性の憧れのまとである在原業平の求愛を突っぱねたという伝説があり、実は男嫌いの潔癖女性だったのではないかという話もある。
まあ「自分はモテるんだ」とか「自分を袖にする女なんているわけがない」と自信たっぷりの業平タイプが嫌いだったのかもですがね。
遍照は桓武天皇の孫で大納言良岑朝臣安世の八番目の子供。美男でけっこうモテモテの男性だった。
寵愛を受けた仁明天皇の崩御によって出家したと言われている。
小町はクレオパトラ・楊貴妃に並ぶ世界三大美女の一人だ。出生や身分等謎だらけ。この当時の女性というのは家系図にも「女」としてしか記録されないので、多くの女性ってそんなものかも知れない。という事で、こんなにも美人で和歌の才能に恵まれ六歌仙として歴史に残っているというのに、誰の子でどこで生まれたのか確証がない。数々の求愛や求婚をかわして生涯を独身で貫いたとか、そういう伝説が数多く残っている。
小町に恋して99通の恋文を送った深草少将。深草少将=遍照という噂もある。まあ、深草少将は小町に「百日通えば」と言われて、その念願手前の九十九日で凍死しちゃうかわいそうな方なので、遍照と同一視は厳しい感じがしますが。
でもね、小町と遍照の仲はけっこうなものと予測できます。
遍照が出家後、清水寺にて小町に偶然遭遇するのですね。
寺で読経する僧の声を聞いた小町。「宗貞様??!」
小町はその僧に和歌を人を介して送る。
岩の上に 旅寝をすれば いと寒し 苔の衣を われにかさなん
(岩の上の寺に旅寝をしていると、大変寒いので、あなたの僧衣を貸して頂きたい)
そしたら、
世をそむく 苔の衣は ただ一重 かさねばつらし いざ二人寝ん
(世を捨てて出家した僧の衣は一枚以外に何もなく、そうかと言って貸さないのも悪いので、二人一緒に寝ませんか)
と歌が返ってきた。
半分以上がジョークなのでしょうけれど、けれど何気に二人の仲がうかがわれる歌だと私は思います。
『積恋雪関扉』は天明4年11月に江戸桐座十一月公演の顔見世狂言で『重重人重小町桜』(じゅうにひとえ こまち ざくら)の二番目に上演された。
作者は宝田寿来。作曲は常磐津の初代鳥羽屋里長と二世岸沢式佐。振り付けは初代西川扇蔵。
〈キャスト〉
大友黒主・・・初代中村仲蔵
良岑宗貞・・・二代目市川門之助
小野小町、傾城薄墨じつは小町桜の精・・・三代目瀬川菊之丞
ところで、現在の鳥羽屋里長という名前は長唄の方。この初代鳥羽屋里長さんは常磐津の方だったんですね。
初代鳥羽屋里長という方は、1738年に現在の千葉県である上総で誕生する。先天的か後天的なのか不明ですが、盲目の少年だったらしい。1754年初代鳥羽屋三右衛門に入門し三味線の修行に励む。1781年に里長の名前で富本節の三味線をつとめていたそうです。その後、常磐津に移籍。この『関の戸』などを生み出す。けれど、1791年に常磐津流との仲たがいがあって常磐津流の三味線方を退く。そして翌年に五代目都一中のために『傾城浅間岳』という作品をつくり中村座に出勤する。・・・が不評。その後、富本に戻るという経歴の持ち主。
この人のもともとの師匠の三右衛門はメリヤスや大薩摩などに貢献。豊後節を弾き始めた人といわれているそうです。歌舞伎ミュージックである長唄・清元・常磐津などなど、それぞれ流派が分かれているんですが、この鳥羽屋というご一門は流派を超越した特異な名前のようで、グローバルに言えば「歌舞伎ミュージック担当」のお家という事なのでしょうね。
何かを調べると、またまた何かに出会う。勉強って面白いですね。